Planet-BLUE

085 見えざる腕

「わかるな、ナイト」
 『キング』と呼ばれる男は言った。
「ビショップはトゥール・スティンガーの手に落ちた。あの男の手の中にあるうちはこちらも手が出せない……だから、お前が」
 モニターの向こうで、『キング』は淡々と言葉を紡ぐ。ナイトはそれを張り巡らされた情報の網目の間から見つめることしか出来ないが。
「トゥール・スティンガーを処分しろ。どんな手を使ってもだ。海原の時のようなミスは許されんぞ」
 それが不可能に近いことは、『キング』とてよく理解しているのではないかとナイトは思った。自分は一度トゥール・スティンガーに存在を感知されている。まだ自分の正体には気付かれていないが、気付かれるのも時間の問題だ。
 そう、トゥール・スティンガーという男は人の理解を超えた思考力と行動力を持っている。
 自分に敵う相手ではない。
 全てを知り、こちらに牙を剥くのも時間の問題だ。
 それでも、ナイトは。
『了解しました、「キング」 』
 こう、言うしかないのだ。
 
 
 ディスプレイを睨みながら、どちらにしろ、とトゥール・スティンガーは思う。
――――全てが丸く収まる結末など、望んではいけないのかもしれない。
 ディスプレイや立体映像映写機の上にいくつも浮かび上がったウィンドウ。そこに映し出されているのは、トゥールの記憶の中にあった姿。
 純白のワンピースに身を包み、穏やかに微笑む細身の女性。その横には、「リコリス・サーキュラー」という文字と詳細なプロフィルが書かれていた。トゥールが洗いざらい調べ上げたものなのだろう。
「ねえ、リィ」
 トゥールは動かない画像に向かって話しかける。画面の中のリコリスは、笑っていた。
 そういえば、リコリス・サーキュラーという女は、最低でもトゥールの記憶の中ではいつも笑っていた。
 トゥールが最後に見た彼女も、笑って、いた。
 その直後には、彼女は空に消えてしまったけれど。
「……アンタは望んでないわよね、こんな結末」
 小さく呟いて溜息を一つつき、リコリスの画像を全て視界から消去する。そして同じようにディスプレイと睨めっこしている助手のプラムに話しかける。
「チェスの駒の情報は出せた?」
「はい、送ります」
 プラムは即座にトゥールの電脳にデータをコピーした。トゥールは新しくウィンドウを立ち上げ素早くそれに目を通す。
 それは、帝国の研究所から調べ上げたデータだった。万が一アクセス元を辿られればまずいことになるが、ここに存在するのはそのようなミスをしでかす連中ではない。
「やっぱりね」
 トゥールは呟く。
 空間いっぱいに広がった文字全てを正確に読み取るのは至難の業だが、これは『無色の色彩』計画と呼ばれる一プロジェクトのデータであった。
 言うなれば、人工的に超能力者……それも、人間の潜在能力を引き出す従来の『魔法』ではなく、人の身を超えた『無限色彩』レベルの能力を持つ者を作るという突拍子も無い計画である。
 だが、その計画は挫折している。
 帝国領には、研究の元となるサンプルとしての無限色彩保持者が少なかった。理由はよくわからないが、色彩保持者は連邦領に集中しているといって間違いない。
 そのため、帝国は秘密裏に連邦領に研究所を建設した。
 それが、『シュリーカー・ラボラトリー』と呼ばれている超能力の研究施設である。ここでは連邦領で発見された無限色彩保持者を監禁し、能力を解析しながら、まだ身体、精神組織がそう発達していない子供たちに能力を植え付けるという狂気の研究が行われていた。
 七年前、丁度帝国との関係が悪化し各地で小さな戦闘が勃発していた時期、やっとそれに気づいた連邦側が『シュリーカー・ラボ』の解体作戦に乗り出した。しかしその時戦力となる部隊は外に出ていたため、ほとんどかき集めのような部隊で研究所を襲撃した。
 これが、後に『シュリーカー・ラボの悲劇』と呼ばれる事件である。
 偶然なのか必然なのか、人選に携わっていないトゥールにはわからないが、その部隊に加わっていた魔法士にして無限色彩保持者……『白の二番』クレセント・クライウルフの暴走行為により、完全に研究所は壊滅状態になった。当然こちらの被害も甚大だった。
 その時、生き残った無限色彩保持者や被験体のほとんどを連邦側が保護し、帝国の『無色の色彩』計画は挫折した。
 ……と、いうのが今までのトゥールの知識である。
 しかし、目の前に広がっているデータはその先の事実を告げていた。
 計画は確かに一度挫折を見た。が、それで諦めるような連中ではなかったようだ。連邦側が保護できなかった被験体の一部を回収した帝国側は、今でも自国の研究所で研究を続けていたのだ。
 その上、もう一つトゥールの知らなかった事実があった。
 『青』はやはり、『シュリーカー・ラボ』にいたのだという。
 おそらくはサンプルとして何処からか連れてこられたのだろう。『悲劇』の時連邦側が保護し、隔離していたのだという。帝国が奇妙な方法を使って『青』を追っているのは、サンプルとして、そして最終兵器としての『青』の価値を見出しているからだろう。
 それに。
「相手が能力者となれば、実戦に被験体を持ち出すいい機会だもんね……皮肉だわ」
 言いながらトゥールは手元のキーボードを叩く。浮かび上がっていた画面が切り替わり、新たな文字が空間に刻まれていく。
「研究を指揮しているキングを筆頭に、『シュリーカー・ラボ』で作られた子供たちである『蜘蛛の女王』クイーン、『見えざる腕』ナイト、『壊れた殻』ルーク、『永遠の棺』ビショップ。それをサポートするための量産型機械人形ポーン……通称ばかりで実際の情報はそんなに多くないのね」
「ええ、流れてるのはそのくらいです。やはりガードは厳しいですね」
「そうね……」
 トゥールは文字を眺めながら、どこか上の空と言った様子で答えた。何かを考えているのか、それとも本当に呆けているのか。プラムは自分のディスプレイから目を離さぬまま、トゥールに問う。
「トゥールさん、一ついいですか?」
「何?」
「 『シュリーカー・ラボ』について調べるのはわかりますけど……何で、今更リコリスさんについて調べるてるんですか?」
 映写機によって映し出された文字が、ちらちらと光る部屋の中で。
 トゥールは軽く目を伏せて言った。
「似てるのよ」
「え?」
「リィのことを思い出したのは偶然。でも、あの時なんで思い出せなかったんだろう、って今になって思うわ。だってあんな」
 
 
 ああ。
 情報の海の中でナイトは思った。
 トゥール・スティンガーはもう、全てに気づき始めている。
 後戻りは出来ない。元より出来るはずもない。
 いつものように、三つ数えて零と一の世界から物質の世界へと、水底を蹴った。
 水面は、近い。
 見えない手を、伸ばす。
 
 
 トゥールは最後まで言葉を言うことが出来ず、蹴り飛ばされて椅子ごと横に倒れこんだ。
 派手な音を立ててトゥールの身体はコードが散乱した床の上に投げ出される。
 体を襲う痛みに、ちっ、と舌打ち一つ。
 次の瞬間、プラムの手が倒れているトゥールの喉にかけられる。その目は、いつもの陽気な色ではなく、どこか憂いを帯びた空虚な感情を湛えているように見えた。
「貴方には死んでもらいます、トゥール・スティンガー」
 淡々とした、声。
 声も身体も確かにプラムのものだったが、そこに「存在する」のが明らかな別人であることは、トゥールにも即座に理解できた。
 喉にかかる力が増す。
 このままでは、いくら作り物の体とはいえ、体組織自体はそう人間のものと変化ない以上、脳に酸素が行かないまま窒息死だ。
 トゥールは迷わず、右手を上げた。プラムがびくりと震えた気がしたが、構わず振り抜く。
 手を離し、プラムはトゥールから距離をとる。とはいえこの狭い空間の中ではすぐに壁に背をついてしまう。トゥールは軽く咳き込みながらもゆらりと立ち上がる。その右手に嵌められた銀色の手甲からは青白い光の刃が伸びていた。
 プラムは自分の胸元を見やる。振り抜かれる前に避けたと思ったのだが、服には一筋の切れ目が入り、薄く血が滲んでいた。
「……狂っている」
 無表情なプラムの口から、掠れた声が漏れる。
「 『これ』は、お前の助手だろう、トゥール・スティンガー!」
「でも、アンタはプラムじゃないわ、『ナイト』 」
 ふわりと黄色の髪を揺らして、トゥールは自然に微笑みかける。偏光眼鏡の下の瞳が、弧を描く。
「あたし、歯向かう奴に容赦はしないの。プラムだって、わかってくれるわ」
 一歩。
 トゥールは踏み込む。
 氷色を湛える光の刃が、暗い部屋の中に光の帯を描く。ぎり、というプラム……いや、ナイトの歯噛みする音がトゥールの耳にもかろうじて届いた。
 トゥールの姿は、暗闇に浮かび上がる無慈悲な堕天使のように、ナイトの目には映っていただろう。
 姿は変わり、能力が衰えていようとも、相手は血を浴びながら微笑む『十二翼の堕天使』、第三十六代軍神トルクアレト・スティンガー。目の中に宿る残酷な光は、軍神と呼ばれていた当時と少しも変わらないように見える。
「あたしの邪魔は、誰にもさせない」
 声と同時に青銀の翼が、ナイトに迫る。
 瞬間、壁と電脳を背に立ちすくんでいたプラムの身体から力が抜け、がくりと床にへたり込む。
 トゥールは刃先がプラムに接触するかしないかのところで刃を消し、慌ててプラムを抱え起こす。プラムは頭を二、三回振り、トゥールを見上げた。まだ呆けているものの表情を見る限り、もういつも通りのプラムに戻っているようだった。
 一瞬の後、プラムは小さな悲鳴を上げて胸元を隠した。
「トゥールさん、酷いです」
「ごめんってば。ああしないと諦めてくれないかなって思って」
 睨み付けるプラムに、トゥールは苦笑して頭をかく。
「でも、逃げられたわね」
 脅したところまでは良かった。しかし相手が今この密室でどうプラムを乗っ取り逃げていったのかは、トゥールの目から見る限りでははっきりとはわからないが……
 プラムは今の不可思議な出来事を思い返しながら、言った。
「ここ数分間の記憶は曖昧なのですが、何となく、奴の考えていた情報が断片的に思い出せます」
「何が見えたの?」
「零と一の羅列、声の周波、研究所らしきいくつかの白い部屋、あと、何故かヴァルキリー大佐の画像も」
「……シリウス!」
 その言葉を聞いた瞬間、トゥールは相手が何を狙っているのかを理解した。
「最悪! あの野郎、シリウスを狙ってるわ!」