Planet-BLUE

078 決着

「……な……っ」
 ビショップの目は、驚愕に揺れていた。いつの間にか、手に握っていた「杖」も取り落として。
 完全に近い再生能力を持つビショップの肩に穿たれた銃創は、治るどころかそこから身体を侵食していく。
 セプターはそれを見て、レーザーブレイドの刃を収めた。
「ティアが逃げ続けてたのも、俺が時間稼いでいたのも無駄じゃなかったってことだ」
 言って、耳元から小型の通信機を外してビショップに見せ、ビルの上を仰ぐ。そこには、かつてビショップのターゲットであったはずのマーチ・ヘアの姿があった。マーチ・ヘアは巨大なスナイパーライフル……聖が持っているものと似ているが、その大きさは段違いだ……を構え、しっかりとビショップに狙いを定めていた。
 ビショップは肩を押さえ、奇妙な痛みに顔を歪めながらセプターに問う。
「一体、何をしたのです?」
「俺は何もして無いさ。何かしたのはティアと……コイツってとこかな」
 セプターは通信機を投げる。ビショップは片手でそれを受け取ると、耳元に当てる。
『初めまして、ビショップ』
 そこから聞こえてきたのは、男とも女ともつかない、不思議な声。ただ、それを聞いただけでビショップは通信機の先にいるのが一体誰なのかわかった。
「トルクアレト・スティンガー……貴方が」
『貴方に名前を知っていて頂けたとは光栄ね。でも今はトゥールって呼んで頂戴』
 帝国の人間ならばその名を聞いて畏怖しないものはない。
 二十年以上前の戦乱で活躍したという、星団連邦政府側最強の機兵遣い、第三十六代軍神、トルクアレト・スティンガー。
 今回の事件においても裏で密かに動いている、という話は聞いていたが、まさかこのような形で出会うことになろうとは。ビショップは奇妙に明るいトゥールの声を聞きながら思う。
『マーチ・ヘアから貴方の報告を聞いて、研究所に打診したの。……貴方の再生能力の秘密はある程度予測ついたからね。再生作用を逆転させる化学弾を作ってマーチ・ヘアに渡したのよ。その様子だとどうやら成功みたいね』
 四日間。
 セプターがビショップを足止めしていたのはたったそれだけの時間だったというのに。通信機の向こうの天才は、圧倒的な発想力と誰も想像だにしなかった行動力でビショップの能力を封じてきたのだ。
『まあ、そんなに強い薬じゃないから死にはしないわ。それに、貴方にも聞きたいことがあるから』
「無駄ですよ」
 ビショップは、冷たく言い放つ。
「我々『駒』には、機密保持のために手術を施されていますからね。下手な事を言おうとすればその地点で私の脳も破壊されます」
『ええ、そのくらいのちゃちな工作はしてあるでしょうね。でも、アンタに聞きたいのはそんな帝国の思惑とか機密情報とかじゃないの』
「……何?」
 トゥールの放った意外な言葉に、ビショップは目を丸くする。画像表示の無い声を伝えるだけの通信機なだけに、トゥールの表情が見えないため余計に相手が何を考えているかわかりづらい。
「なら、一体何を」
『単刀直入に聞くわ』
 通信機の向こうにあるトゥールの顔は見えなくとも。
 ただ、笑っている、ということだけはビショップにもわかった。
『アンタは、これからどうするつもり?』
「私は……」
『アンタの再生能力を封じることさえ出来れば、後はレイ君の敵じゃないし、マーチ・ヘアの腕でも余裕で倒せるわ。アンタが「マーチ・ヘア、そしてレイ・セプターの処分」という任務を遂行できる可能性は皆無に近くなった……違う?』
「その、通りです」
 声は明るくとも、放たれる言葉はあくまで鋭い。ビショップはそれ以上何も言えなくなって黙り込む。それでもトゥールの言葉は続く。
『あたしはアンタに聞きたいの。自分を「駒」だと言ったけれど、アンタは馬鹿な王様の命令に従い続けてそのまま果てるつもり? それとも』
 撃ち込まれた薬のせいで朦朧とし始めるビショップの脳裏に、先ほどのレイ・セプターの姿が思い浮かぶ。
 今と同じ質問を、セプターに投げかけたとき。
 セプターははっきりとこう言ったはずだ。
『死に際になったら逃げちゃうかもな。俺は、今死ぬわけにも行かないし』
 それは、決してただの逃げではないと思った。
 彼なりに考え抜いて出した結論なのだろう。結果的にあまりに単純にして綺麗過ぎる答えだとしても、そこに至るまでには絶え間ない思考があったはずだ。それを経て、なお迷いなくそう答えてみせたセプターが羨ましいと。そう思ったのはつい先ほどのこと。
 駒であることはセプターとて同じ。
 ならば。
「……出来ることならば」
 選択の自由など存在しない自分にとって、決して叶うことない願いだとしても、言葉にするくらいなら許されるだろうか。
「私も、死にたくはないですね……」
 夢見るように呟く。その身体はぐらりと揺らぎ、地面へと傾く。
「お、おいっ」
 慌ててその身体を支えようとしたセプターだったが、その前に何者かがビショップの肩を抱きとめた。セプターはそこにきてやっとそれの存在に気づいた。
 ビショップの身体を支えたのは、場違いなほどに見事なアフロヘアーの男。
「……ロズ」
 セプターは呆然としながらもその男を見上げた。
 ロジック・プルード。
 過去にセプターが所属していた「未開惑星探査班」のメンバーの一人であり、探査班解散後はトゥールの右腕として活動していた情報管理官。普段はトゥールの部屋に彼と共に閉じこもっているはずの男がまさか地球に来ているとは思わなかったセプターは、ただ驚くばかりである。
 プルードは無言で気絶しているビショップの身体を担ぐ。ビショップの表情は、やけに安らかなものに見えた。
『……レイ君、聞こえる?』
 声はビショップの手の中から聞こえた。セプターはそこから通信機を取って再び自分の耳に装着する。
「あ、ああ。聞こえてる」
『このままビショップはロズに回収してもらうわ』
「ビショップを回収してどうするつもりなんだ?」
『……なるべくなら、彼の望みを叶えてあげるつもりよ』
「できるのか?」
『ふふっ、あたしを誰だと思ってるの? それに、アンタだって何となく気づいているんでしょう?ビショップは、シュリーカー・チルドレンの一人よ』
「……っ」
 その言葉を聞いて、セプターの表情が歪む。トゥールからその表情は見えていないものの、間違いなく気づいているのだろう。しかしトゥールは構わず続ける。
『どちらかと言えば被害者ってところね。だから、なるべく手を打っておきたいの。ま、今のところアンタはめったに無い休みを満喫してればいいんだけど』
「けど……」
『レイ君』
 トゥールはどこか諭すような響きを込めて言う。
『今のアンタに何ができるかよく考えておくことね。動くためには時宜ってのがあるのよ』
「……わかった。後は頼んだ、トゥール」
『言われなくとも。それと、そこにマーチ・ヘアはいるかしら? 三方向通信にするから繋げるように言って』
 セプターがふと目を上げると、ビショップを担いだプルードの横にいつの間にかマーチ・ヘアが不機嫌そうな表情で立っていた。片手にライフルを下げ、片手にはセプターが前に渡した受話器型の通信機を持っていた。
「ティア、トゥールが話あるみたいだぞ」
「もうあのオカマと喋るの嫌なんだけど」
 ぶつぶつ言いながら、マーチ・ヘアも通信を繋げる。トゥールは苦笑して返す。
『オカマってのは言いがかりよ。あたしはただのオネエ言葉のお兄さんよ』
「説得力無いわよ」
『それはともかく』
 咳払いと共に聞こえる話題の転換に、誤魔化したな、とセプターは苦笑し、マーチ・ヘアはむっとした表情を浮かべる。
『間に合ってよかったわ。ロズに持たせた弾もきちんと受け取ってくれたみたいだし』
 なるほど、とセプターは思う。
 つまり、自分がビショップをひきつけている間にマーチ・ヘアはトゥールに状況を伝え、自分から動けないトゥールはプルードに指示して地球にビショップへの対抗策を届けさせたということなのだろう。
 それにしても対処の速さには舌を巻く。
『それに、マーチ・ヘア。アンタの足跡情報も一応いじっておいたわ。これで逃げてもそうそう追っ手はかからないと思うわ』
「……何したのよ」
『それは企業秘密よ』
 笑い声と共にトゥール。相変わらず謎の多い男である。手回しが良すぎて逆に相手を不安にさせるのが唯一の欠点なのかもしれない。
『ま、アンタを追っかけてるほど敵もそろそろ暇じゃないと思うけど』
「一つ聞かせてくれる、トゥール」
 マーチ・ヘアは通信機を強く握り締め、はっきりと問う。
『ええどうぞ』
「やっぱり、こいつが襲ってきたのってトワ絡みなの?」
『……ええ。彼女のことはどれだけご存知?』
「ほとんど知らないし知りたいとも思わない。厄介そうだし。ただ」
 目を伏せ、声を低めて。
「あいつらは、まだ無事なわけ?」
『まだ、今のところはね』
「なら、いいんだ」
 ライフルを肩にかけ、マーチ・ヘアはセプターに背を向けた。セプターは慌ててマーチ・ヘアを呼び止める。
「何処に行くんだ」
「……さあね。まだ、よくわかんないけど」
 通信機のスイッチを切り、肩越しにセプターに投げ返す。そのまま振り返らずにマーチ・ヘアは言った。
「あいつらのことは気になるし、オカマに借りはできたし、しばらくはここにいるつもりよ。これからどうなるかなんて、誰にもわからないしね」
「ティア、お前」
「今はティアじゃないわ。『狂気茶会』の三月兎。スクール時代とは違うでしょ、レイ・セプター大尉」
「ああ、そうだな」
 セプターも、小さく微笑んで返す。
 時間は留めることなどできず、そしてまた時間は全てを少しずつ変化させる。物も、記憶さえも風化していくし、逆に徐々に作り上げられるものもあるのだろう。
 そんな簡単で当たり前なことを、セプターはふと意識した。意識して、そのまま去ろうとするマーチ・ヘアの背に問うた。
「なあ、ティア……いや、マーチ・ヘア」
「何?」
「クレスが生きてるって噂を聞いて、今探しているんだ。何か、知らないか」
 その言葉を聞いて、マーチ・ヘアは一瞬セプターを見た。セプターはマーチ・ヘアの鋭い茶色をした瞳を見据えた。その一挙一動を逃さないように。
 マーチ・ヘアはやがて溜息混じりに言った。
「あの冷血漢は死んだ。あたしが知ってるのはそれだけ」
「……そうか」
「でも」
 もう、セプターからは目を逸らし。今にも泣き出しそうな灰色の空を見上げてマーチ・ヘアは言葉を紡いだ。
「生きていたとしたって、あの頃のクレセント・クライウルフとは違うだろうね」