Planet-BLUE

076 出立と一歩

 聖は片手に拳銃を持ったまま椅子に腰掛け、未だ眠り続けているルークを見つめていた。
 ラビットの外傷は酷かったが、元々軍人であるラビットの身体には出血調整手術やら治癒力増強手術やらを施されている。マイカの適切な処置もあり、傷自体は既にほぼ癒え、意識も取り戻していた。ただ、まだ本調子とは程遠く、トワが付きっ切りになっている。ノエルも何とか一命を取りとめたようだ。
 そして、傷らしい傷を受けていないはずのルークは、まだ目を覚ましていなかった。
 いつ目を覚まされて襲われても大丈夫なように、聖は拳銃のトリガーに指をかける。
 聖はラビットとルークとの戦闘の様子を見てはいなかった。駆けつけたときには既に勝負が決していたのだ。駆けつけるまでの記憶がやけに曖昧なのは、気が動転していたからか、それ以外に何か理由があるのか。そこは聖にはわからないことだった。
 それにしても、不可解な出来事ばかりが起こる。
 ルークがおそらく帝国……つまりトワを狙う第二の勢力だろうということは聖も了承していたつもりだったが、ルークの行動は何かがおかしい。いや、ここに一人でやってくるということ自体が実に奇妙だ。
 確かにルークは一度ラビットと一騎打ちで勝利している。だが、今回は場所が悪い。自分だって加勢することができるだろうし、一般人を巻き込んで余計な騒ぎになるのは帝国側とて望まないことだろう。
 それでもルークは一人でここに来て、ラビットと戦うことを望んだ。
「本当に、何考えてんだか」
 銃口を、ルークの額に当てながら聖はポツリと呟く。
 それぞれが、『青』という存在を中心に、自分の目的に沿ってわがままにてんでバラバラに動いている。確かに聖は全てを知っているわけではないが、彼の持っている情報だけをまとめれば、そのようにしか見えない。
 トワを逃がしたらしい大佐ヴァルキリー、積極的に『青』を追うことを主張する大佐スティンガー、そして静観から行動に移ると宣言した大佐メーア。
 連邦軍の上部でさえ、これだけ分裂しているのだ。ましてや他の陣営が何を考えているのかなんてわかるはずもない。
 当然、自分が全てを知る必要は無いのだが。
 そう思いながら、長く息をつく。
 それでも、わからないというのは腹が立つ。どんなことであろうと、煙に撒かれては気に食わない。深く首を突っ込むのは危険だと理解しつつも、聖の中ではそのような思いが渦巻いていた。
 その時、ドアがノックされた。
「……聖くん、いいかな?」
「あ、はい」
 声とともに入ってきたのは、白衣に身を包んだマイカだった。ラビットやノエルの容態をずっと見守っていたのだろう、目の下には濃い隈が浮かんでいた。
「大丈夫ですか?」
 聖が問うと、マイカは笑って軽く手を振った。
「このくらいは大丈夫よ。スノウがこの町に来たときの方が大変だったわ。それより、この人はまだ目覚めない?」
「はあ、まだっすね」
「そう。何でかしら。頭を打ったわけでも無さそうだし……」
 マイカは軽く眉を曇らせてルークを見る。自分が殺されかけたのだ、正直に言えばルークにいい感情など持っているはずも無いが、医者として誠実に対応しているマイカを見て、聖は軽く尊敬の念を覚えた。
 しばらくルークの様子を見ていたマイカは、ぽつりと言った。
「ねえ、聖くん」
「何すか」
「聖くんは、どうしてスノウと一緒に旅しているのか、聞いてもいいかしら? トワちゃんは、スノウに連れてってもらいたい場所があるから一緒にいるって言ってたけど」
「ああ、大したことないですよ。おっさんが軍に追われてるってことは知ってますよね」
「ええ。前に軍の人が手配書を配っていって驚いたけど」
「俺、元々あるスジからおっさんとトワのこと見張ってろって依頼されてたんですよ。でも、おっさんってすげえ危なっかしくて仕方ないじゃないですか。依頼はもう破棄されてるんですけど、何ていうか誰かが見てないと本当に危ねえんじゃないか、って思ったんで今もくっついてる次第ですかね」
 いや、それだけでは自分にとって十分な理由にはならないか、と思う。ここから先はあくまで個人的な感情の問題で、マイカにそれを話す理由は無いが、話さない理由も、ない。
「それに、上手く言えないんですけど、おっさんって変わってるじゃないですか。興味あるんですよ。おっさんが、どう考えて、どう動くか。そりゃあおっさんの周りは本気で危険だけど、それでも一緒にいる価値はある気がするんですよね。変な話ですけど」
  それを聞いたマイカの表情が一瞬歪んだ気がしたが、その次の瞬間には、どこか苦笑にも似た微笑みを浮かべていた。
「……君も、スノウに劣らず相当な変わり者ね」
「自覚はしてますよ」
 聖も苦笑を浮かべて答える。こんなリスキーで金にもならないことに首を突っ込むのは自分の悪い癖なのだ。今までもそれで痛い思いはしてきたはずなのに。これが自分の手には余る出来事だということも理解しているはずなのに。今更止まることは出来ない。
「勿論やばくなったら迷わず逃げますけどね。それまでは、見てやりたいんですよ。それに」
 言いながら、ふと、目を伏せる。
「おっさんも、そう長くないんでしょう」
「……わかってたの。そのことを、君に伝えるつもりで来たのだけど」
 マイカは少なからず驚いた様子で言った。自分の頭の中に常にあった可能性を肯定されたことで、聖はほんの少し口端を歪めた。
「おっさん、よく『どちらにしろ自分は死ぬ』って言ってたんでね。それに、結構重い病気抱えてるみたいでしたし。……トワには言いました?」
「言ってないわ。だけど」
「気づいている、でしょうね」
 トワは、人がそう思うよりずっと鋭い。聖はこの旅の中でそれを理解し始めていた。『青』としての能力なのか、彼女自身の才能なのかはよくわからないが、感覚的に的確な事実を掴みとることに長けているように見えた。
 きっと、ラビットに残された時間が短いことも、理解しているだろう。
 地球が滅びるのが先か、自分の命が尽きるのが先か。
 ラビットの虚無的な態度、そして無謀にも思える行動にはそのような思いが込められていたのだろう。
「だけど、気にいらねえんだよな」
「え?」
「……いや、こっちの話です」
 聖は、ラビットの過去を知っている。それは断片的な、聞きかじっただけの情報でしかないが。今のラビットは壮絶と称すべき過去を捨てて生きているように見える。実際ラビットの言動は過去の自分を否定しようという感情が顕になっている。
 ただ、その考えも行動も、全て「過去の悔恨や悲哀」から来ていることに、ラビットは気づいていないのか。
 あのラビットのことだ、気づいていないはずはないだろう。それでも否定し続ける。死ぬまで、ずっとそのつもりなのだろう。
「おっさんって、馬鹿ですよね」
「そうね」
 思わず口をついて出た言葉に、マイカは軽く頷いて言った。お互い考えていることは微妙に異なっているだろうが、言いたいことは同じだったのだろう。
「それで、聖くんは、スノウがもし死んだらどうするつもりなの?」
「……別に。どうもしないですよ。多分」
 それは、きっとそうならないとわからない。自分がどう思うのかも、何をするのかも。
「これから先どうなろうと、ひとまず今は黙って付いて行くつもりですね」
「そう。それなら、いいわ。スノウをよろしくね」
 そう言って、マイカが立ち上がった、その時だった。マイカとは少し形の違う白衣に身を包んだ看護士が多少乱暴とも思える動作で部屋のドアを開けた。
「どうしたの?」
 マイカの問いに、看護士は肩を上下させながら答える。
「それが……今、このブロックの入り口に、軍の一隊が到着したって……」
「何ですって?」
「しまった!」
 そう、ルークの襲撃で忘れかけていたが、トワを追っているのはルークだけではないのだ。聖は椅子から腰を浮かせ、ラビットに報せに行こうとしたが……
「……来たか」
 看護士の後ろには、既にラビットが立っていた。新しく仕入れた黒いコートに丸いレンズのサングラス、そしてルーク襲撃の直前に完成させていたらしい視力補助装置をつけた出で立ちで、背後ではトワがラビットのコートの裾を掴んでいた。
「おっさん、行けるのか?」
「傷に関しては痛覚操作をしている。問題ない。……だが、逃げ切れるかどうかは怪しい。ここまで接近されていては今から逃げても追いつかれるだろう。すまない、早く発つべきだったな」
 ラビットは無表情ながら早口に、現在の状況を的確に表現する。
「それでも、ここを出ないわけにはいかない。これ以上ここに迷惑をかけるのも悪い」
「時間を稼いでやることならできるけどね」
 ラビットの言葉の後を継いだのは、思わぬ人物だった。全員の視線がそちらに向けられる。
 ベッドの上で、身体を起こしながら、ルークが金色の瞳を鋭くラビットに向けていたのだ。聖は思わず手にした銃を構えかけるが、ラビットが片手でそれを制する。
「どういう意味だ、ルーク」
「何、アンタには借りができたしね」
 ずっと昏睡していたとは思えない身軽さでベッドを降り、横に立てかけておいた刀を手にする。その場にいる全員が呆気に取られてルークを見るが、ラビットだけは唇を固く結んで何か探るようにルークの目を見つめていた。
「……いいのか」
 ぽつりと放たれたラビットの言葉に、ルークはにやりと、獣を思わせる凶悪な笑みを浮かべた。
「不本意ながらワタシはアンタに助けられたみたいだからね。……一度だけだ、ね」
「そう、か」
 ラビットはまだ納得がいかないのか、それとも何か別の理由があるのか、はっきりとしない言葉を放つが、ルークはそのラビットの鼻先に、鞘に入れたままの刀を突きつける。
「勘違いしないでよ、ね。ワタシはアンタを許さない。次に会えば必ず殺す。ワタシの手で。だから今捕まってもらっちゃ困る。それだけね」
「……ああ」
 ラビットも、いつもの口端を歪めるだけの奇妙な表情を浮かべ、すぐにトワと聖に鋭い声を飛ばす。
「行くぞ」
「信じていいのか?」
 慌てて聖は問うが、ラビットは「多分な」と答え、今度はマイカに向き直る。
「……本当に、いろいろすまなかった」
「謝ることはないわよ。でも」
 ふ、と。
 マイカは微笑んだ。
「無茶だけはしないでね」
「できればな」
「そう言うと思ったわ。じゃあ、これ渡しておくから」
 何処から出したのか、マイカの手には紙袋が握られていた。おそらく薬が入っているのだろう。ラビットはそれを受け取ると、「すまない」と頭を下げた。
「ノエルにもよろしく言っておくから。じゃあね、スノウ」
「……ああ。いろいろと……ありがとう」
 ラビットは「左手で良いかな」と小さく言ってマイカに手を差しのべた。マイカはそれを握り返し、笑う。
「さ、早く行きなさい。こんなところでぐずぐずしてられないんでしょ?」
「ああ。行こう。トワ、聖」
 手を放し、ラビットはトワと聖を連れて病院を出ようとする。聖は「スノウをよろしく」という言葉を思い出し一瞬振り向いてマイカを見た。マイカは手を振っていた。笑顔で、でも、確かに今にも泣きだしそうな顔で。
 ルークはその後を追うように病院から出てきた。ラビットはルークに向かって言う。
「我々はこれから第三ブロック街跡地に向かう」
「いいのかね、そんな事をワタシに言っても」
「……追ってくるのなら、知っている方がいいだろう?」
「ふん、甘すぎるね、アンタは」
 ルークはにい、と笑う。ラビットは表情をけして崩さず、淡々と言った。
「では、また」
 敵に言う言葉とは思えない。
 聖は表情を歪めたが、ルークは笑って「いつ殺されてもいいように準備しておくんだね」と言った。
 もう時間は残されていなかった。
 慌ただしく車に乗り込み、すでに軍の動きを感知していたらしい龍飛が警告を出すのを横目に、ラビットはハンドルを握る。
「……トワ」
 キーを差し込み、ゆっくりと浮かび上がる車体。
 ラビットは遠くを見据えながら、呟くように言った。
「これから、『白の原野』……第三ブロック街に行く」
「うん」
「貴方の目指すものが、見つかればいいな」
 放たれた言葉に、感情は込められていなかった。トワは、大きな目を伏せ、呟いた。
「ラビットは、大丈夫なの?」
「私か」
 視力補助装置は確かに遠くの風景を捉えていたが、ラビットの見えない目は、事実何も見ていなかったのかもしれない。
「どう、だろうな」
 その言葉を残し、車は第四ブロック街を離れる。それを金色の瞳で見送ったルークは笑みを、ほんの少しだけ歪めた。風が、彼の黒髪を撫でる。
「全く、意地悪いね」
 刀を抜く。
 振り向けば、軍の車が通りの向こうに小さく見える。
「……『では、また』ね。ワタシがどういう立場にいるのか、わかってるだろうに」
 言って、笑う。
 ルークは声をあげて笑う。ひとしきり笑ってから、一歩踏み出す。ゆっくりと、軍の車の前に立ちはだかるように、通りの真中に歩み出る。そして、誰にも聞こえない声で言った。
「さあ、『最後の戦い』と行きましょうか、ね」