Planet-BLUE

075 迷走

「ああ、セシリア? 俺だ。……うん、いや、確かに休暇はもらえたんだけど、いろいろあってそっちに行くのは遅れそうだ」
 公衆通信機の受話器を手に、レイ・セプターは申し訳無さそうに軽く頷きながらも眉を寄せる。
「んな心配するなって。え? いや、そんなことはねえってば。信じてくれよなあ」
 笑顔を浮かべ、明るい声で言いながらも、鋭い緑の目はせわしなく周囲を見回している。まるで何かを警戒しているかのように。目の下には濃い隈も浮いている。
「ん。じゃあ、そっちに向かうときには連絡する。なるべく手早く片付けるさ」
 瞬間、左手が受話器を置く前に、セプターは右手に握っていたレーザーブレイドの起動スイッチを入れて横に跳んでいた。
 赤い光が、セプターが一瞬前までいた場所を、公衆通信機もろともなぎ払う。行き場の無くなった受話器が宙に舞う。
「四日目」
 セプターは呟きながら着地し、長い光の剣を構える。
 任務中ならば義手である右腕に白兵兵器の一つも仕込んでいるところだが、今は休暇中である。右腕は改良を施しているとはいえ日常生活用であるし、持っている武器と言えば護身用のレーザーブレイドと、それほど得意ではない光線銃のみ。
「上手くやれば軍から手当てくらいは出るかな」
 どこか場違いな言葉を吐きつつ、セプターは攻撃が放たれた方向を見やる。
 そこに立っているのは、もはやぼろ切れ同然となったカソックを纏い、血塗れた金の髪を揺らす男。こちらを見つめるのは、やけに澄み切った空色の瞳。
「俺だって人殺したくは無いけど、殺しても死なないってのは勘弁して欲しいな」
 隙の無い構えを作りながらも、セプターは呆れ顔で男、ビショップに向かって話しかける。
 ビショップは穏やかな笑みを整いすぎた顔に貼り付け、手に持った長い棒のような得物を構える。杖のように見える銀の棒の先端に、宝石のような赤い光が灯る。
「私とて、好きでこのような身体になったのではありませんよ、レイ・セプター」
 笑みのまま放たれた言葉は、やけに冷たい響きを伴っていた。
 セプターは反射的に石畳を蹴る。「杖」の先端から放たれた赤い光線が石畳を焦がす。そのままセプターは一気に詰めてビショップに迫る。
 ビショップは「杖」を反転させてセプターのブレイドを受ける。「杖」から展開される反発場がブレイドの刃を押し返す。
「っ!」
 セプターはすぐに弾かれた勢いで間合いを離し、再び先ほどの対峙位置に戻る。
「……そろそろ貴方も疲れてきた頃でしょう。今なら私でも見切れますよ」
「はっ、悪かったな!」
 笑顔で一歩迫るビショップに、セプターは軽く肩を竦めて見せる。あくまで余裕を見せようとしているかのごとく。
 それが気に食わなかったのか、ビショップの表情がほんの少しだけ歪んだ気がした。
 そう、今まで……この四日間追いかけっこを続けて、微笑の陰に隠れたビショップの感情が少しずつ、顕になって着ているように見えた。
 何を思って、この不毛な戦いを続けるのか。
 セプターはビショップの空色の瞳を見つめ返しながら思った。
 確かに消耗している今なら、隙さえつけばビショップとてセプターの命を奪うことが出来るかもしれない。
 だが、元々の力の差は歴然で。
 そう、今だって、もう一歩セプターが踏み込めば、ビショップの右腕は飛んでいた。セプターは、この長丁場ですでにビショップの力量を本能的に見て取り、力を加減しているのだ。
 だから、不毛だ、と思う。
 セプターは半眼で目の前の男を見つめた。
 セプターが負ける可能性はゼロに等しい。ただ、この不死の男に対して勝つことも出来ない。一度倒しても、しばらくすればまた、血に濡れた身体で追いかけてくるのだから。
「……退いては、くれないのか?」
 ぎぃん、と。
 「杖」と剣とが、ぶつかり合う。
 また、少しだけビショップの表情が歪んだ気がした。
「退けません。貴方を殺すのが、私の仕事ですから。貴方もそうでしょう、セプター」
「?」
 数度切り結び、間合いを取る。何度目になるかわからない、光景。
「貴方とて、上から命令されれば相手と自分、どちらかが死ぬまで戦うのでしょう? 現アレス部隊部隊長、そして第三十七代軍神候補、レイ・セプター」
 はっきりと言い切る、ビショップ。
 ビショップが何処までセプターの事を知っているのかはセプターにも計り知れない。当然、有名な話ではあるから誰にそう言われてもおかしくはないのだが。
 だが、セプターは呟く。
「死ぬまで……か」
 何故だろう。
 何かが引っかかる。
 肯定することも否定することも出来ないのは……
 
 
『何で、わざわざアレス部隊に?』
 それは、数年前の話。
 アレス部隊に志願したセプターにそう問うたのは、まさしく元アレス部隊部隊長……つまり先代の軍神その人だった。
『あんなのはただの人殺しよ。迷う暇なんてない。ただ目の前にいる「敵」を切り刻むだけの集団。そんなものになりたいなんて、アンタもどうにかしちゃったの?』
 自分のかつての生き方を否定するように。
 そして自分の背中を追おうとするセプターを必死に留めようとするかのように。
 先代軍神はそう言い切った。
 セプターとて、先代軍神がそう言う理由はわかっていた。元々、先代軍神に「迷い」……「死の恐怖」など存在しなかったから。もっと正確に言うのならば、「死」という言葉の意味すら知らなかったから。
 セプターは先代軍神をよく知っていた。軍神当時の彼を知っていたわけではないけれど、その頃の彼がどういう人間だったのかは、皆が口々に言っていた。
 殺戮人形。
 心を持たない、機械。
 十五歳という若さにして軍神に上り詰めることができたのは、間違いなく彼に死を思う心が無かったからだ、と言ったのは、確かシリウス・M・ヴァルキリーだっただろうか。
 彼は軍神になるべくして育てられた人形であり、人の死の意味など軍神には無意味であると切り捨てられた。そのような生き方をしてきた彼が「死」を理解したのは、彼自身が初めて死の淵に立たされた瞬間だった。
 死を知り、軍神は軍神の名を捨てた。
 かつての能力を失ったから、捨てたのではない。
 死とは何なのかを知ってしまったから、戦えないと悟ってしまった。
 だから元軍神は彼に言った。
『アンタは優しすぎる。やめなさい、アレス部隊はアンタには向いてない』
 それは彼なりの不器用な優しさだった。
 しかし、セプターは首を横に振って、
『でも、俺は』
 笑って言った。
『戦うことしかできないんだ。もう、俺もアイツに頼り続けてるわけにはいかないから、俺に出来ることをするしかない』
 溜息をついて呆れて肩を竦める先代軍神の姿は、今でもはっきりと思い出せる。
『馬鹿ね』
『ああ、俺、馬鹿だから』
 セプターは、軍神という名の人形にはなれない。
 自分でもそれは一番よくわかっていた。かつての人形の背を見続けていたセプターに、わからないはずはない。
 それでもアレス部隊にいる理由は決まっている。
 自分はどうしようもない馬鹿で、出来ることは戦うことだけ。そんな自分を見ていたかつての相棒に、余計な心配をかけさせるわけにはいかないから。
 だから、自分は。
 
 
「死に際になったら逃げちゃうかもな。俺は、今死ぬわけにも行かないし」
 セプターは口元に笑みを浮かべて言った。自分では意識しなかったが、あの時の先代が浮かべた呆れた表情によく似ていた。
「……軍人らしからぬ言葉ですね」
「だから俺、今ここにいるんだろ?」
 ふ、と。
 ビショップが微かに笑った。
 顔に張り付いた笑みではなく、セプターの見間違いでなければ、それは初めて見る、ビショップの穏やかな微笑み。そこには、ほんの少しの悲しみに似た感情も感じ取れた。
「貴方が、少しだけ羨ましい」
「ん?」
「そう、言い切れてしまう貴方が」
 赤い軌跡がセプターに迫る。軽くそれをかわしながら、ビショップに問う。
「俺は死にたくないもん。お前は違うのか?」
「……私に、選択の自由など存在しません」
 それこそ人形のように、決められた言葉を吐くビショップだったが、言葉に反して表情は歪んでいた。
 その感情が一体何なのか、セプターにはわからない。怒りなのか、悲しみなのか、それとも。
 「杖」が反転する。セプターは一歩下がり、それをブレイドで受ける。決まりきった、ステップ。ダンスか何かを踊るように、セプターは確実にビショップの攻撃を受け流す。
「そっか」
 無駄だとわかっていても、踏み込んでくるビショップ。不死の肉体だからこそ出来る、捨て身の攻撃だ。
 それすらもセプターは一歩歩幅をずらすだけでかわし、言った。
「お前も大変なんだな」
 まるで、昔からの友人に語りかけるかのように。穏やかな声でセプターは言う。ビショップの動きが、一瞬止まった。
「……お前の上司が何考えてんのかは知らねえけど、何となく、気にいらねえよな」
 セプターの目が、刹那、ビショップから離れた。
 それはこの四日間でセプターが見せた唯一の致命的な隙だったが、ビショップがそこを狙うことは出来なかった。
 ビショップもまた、つられてセプターの目線を追ってしまったから。
 視線は斜め上。
 そこにあったものは。
「遅いぜ、ティア」
 セプターは、笑う。
 次の瞬間、ビショップの肩を、建物の上から放たれた銃弾が貫いていた。