Planet-BLUE

069 嵐の前

「厄介なことになりましたね」
「それで済まされると思うか、メーア!」
 あくまで冷静な大佐ヴィンター・S・メーアの言葉に対して、同じく大佐であるバルバトス・スティンガーは悲鳴に近い声をあげて立ち上がる。
「帝国まで動き出したとなれば、何としてでも『青』を連れ戻さなければ、向こうの手にあの力が渡るということになるのだぞ! しかも、この内部にも帝国の手の者がいるという噂まである!」
 バルバトスの声はこの小さな部屋にはあまりにも大きすぎた。
 横に座っている大佐シリウス・M・ヴァルキリーは眉を顰めて、スティンガーを睨む。
「いちいち大声を上げないでくれ。そのくらいは私もメーアもわかっている。だから我々が対策を練ろうというのだろう」
「貴様がそれを言うか!」
 握り締めた拳を震わせつつ、スティンガーの怒りの矛先は今度はヴァルキリーへと向けられる。
「知っているのだぞ、貴様が『白の一番』をそそのかして『青』を『時計塔』から逃がし……」
「妙な推論で物を言うのはやめてほしいものだな、スティンガー大佐。『青』が『時計塔』を出たのは彼女の意思ではないのか? それ以前に私は『青』の逃亡に介在した覚えは無い」
 ヴァルキリーは淡々と告げる。その瞬間メーアの目が軽く細められたが、ヴァルキリーもスティンガーもそれには気づかなかった。
「貴様らはわかっていないのだ! 『青』がどれだけ危険なものなのか」
「貴方とて、無限色彩というものがどのようなものかは到底理解できていないだろう、スティンガー」
「何だと?」
 ヴァルキリーの放ったあからさまな挑発に乗って握った拳を振り上げようとするスティンガーを、メーアが制止する。
「言い争っていても始まりません。現在帝国側と交渉を行っていますが、こちらの領地に『青』奪取のための人員を送り込んだという事実は否定しています。当然のことですがね」
「……しかし、何故帝国はこうも強行に『青』を奪おうとするのか。わざわざ危険を冒して人員を送り込む理由がわからんな」
 ヴァルキリーは紫苑の目を伏せ、額に手を当てる。それを見つめるメーアは、その顔に微かな笑みすらも浮かべてみせる。
「向こうも必死なのですよ。何しろシュリーカー・ラボが失敗して『青』を奪われたのですから。『青』がこちらの手を離れた今を好機と見たのでは?」
「だからこそ、今『青』を連れ戻さなければ、シュリーカー・ラボの二の舞だ! 奴等は『青』を利用しようとしているのだぞ!」
「だからわかっていることを大声で叫ばないでくれ。耳に障る。では、スティンガーに問うが、現在『青』奪回に向かわせたコランダム隊はどうなっている?」
 ヴァルキリーの問いに、スティンガーは言葉を詰まらせる。
「……っ、こちらはまだ『青』の行方を把握できていない。前回の戦闘でもたらされた隊全体の損害も大きく、まだ意識の戻らない者が半数近くだ」
 今まであれだけ怒鳴り散らしていたのとは一転、低く、唸るような声をあげる。
「意識が戻らない?」
「これもコランダムの報告によるフェアリークラフトの使い手によるものだろうが……くそっ」
 スティンガーは強くデスクを叩く。だが、ヴァルキリーはそれを聞いて眉を寄せる。
「おかしい」
「何?」
「コランダムの報告を聞く限り、その魔法士はソーラーで、しかもコランダム隊のほとんど全員を一瞬で昏倒させたということだろう」
「ああ」
 一体何が言いたいのだ、とスティンガーの黒い瞳がじっとヴァルキリーを見据える。
「ソーラーの扱う魔法ならば、いくら紋章自体の威力を高めたとしてもあれだけの人数を一気に昏倒させるような技は作れないはずだ。限界がある」
 咄嗟に何かを言い返そうとしたスティンガーを、メーアが遮る。
「……ああ、そういえば貴女は魔法の専門家でしたね」
「そんな大層なものではないがな」
 ヴァルキリーの父は紋章魔法の権威として知られている。そしてヴァルキリー自身、研究所に所属こそしていないが魔法に関しての知識は常人を大きく上回る。
「ならば、どういうことだと言いたい、ヴァルキリー」
 スティンガーは今にも噛み付かんばかりにヴァルキリーに迫る。
 対するヴァルキリーは言葉を選びながら、低い声で言う。
「邪推を承知で言わせて貰うと、そのフェアリークラフトの使い手、魔法以外にも何かしらの能力を持っていると考えた方がいいかもしれない」
「何?」
 二人の視線が、ヴァルキリーに集中する。
「超能力……いや、ここまでくると、無限色彩の可能性も捨てきれない」
 
 
「……あれ?」
 トゥールは自室で大佐三人の密会を盗聴していた。間違いなく犯罪行為だが、彼を止められる人間などこの広い宇宙を捜しても何処にもいないだろう。
「ねえ、プラム」
「何ですか、トゥールさん」
 横でキーボードを叩いているプラムがディスプレイから目を離さないまま返す。
 トゥールもプラムの方は見ず、部屋の中の大佐三人には気づかれないように設置した監視カメラで彼らの動きを観察しながら、言葉を続ける。
「 『青』って、もしかしてシュリーカー・ラボから奪取されたの?」
 『青』……トワについて調べるとヴァルキリーに宣言したはいいものの、何処から手をつけるべきか困っていたトゥールは、思わぬ情報の存在に気づき驚きの色を隠せない。
「知らなかったんですか? 研究所のデータをハッキングすれば、そんな情報いくらでも入ってますよ。データ全部そっちに送ります?」
「よろしく。……となると、彼女は元々帝国の人間?」
 トゥールは自分の推理が間違っていたのか、と首を傾げる。彼の推理が正しければ、トワはそこにいたはずがない。
 だが。
「……待てよ」
 シュリーカー・ラボ。
 トゥールの頭の中で、得体の知れない何かが引っかかる。
 それは、連邦領内に秘密裏に建造された帝国側の研究所のことだったのだが。
「確か、あそこって超能力者の研究をしてたのよね。人工的に無限色彩を作る実験で」
「そうですよ。トゥールさん、ボケてるんですか? 『青』はその中でも重要なオリジナルの無限色彩のサンプルだったって話ですよ。で、七年前に連邦がラボを見つけて叩いたんじゃないですか。……ああ、そうか」
 プラムは椅子を回して、トゥールを見る。その表情は、深い苦笑だった。
「あの時トゥールさん、随分パニクってたんですよね。クレセントさんのことで」
 『シュリーカー・ラボの悲劇』。
 連邦政府軍の一員としてラボの掃討戦に向かった無限色彩『白の二番』クレセント・クライウルフが度重なる戦闘の中で発狂し、敵味方構わず殺害したという事件。
 自身にとっても強力すぎた同調能力が起こした悲劇である。どんな人間の精神にも同調する彼にとって、間近に突きつけられたあらゆる形の「死」のイメージは、どれほど恐怖と狂気に満ちていたことだろう。
 特に、自らと同じ「能力者」を相手にしているのならば。
 トゥールには、いや、クレセント以外の何者も、彼のその時の苦痛は理解できない。
「ああ、そうかもしれない」
 一瞬、その頃のクレセントを思い出したトゥールは軽く頭を振って何とか思考から遠ざける。今はその時の思い出に耽っている場合ではない。
 この事件の重要な点は、帝国のラボが連邦領内に作られていたということ。そして、何年もそれが発見できなかったこと。当時は政府や軍に内通者がいるのではないかと噂されたが……
「結局、帝国への内通者はいなかった、って話だったのよね」
 思考を唐突に声に出すトゥール。それでもトゥールの思考の流れを即座に読み取ったらしいプラムは答える。
「ええ。どんなにあさっても出てきませんでした。私たちもいろいろと漁ってみたんですけど、帝国側のデータにもそんな情報は見当たらなかったんですよ」
 突拍子もないことをさらりと言うプラムに、真顔で受け止めるトゥール。
 彼らの非合法な情報収集はいつものことだが、これは「軍の不利益になるような行動はしない」、そして「何処にも流さない」という暗黙のルールがあるからこそ成り立つものである。
 事実、一応は軍の保護対象であるトゥールも、自らの収集した情報をそのままヴァルキリーや親しい軍関係の人間に流したことは一度とて無い。
「……内通者、か」
 トゥールは目を細め、顎を撫でる。
「あたしの推理が間違っていたのか、それとも」
 推理が正しければ、随分と厄介な事態だ。
 元々は単純な閃きだったのだが、どうも調べていくにつれ出てくるのは推理を裏付けるものばかり。今回の情報も、解釈のしようによってはどうとでも取れる。
「メーアの言うとおり、ってところかしら」
 何度も聞かされたメーアの言葉。
『 「青」に介入するのは自殺行為ですよ。特に、貴方にとっては――――』
「もっと直接的に言えっての」
 今度はプラムに聞こえないくらい、小さな声で呟く。
 しかし、やはり解せない。
 メーアは、何故あそこまで『青』奪取に首を突っ込んでいる自分に構うのか。これがヴァルキリーやスティンガーとなれば話は別となってくるのだが……
「こりゃあ本格的に浚う必要があるんだけど……プラム」
「何ですか?」
「ロズはどうしてる?」
 プラムは再びキーボードを叩きながら言う。
「本部に気づかれないように移動中です」
「あと、この前調べておくように言った件、どうなってる?」
「前と変わってませんよ。特に無限色彩とメーア大佐との関連は見当たりませんし、リコリス・サーキュラーの死因と周囲の行動についても新たな情報はありません」
 トゥールは低く唸りながら、椅子を引いて大きく腕を伸ばす。
「ああもう、リィってば……」
 まるで神にでも祈るかのごとく灰色の天井を見上げて、トゥールは表情を歪める。困惑のような、苦痛のような、不思議な感情がトゥールの中に渦巻いていた。
 確固たる裏づけが無いにもかかわらず、彼の中に存在する「結論」を思い浮かべ、トゥールは呟いた。
「あたし、どうすればいいんだろ」
 丁度ディスプレイの向こうの部屋では三人の大佐が密会を終え、各々の部屋へと帰っていくところだった。
 
 
『……ビショップが交戦中らしいな』
「ええ。『青』の関係者の処理に回していたのですが、運悪くレイ・セプターと接触し、逃亡不能状態です」
『失態続きだぞ、キング。どうするつもりだ』
「ご心配なく。内部調査と処理のためにナイトを既に動かしています」
『ナイトは前回情報収集の途中に一時行動不能に陥ったと聞くが』
「トゥール・スティンガーと接触しましたが、その時は本体では無かったので、まだ動けるでしょう……軍内部では随分動きづらくなりましたが。奴が何処まで気づいているのかが鍵になってきますね」
『あの死にぞこない、三十六代軍神トルクアレトか。厄介な男が動いているな』
「しかし、奴もこちらの情報操作にはまだ気づいていない様子です」
『ほう。ということはクイーンの存在にも』
「ええ、彼女の動きは知られていません。また、『青』の居場所も判明したため、ルークを捕縛に向かわせています。ビショップもセプターとの交戦を終え次第、回収し関係者の処分に戻します」
『……流石だな、「ヘイムダル」の名を名乗るだけはある』
「いえ……」
『まあいいだろう。今度こそ失敗は許されないぞ、キング。七年前と同じでは困る』
「勿論です。あの時奪われた『青』を、確実に取り返してみせましょう」
『その言葉、信じているぞ』
「はっ」
 
 
 暗い部屋の中で、『キング』は通信を切る。唯一の明かりだったディスプレイの光が消え、部屋は闇に包まれる。
 そして、それは笑った。
 酷く乾いた、虚ろな声で。
「もうすぐ……もうすぐ」
 天に向かって伸ばした指は、何を掴もうというのか。
「私の手に」
 呟いた声は、何処に届けようというのか。
 全ては、闇の中に消えていく。