「トゥール・スティンガー」
穏やかな……それでいて刺のある言葉。
トゥールは伏せていた目を上げ、すでに見飽きた茶の髪を持つ長身の男を見つめてから、今放たれた言葉と同じような口調で笑顔すら浮かべながら言った。
「あら、メーア大佐。相変わらずお元気そうね?」
「ええ、おかげさまで。まあ決まりきった挨拶は置いておいて」
大佐ヴィンター・S・メーアは木の幹を思わせる色をした目を細めた。珍しく、いつもの冷めた笑顔はその顔に無かった。
「上との会議の結果、貴方はここから出ることが許可されました」
「え」
まさかメーアの口からそんな言葉を聞くとは思ってもいなかったトゥールは、思わず間の抜けた声をあげた。メーアは淡々と、それでいて隠し難い苛立ちに似た感情を含めつつ続ける。
「貴方の危険性はまだ否定できませんが、監視の下であれば先のような行為に走ることはないという判断です。ただし、単独行動は当然禁止ですし、行動範囲は限らせていただきます」
「どうせあたしの部屋から出るなってんでしょ。結局この状態と変わんないじゃない」
トゥールはにやにやと笑みを浮かべて軽口を叩きながらもメーアの一挙一動からは目を離さないようにと意識を向ける。
普段のメーアから何かを読み取ることは困難を極めるというのに、今のメーアの様子は一種異常だった。ここまではっきりとトゥールに対する嫌悪感を顕にするとは、どうにもこの男らしくない。
「ええ、その通りです。しかし、随分と『自由』にはなったでしょう」
ここで初めて笑みを浮かべて、メーアは言った。
自由。
粘着質の皮肉を込めた言葉は、トゥールの中で確かな意味を持った。
「そうね。でも、それ何だか矛盾してるわ」
「何が、でしょう?」
「そうねえ……あたしはともかく、それでアンタや上に何か得でもあるっての? あたしの情報網はアンタが一番良く知ってるはずよ、メーア」
トゥール・スティンガー。
権利らしい権利を持たない死にぞこないであるこの男が生かされている要因は、間違いなく彼の持つ「情報網」にあった。
元はアレス部隊という前線での戦闘活動を主としていた彼だが、彼を軍神たらしめていたのは、戦闘能力以上に情報の収集能力だったと言っても過言ではない。
軍の中でも一、二を争うハッキング能力を持ち、軍本部の総合情報管理電脳に唯一……ただし『ロキ』と呼ばれる天才ハッカーでもあったクレセント・クライウルフと正体不明のハッカー『ヘイムダル』は除き……侵入することが出来るとも言われている。
軍との契約関係にある彼としては、当然この能力を軍の不利益になるような行動に使うことは禁じられているが、逆に言えば「軍の不利益にならないような行動」ならば目をつけられることもない。
この硝子張りの部屋では回線にアクセスすることも不可能だが、一旦自身の部屋に戻ることが出来れば、確かに身体の自由こそ無いものの、情報を収集するという彼にとっては重要な「自由」を得られる。
それは勿論トゥールの望むところであり、だからこそメーアの発言が不可解なのだ。
メーアはいたって平静な表情でトゥールの問いに答える。
「……現在の状況ではそう悠長なことは言っていられない、というだけのことですよ、トゥール・スティンガー。貴方は内部の異分子にも気づいていたようですしね」
トゥールも、何かを探るような瞳をメーアに気取られないように、なるべく笑みを繕ってわざとらしく言う。
「あら、異分子って何のことかしらね。そんなに今ここって慌ただしいの? あたし、もう二週間近くここにいたから気づかなかったわ」
「慌ただしいも何も。『青』を狙って本格的に帝国側と思しき連中が動き出したそうです。帝国は断固否定していますが、それも怪しいところです。私も、そろそろ傍観者ではいられない時期ということですよ」
「あたしを構って遊んでる暇ももう無いってことね」
「その通り。逆に貴方が動いた方が向こうも動きづらくなるというのが上の判断です。ただし、私個人の見解としては前にも警告したとおり。これ以上、『青』に介入するのは自殺行為ですよ。特に、貴方にとっては」
メーアの言葉の一つ一つは、不透明でいて何故かトゥールの神経を逆撫でする。真意がわからないからか、それともまた別の理由からか。
トゥールは溜息を一つつき、髪を縛っていた紐を解く。黄色い、ウェーブのかかった作り物じみた髪が広がる。
「わかったわ。これ以上はアンタに聞いても無駄ね。……ま、大人しくしてるわよ」
心にもない事を言いながら、トゥールは自分とメーアを隔てる硝子の板を軽く小突いた。
「で、これ早く開けてくれない?」
「お帰りなさい、トゥールさん」
部屋に帰ってきたトゥールを迎えたのは、屈託の無い笑顔を浮かべた女性と、爆発でもしたのかと見紛うほど見事なアフロヘアーの男だった。
トゥールはその両方に向かって笑みを見せながらも、早口で指示を飛ばす。
「ただいま、プラム、ロズ。で、早速で悪いけどシリウスに繋ぐからその間に今まで調べておいた情報をあたしのハードに流して」
「了解」
プラムと呼ばれた女は楽しそうにきゃらきゃらと笑って狭い部屋の中に所狭しと並べられた最新式電脳のスイッチを手際よく入れていく。ロズと呼ばれた男の方は淡々とディスプレイを動かし、電脳同士を結ぶコードの束を接続させてゆく。
優秀な「助手」たちの動きを横目に見つつ、トゥールも部屋の中で最も大きく、複雑な構造を剥き出しにしている電脳の前に陣取り、スイッチを入れる。
すぐに巨大なディスプレイに無数の文字が浮かび上がり、トゥールは目まぐるしく流れる文字列を目で追う。
「接続。……シリウス・M・ヴァルキリーに」
同時に、小型のマイクに向かって指示を飛ばす。
今度はディスプレイの横に置かれた立体映像投射機に、ヴァルキリーの姿が浮かび上がった。
「久しぶり、シリウス」
『全く、心配させるな、お前は』
通信回線の向こうにいるヴァルキリーは少々むっとした表情を浮かべてトゥールに言う。トゥールもそれには苦笑するしかなかった。
「ちょっとこっちにもいろいろ事情があってね。でも、聞いた話によるとそっちもかなり厄介なことになり始めてるみたいね」
『ああ。どこまで聞いている?』
「ひとまずあたしが捕まってから起こったことは全部教えて。それから整理するわ」
当然、トゥールもすでに知っている情報が大半だったが、ヴァルキリーの話を総合すると、つまりこういうことだった。
度重なる失策により、大尉レイ・セプターが『青』の捕縛から外され、メーアの提言により大佐バルバトス・スティンガーの副官である少佐ケイン・コランダムが『青』捕縛作戦の指揮を執ることになったこと。
セプターは作戦から外された後、一ヶ月の休暇を取って地球に向かい、セプターの副官である少尉ルーナ・セイントは引き続きコランダムの補佐として捕縛作戦に加わっていること。
トゥールに刺された中尉海原 凪は現在セントラルの病院で入院と名の付いた軟禁状態となっていて、トゥールに刺された前数日間の記憶が無いということ。
コランダムはその後地球のとある遊園地の廃墟で『青』と接触したが、コランダムはラビットとの戦闘に敗北、隊は介入してきた謎の二人組によって原因不明の昏睡状態に陥っていたこと。
その謎の二人組の片割れが魔法士であり、しかも連邦の管轄外である『フェアリークラフト』の使い手であるらしいこと。
当初コランダムはラビットの車に発信機を仕掛けて追跡をしていたが、遊園地での対峙以降ラビットたちがそれに気づいたらしく、発信機からの場所特定が無力化したこと。
そして、現在は『青』の行方も掴めていない、ということ。
「……なるほど。何だか一進一退って感じね」
トゥールは肩を竦めて言った。
『まあ言うべきことはこの程度か。ひとまず、上は現在帝国を牽制しながらも「青」の行方を追わせているのだが……何とも、やり辛いな。私が「青」の逃亡に手を貸したということは何となく上も気づいているらしくてな』
ヴァルキリーの声はやはり暗い。トゥールも流石に笑みを消して、真剣な表情で彼女に向き合った。
「実は、あたしもちょっと考えたのよ」
『ほう、聞こうか』
「まず、あたしはこの前凪くんを刺したんだけど、実の事を言うとその数日前から凪くんの様子が変だったのよ。彼、総合情報管理室の電脳から、何故か無限色彩の情報と今までのラビットとトワちゃんの足取りのデータばかりを抜き取ってた」
『何?』
「でも、電脳にハッキングできるのはあたしくらいだから、他の人は知らないんじゃないかしら。彼、跡は残さないようにしてたみたいだし。そう、その手際のよさったら、『彼じゃないみたい』だったわ」
口元に手を当て、思考を高速でめぐらせつつも、トゥールの言葉は続く。
「だから、それを試すためにもちょっと、ね。でも、意外にもあれは凪くん本人だったから、本体は別にいるわよ。肉体の乗っ取り。クレスの能力に似てるんじゃないかしら。アイツもそういうことたまにやってたし」
ヴァルキリーが、軽く舌打ちしたのがはっきりと聞き取れる。
『なるほど、メーアが言っていたのはそういうことか』
聞きたくも無い名前がヴァルキリーの口から漏れたのを聞いて、トゥールは過剰とも思えるほど素早く問い返す。
「メーアが何?」
『……一連の「青」にまつわる出来事を追おうと思うのなら、内部の動きにも目を向けろ、とな。あの男、何処まで気づいているんだ』
「さあ。多分あたしが知らないことも知ってるんじゃないかしら? あたしにも警告してきたくらいだもの、これ以上首突っ込んだら死ぬかもしれないって」
軽く言ったものだが、トゥール本人としてもメーアの警告はけして軽く聞き流せるものではなかった。
『青』をめぐる一連の追跡劇。
そこには、確実に現在起こっている事実以上の何かがあった。
少なくとも、トゥールの勘は彼にそう告げていた。
「で、ここからがあたしの考察」
トゥールは青い偏光レンズのサングラスを少し指で押し上げて、言葉を紡ぐ。
「結論から言うと、あたし、『青』をめぐるこの一連のいざこざは、基本的には私情から来たものだと思ってるの」
『……何?』
「だって、トワちゃんを逃がしたのだって、シリウスが彼女に情を覚えたからじゃない。それと同じよ。彼女を追って保護するのは確かに軍の義務なんだけど、彼女に対して何らかの感情を持って動いている人間がその中にいてもおかしくは無い」
トゥールの声は、自分でも驚くくらいに淡々としていた。
「何としてでも……それこそどんな手を使ってでも彼女を捕らえようとする者。遠まわしに彼女を援護する者。そして、彼女を観察する者」
それは、『青』をめぐる三人の大佐……スティンガー、ヴァルキリー、メーアの立場を婉曲的に表現したものでもあった。言葉を補足するようにトゥールは続ける。
「兄貴は根本的に無限色彩っていうか『力』と呼ばれるものが嫌いなのよね。だからとっとと『青』を捕まえてもう一度時計塔にぶちこんじゃいたい。で、アンタは元々無限色彩擁護派だから。……だけど、メーアの行動が解せないのよね、やっぱり」
『……それを説明するのが、お前の言う「私情」か』
「そゆこと。奴、別に『青』の捕縛任務についているわけでもなかったのにわざわざ自分から関わってきたでしょ? それにメーアっていつもは不気味に笑ってるだけなのに、『青』が絡むと微妙に目の色変わるから。きっと何かあるんじゃないか、って踏んだわけ。『青』に関わる、何かしらの個人的な感情」
当然、それはメーアに限ったことじゃないのだけれど、とトゥールは心の内で付け加える。
ヴァルキリーはトゥールの言葉を総合しようと軽く紫苑の瞳を細める。
『しかし、わからないことが多すぎるな』
「ええ、そりゃああたしもよ。だから、ちょっと調べてみようと思って」
『何処から手をつけるつもりだ』
今までの話は、あくまで推測の話に過ぎない。そして、トゥールはメーアの例を挙げて話していたが、「私情」を無限色彩に対して抱いていると思われる人間は上層部にはいくらでもいると思われた。
そんなヴァルキリーの不安を表情から読み取ったのだろう、トゥールは口端を歪め、笑みを浮かべた。
「……だから、『青』だけじゃなくて、無限色彩が関わったっていう一連の事件を洗いざらい調べるの。それにもう一つ、全ての出来事を繋ぐために一番重要であるにも関わらず、何故か今までちっとも知る必要が無いと思ってたこと」
『何だ』
ヴァルキリーはトゥールの言わんとしていることをすぐに察することが出来ずに首を傾げる。
トゥールは首を振った。場違いに明るい黄色い髪が、揺れる。
「トワちゃんが、一体『何者』なのかってことよ」
Planet-BLUE