Planet-BLUE

062 点

『……というわけだ』
 第四ブロック街はまだ遠い。
 いつものように人気のない廃墟で休息を取ることになった夜。
 トワが眠りにつき、前回の戦いで消耗しきったラビットも半ば意識を手放しつつあるその頃、聖は彼らから見えない位置で液晶通信受像機を覗き込んでいた。
「ってえことは」
 受像機に映っていたのは、長い黒髪を頭の上で一つ結びにし、聖とよく似た目を持つ軍服姿の女だった。その女を半ば睨みつけるようにしながら、聖は言う。
「もう『青』の監視をする必要は無い、と?」
 女……少佐鳳凰 蘭は弟を見つめて言い放った。
『むしろ、早くこの場から離れろという大佐からの指示でね。コランダムの報告によると、厄介な連中が動き出しているらしい。私たちも本格的に「青」捕縛に加わることになるみたいだ。そうすればお前のフォローも出来ない。だから、早く地球から離れて、本業に専念することだな』
 軍人らしい、はっきりとした物言いで鳳凰は言った。だが、聖は黙ったまま、鳳凰をじっと見つめているだけである。そうして一分近くの沈黙の後、やっと口を開く。
「姉貴の言う大佐も、『青』の捕縛に動くってか」
『お前の報告のお陰かは知らないが、今になって動く気になったようだが……』
 鳳凰はそこまで言って、言いづらそうに眼を伏せた。
 もちろん、それを見逃す聖ではない。一瞬姉が見せた反応が何か自分の知らない意図を持っているということを判断した上で、鳳凰に畳み掛ける。
「なあ、姉貴。大佐って奴は、一体何考えているんだ。俺に『青』とおっさんを監視させておいて、自分は今まで動こうともしなかったんだろ? しかも、俺みたいな一介の行商人に頼むなんて、どうかしてる」
 溜息すらも混じらせながら、鳳凰は吐き捨てるように言った。
『私にもわからないんだよ、聖』
「は?」
『私にも、あの男の考えは理解できないんだよ。正直不気味以外の何者でもない』
 無責任、といえばあまりに無責任な鳳凰の発言に聖はまたも何かを言い返そうとしたが、それを遮った声があった。
 それは、目の前の受像機から放たれたものではなく、
「なかなか面白い密会じゃないか、聖」
 背後から聞こえてきたものだった。
 聖は驚き、慌てて受像機の電源を切ろうとするが、意外にも鳳凰が「まだ切るな」と指示した。
 いつからか聖の背後に立っていたラビットは、青白いを通り越してほとんど土気色の顔をしながらも、どこか皮肉げな表情を浮かべて聖を一瞥した。
「聞いてたのかよ、おっさん」
 幽霊でも見たかという怯えようで口を開いた聖に、ラビットは軽く答えた。
「目が利かない代わりに耳だけは良くてな」
 受像機の向こうからこのやり取りを見ていたのだろう鳳凰は、くすくすと笑みをこぼした。
『なるほど、随分と様変わりしたと思っていたけど、それは外見だけってことか。中身は案外昔のままのようだな』
「同じ事をシリウスにも言われたよ。貴女も変わらんな、鳳凰 蘭」
 ラビットは言いながら、聖の横に座り込む。
『スクールを卒業して以来、こうやってまともに話すのは初めてか』
「ああ。そうかもしれないな。……いい機会だ。貴女にいくつか聞きたいことがあったのだが」
 焦点の合わない、盲に等しい赤い瞳が受像機に向けられる。鳳凰はこの場に似つかわしくない穏やかな微笑を浮かべ、ラビットに答える。
『この際だ。私が答えられることなら何でも答えるさ』
 あまりにあっさりとした応対に、今度はラビットが驚く番だった。
「意外だな。貴女のような者がそう簡単に答えてくれるとは思っていなかったが」
『質問にもよるだろうし、何より、私は口止めされていない』
 当然の事を当然だ、と言うがごとく鳳凰は言い切った。思えば彼女は昔からそういうところがあった、とラビットは思う。その上、どうやら鳳凰自身、自分の任務に疑問を抱いているのに加え、けしてそれを良いものとは思っていないらしい。
「軍人らしからぬ言動だな、蘭。どんな任務であろうと守秘義務はあるだろう」
『今回のは任務ですらない。大佐の酔狂に付き合うのも少々疲れててなあ』
 聖はこの奇妙な状況に気圧されるように、少し顔を引きつらせながら受像機とラビットを交互に見やっている。
「では」
 ラビットは口を開いた。
「まず、一つ。……貴女は、どうやら初めからトワを連れているのが『私』であると聖に吹き込んでいたそうだな。どこでそれを知った」
『確証は一つも無かったさ。私の手元にあったのはお前が腕利きの紋章魔法士であるという報告と、ピンボケ甚だしい写真だけ』
「それでよくわかったな。軍を抜けた魔法士は少なくない。写真でもそれが私だとわかるとは思わんが」
『ただ、魔法士としてのスタイルはお前独自のものだとアイツから聞いている。レイも驚いてたぞ、「あんな戦い方をする奴が他にいるなんて」ってな』
 ラビットは、そう言われて鳳凰には気づかれないように……ただし、しばらくラビットと同行している聖はすぐに気づいたのだが……口元を軽く歪めた。
『まさかお前が「青」に同行しているとは初めは思っていなかったが、そう考えるとそれなりに辻褄が合う』
「辻褄が合う?」
『いや、気にしないでくれ。まあ、後は女の勘ってところだ』
 そう言って、鳳凰は笑う。ラビットが納得できかねる、といった様子で首をひねりながら、ポツリと言った。
「女の勘……な。そういえばティア・パルセイトとも一戦やったが、すぐに看破された」
『……ティアと?』
 鳳凰の顔が急に険しくなる。
『ティアってあのティアだよな、軍抜けて今は賞金稼ぎっていう』
「それ以外にどのティア・パルセイトがいるんだ」
『地球に来ていたのか?』
「当然、私の命を狙っていたな。正確にはトワを手に入れるために私を狙っていた、というところだが。その後、しばらくの間同行していたが、結局姿を消した……貴女はそれを把握していなかったのか?」
 鳳凰は、顎に手を当てて、軽く唸りながら何かを考えている様子だった。ラビットとしては、聖がすでに伝えていることだと思っていたために、返ってきた反応が意外だった。
『確かに、聖の報告にあったが……それがティアということまでは知らなかった。全く、同窓会じみてきたな。あとヒューとメアリがいれば』
「そんな事を言っている場合か。彼女は『大佐』と呼ばれる人物にトワを奪う依頼を受けていたという話だ。貴女の言う『大佐』との関連は無いのか?」
『いや、おそらく別人だ。うちの上司は不気味な奴だがまだ「青」に手出しはしていないようだったから』
 鳳凰の言葉を聞きながら、ラビットは思考をめぐらせる。
 軍は無限色彩保持者を保護する義務を持つが、無限色彩保持者の存在を把握しているのは軍上層部かレイ・セプターのように無限色彩に関わった事がある者のみ。
 軍の保護下にあった最強の「青」であるトワ奪回のために動いているのはわかるが、ティア・パルセイト……つまりマーチ・ヘアや聖や鳳凰の動きは、明らかに軍と異なるものである。
 この事件は、そう簡単なものではない。
 秘密裏にトワを逃がそうとしたシリウス・M・ヴァルキリーといい、その手助けをしたクロウ・ミラージュといい、積極的にこちらを援護するトゥール・スティンガーといい。
 軍の連中が何を考えているのか。
「わからんな……わからないことが多すぎる」
 わからない、というよりも。
 何も知らないのだ。
『軍部もわからないことだらけさ。事実、この前はトゥールさんが海原を刺したとかいって捕まってたし』
「トゥールが、海原を?」
 ラビットは思わず身を乗り出した。今度は鳳凰が意外そうな顔をする番だった。
『知らないのか? トゥールさんは危険分子扱いされて軟禁中で、海原は病院送り。ついでに、帝国が「青」を狙って本格的に動き出したということで大騒ぎだ。帝国側は否定しているけどな。果てには内部にスパイがいるんじゃないかなんて根も葉もない噂も立つ始末で、混乱の渦中だ』
 深く溜息をつき、鳳凰は言った。ラビットは目を細め、鳳凰の言った内容をまとめようとしていたが、どうにも情報が少なすぎる。とはいえこれ以上の事を鳳凰から聞くのは不可能だろう。
『このような状況からか、ついにうちの上司も動き出した。さっさと「青」を捕らえてこの一連のいざこざに決着をつけるつもりだろう。そういう理由で、聖のお前等の監視は打ち切りになった。聖には早くここを離れろと言っておいた』
「そうか」
 横に座っている聖に目を移す。ラビットからは勿論見えなかったが、聖は姉とラビットから目を離そうとせず、二人の会話を一言も漏らさずに聞いていた。
「姉貴」
 沈黙を守っていた聖が、ふと口を開く。
『どうした、聖』
「俺、やっぱりしばらくはおっさんに付き合う」
 鳳凰も、ラビットもその言葉には驚きを隠せなかった。
「考え直せ」
 ラビットは、はっきりと聖に言う。
「もはや次に軍と対峙したときには大目に見てもらえまい。貴方も『青』を逃がす逆賊扱いだ。わかっているのか」
「そんなことはわかってる。だけどな、おっさん!」
 聖はきっとラビットを見据えた。元々釣り上がり気味の目が、鋭さを増してラビットに迫る。
「見てると本当に不安で仕方ねえんだ、アンタ。いくら偉そうにトワを守るって言ったって、おっさん一人じゃ絶対に無理だ。おっさんだってわかってんだろ?」
「……っ!」
「俺は戦力にはならねえし、口ばかりが達者な一介の商人だ。それでも、今この瞬間ならおっさんに勝てる自信はある。勝ち目の無い喧嘩買うばかりで、おっさんは実のところトワを守ろうなんて思っちゃいないんじゃねえのか?」
 ラビットは答えに窮した。
 聖の言っていることに、否定できなかった。
 何故か、否定の糸口が、見つからなかった。
 「トワを守る」という言葉は確かにラビットの本心から出た言葉だ。だがたった今、その言葉に秘められた大きな歪みを目の当たりにした。
「だから、打算抜きで、俺はおっさんについて行く。これでおっさんが無茶するようだったら俺はもう止めねえし、俺も何処かへとんずらする。俺はおっさんがどうするか見届ける、それだけだ」
 聖はそこまで言って、今度は姉の姿が映る受像機へと顔を向ける。
「ってわけだ。悪いな、姉貴」
『お前がそう言うのなら私は止めないさ。死ぬなよ、聖』
 鳳凰は諦めたように言うと、通信を切った。
 しばらく呆けたようにあらぬ方向を見つめていたラビットは、軽く頭を振って、掠れた声で呟いた。
「勝手にするがいい」
 ゆらり、と立ち上がり、頼りない足取りで車へと戻っていくラビットから目を逸らそうとはせず、聖はその背に向かって声をかけた。
「おっさん、聞かせてくれないか」
「何だ」
「おっさんは、何でトワと一緒にいるんだ? さっきはあんなこと言ったけど、俺はおっさんがどうしてあんなにトワを守ることに固執しているのかが知りたい」
 ラビットは、聖には背を向けたまま、振り向きもせずに答えた。
「証明したいから、かもしれない」
「証明?」
「私にも誰かを守ることが出来る、という証明だ。どちらにしろ私はもうすぐ死ぬ。それならば、私は誰かを守って逝きたいと思う。彼女のように」
 淡々とした言葉には、感情らしきものは何も含まれていなかった。
「おっさん……」
「もう寝る。見張りは頼んだ」
 言葉を紡ごうとした聖を遮るようにそういい残して、ラビットは車の中へと戻っていった。
 ただ一人その場に残された聖は、ごろりと瓦礫の上に寝転んだ。漆黒の空間に漂う光る無数の点と、その中でもひときわ強い光を放つ、破壊の象徴。
「わっかんねーなあ」
 声をあげる。
 返事はないとわかっていても、聖は大声で言った。
「俺にはわかんねえよ、おっさん。誰かを守って死んでいくなんて、それじゃあ守られた奴が可哀相じゃねえか……」