Planet-BLUE

060 逃亡と撤退

「おっさん、しくじったな」
 ぶつぶつ呟きながら、聖は拳銃の形をした熱線射出装置を下ろした。グリップに表示されたエネルギー残量はわずかになっていた。
  先ほど投げ捨てたライフルを拾い上げ、目前で倒れたスキンヘッドの大男を見据える。
 その姿はなかなか凄惨なものだった。
 男の腕や足には数十箇所の穴が開いている。だがそのどれも致命傷ではなかった。致命傷であろう傷は、胸と頭に空いた風穴二箇所のみ。そして全ての傷口から、血とは違う独特な匂いの液体が零れていた。
 冷たい柱に頭をつけ、嘆息する。
 まさかこんなバケモノと一対一で戦わされるとは思っていなかっただけに、戦闘が終わった今でも背筋が凍る。
 しくじった、とは言っても、別段ラビットを責める気は無い。ラビットの計画は確かに無茶苦茶ではあったが、この瞬間までは成功していたのだから。
 唯一、計画外だったのは。
「……こいつらの無茶苦茶さ、だろうな」
 聖は恨めしそうに大男の頭を軽く蹴る。男の目は見開いたまま、光を失っていた。人の肉体とは思えない感触。事実、この男は人間ではなかった。
「一体何処が造ってやがる、ここまで精巧な量産戦闘用アンドロイド」
 同じ顔をした男を、聖は一度撃ったことがある。その時は威力の高い、同時に自身が一番得意とするライフルによる狙撃だったが故に自身に危険が及ぶことは無く、しかも一撃必殺だった。
 だが、今回は状況が違った。
 お互いに顔の見えている状態での戦闘。当然ライフルは使えず、一瞬で間合いを詰めてくる相手に対し、聖は手持ちの熱線銃で対抗するしかなかった。
 その他にも自分が持ちうる限りの武器を使った気もするが、何しろ必死だったため正確に思い出すことは出来ない。
 まだ、冷たい汗が背中を伝っている。
 ここに来て、聖はやっと、自らが置かれている立場も理解することが出来た。
 「青」と呼ばれる少女と、それを連れた男を見張り、その行動を報告すること。
 それが、彼に与えられた「仕事」だった。
 本来行商人である彼は『青』やそれを取り巻く軍の思惑とは直接関係が無い。ただ、姉が軍人であり、そして彼自身が行商人という自由な身分であるが故、彼に話が来た。
 わざわざ部外者に頼むということは、これが軍という団体とは関係の無い非公式な、裏の仕事であることくらい彼にでもわかる。断ることも、できたはずである。
「ったく、とんでもない馬鹿だ、俺は」
 『青』についての説明は姉から受けていた。そして、それに付き従う『ラビット』の正体も、ある程度は聞いていた。
 しかし、危険性までは実感できなかった。
 興味本位でここまでついてきたが、一番大切なのは、自分の生命に他ならない。
「……くそっ」
 軽く両手で顔を叩き、一瞬浮かんだ考えを振り払う。
 その時だった。
 急に冷たい風が吹きつけ、彼の視界を奪う。
「っ!」
 目を閉じ、風が止むのを待つ。目を閉じているというのに、強い、どこから放たれたのかはわからない青い光が聖の目に届く。
 風が止み目を開けたとき、目の前には何故か、トワがいた。
 突然の出来事に驚き目を丸くするが、次の瞬間トワの足元に倒れている赤黒い血に染まったラビットの姿を認めてすぐに問う。
「何があったんだ?」
 トワは泣きそうな顔で聖を見上げ、何も言わずにすがりついてくる。唐突に出現したことにも驚いているのに、これでは聖も慌てるばかりである。
 混乱する聖に向かって、掠れてはいるがあくまで淡々とした声が告げる。
「貴方の思うとおりだ、聖」
「おっさん」
 トワの後ろで、ラビットが身体を起こしかけていた。それに気づいたトワが慌てて声をあげる。
「だめ、まだ傷が……」
「大体治っている。立つことくらいはできる」
 よくラビットの身体を観察すれば、確かに黒いコートは破れ、髪も赤黒い血で染まっているとはいえ、目に見える傷はほとんど無かった。微かによろめきながらも、ラビットは続ける。
「だが、視力補助装置をやられた。肩を貸してくれ、聖。詳しい話は後だ……ひとまずここを離れるのが先だろう」
 真紅の瞳が、聖を射る。見えていないはずの目は、しかし確実に聖を捉えているようにも……彼の内心を見透かしているようにも見えた。
「ああ」
 ためらいがちに、聖はラビットの身体を支える。ラビットの身体はやけに軽かった。トワがその後ろに続く。
 車とホバーは聖が隠れていた場所のすぐ側に隠してあった。軍の連中も「青」捜索に気を取られて車の存在まで気が回っていなかったのだろう、見つかった気配は無かった。
「聖、車の後部に小さな虫のような物体が付けられていると思う。それを取り外しておいてくれ」
 車の運転席に身体を預けたラビットは、苦しげにそれだけを言う。トワが心配したとおり、完全に傷が癒えていたわけではないようだ。
 聖は後部に付けられた発信機を取り除き、無造作に放り投げてからすぐにラビットのところに戻ってきた。
「今、一体どういう状況なんだよ?」
「軍は混乱している。リーダーは今のところ戦闘不能だ。……二人組の片割れはどうにかやってくれたらしいな。すまない、貴方に戦わせるつもりは無かったのだが」
「まあな。仕方ねえよ。で、もう一人は?」
「私には倒せなかったが、どうやら逃げたようだ。すぐに仕掛けてくることは無いだろう」
 真剣な表情で、ラビットが現在の状況を分析する。
「今のうちにこちらがルートから外れて動けばしばらくは撒けるだろう。もちろん限界はあるが」
 その言葉を聞いて、聖はふと考える。
 ラビットは、もちろん聖がこちらの動きを逐一姉に報告していることを知っている。姉が個人的な任務として以外に軍本部の『青』捜査隊に聖の報告を流している、という仮定は成り立たないのか。
 それをラビットに問うと、ラビットは微かに口端をあげる、いつもの皮肉げな笑みを青白い顔に浮かべてみせた。
「今のところ、貴方の情報が軍の動きに反映されているようには見えないな。私が思うに、軍からしても部外者でしかない貴方を使うということは、情報を集めているのは軍には知られるべきでない内部の何者か、だろう。わざわざ自分の行動を表に明かす真似などはしないと思うがな」
 それに、と言うラビットの目がまぶしそうに細められる。
「そうでなければ、私も貴方と行動を共にすることはないさ」
 あまりに冷静な指摘に、聖はただ黙ってラビットを見つめることしか出来なかった。
 聖の反応が「もうこれ以上問うことは無い」というものだと判断したらしいラビットは、車の内部に向かって呼びかける。
「龍飛、完全自動に切り替える。構わないな?」
『……はい』
 龍飛の声は、弱々しかった。
 満身創痍のラビットを見て、少なからず心配しているのだろう。
「目的地は第四ブロック街。ここからだと北だな」
「第四ブロック街? どういう風の吹き回しだよ、おっさん」
 これまで出来る限り人の住む場所を避けてきたラビットが突然町の名前で指定したため、聖は思わずラビットの言葉を鸚鵡返しにした。ラビットは憮然とした表情で言う。
「何より視力補助装置の破損が痛い。第四ブロック街に知り合いがいるから、修理の依頼をしようと思っている」
「おっさんに知り合いなんていたのかよ。意外」
「失礼な。貴方の姉も『知り合い』だが?」
 お互い軽口を叩きながら、聖もホバーに乗り込み、出発の準備を整える。
 その矢先、ずっと黙り込んでいた後部座席のトワと目が合った。青い瞳は、明らかな不安に揺れていた。
 聖は何とも言えない感覚に囚われながらも、ホバーのエンジンをふかす。
 ラビットの車と、聖のホバーは同時に走り出す。
 風を切って走りながら、聖はトワの不安げな瞳と、闇に閉ざされた先行きを考えずにはいられなかった。
 
 
 ……夢を見た。
 遊園地へ行こうと、こちらの手を引く少女の夢。
 
 
「コランダム少佐」
 かけられた声に、否応無く覚醒する意識。
 コランダムは、薄く目を開け、曖昧な視点をあわせる。
「……セイント少尉」
「お怪我はありませんか?」
「怪我は無いが、しばらくは立てないだろうな。『青』と接触したが、逃がした。そちらはどうだった」
 セイントは、言いづらそうに眼を伏せる。
「どうした」
「相手は予想通り紋章魔法士でした。……この場に来た目的を問いただそうとしたのですが、魔法により全員が行動不能に陥りました。現在も回復しているのは私を含め半分程度です」
「何だと?」
 起き上がれないというのはわかっていても、コランダムの身体に力が入る。
「申し訳ありません、少佐。私の判断ミスです」
 言うセイントの声はコランダムの耳には入っていなかった。
 何かが引っかかる。
 いくらコランダムの使うアスガルズクラフトとは違うタイプの紋章魔法といえ、一度にかなりの人数を相手にした上で、その全てを行動不能に陥らせるのは人間の持つ能力限界を超えている。
 それとも、魔法士の頂点ともいえるコランダムも知らないような特殊な計算回路を用いているのか。
 それとも。
「本当に、それは魔法だったのか?」
「え?」
「いや、気にするな。独り言だ」
 目をセイントから空に移す。
 空にはすでに光が射し始めていた。どれだけの時間眠っていたのだろう、と思う。
 地球の空は、白い。
 白い髪を靡かせ、コランダムからすれば無様としか言えない戦い方でありながら、彼に膝をつかせた男の姿が蘇る。
『黙れ、貴方に彼女の何がわかる』
 無表情ながら、明らかな怒りを込めて言った、白兎。
 わかるわけがない。わかりたくもない。
 目を閉じれば、瞼に映るのは夢の続き。
 無邪気に笑って手を伸ばす、小さな少女。
 もう片方の手には、小さな少年の手が握られていた。
「……無限色彩は、全てを壊す」
 儚い夢を貫くように、はっきりとコランダムは言った。
「その前に、止めなくてはならない」
 再びセイントを見据え、今までの感傷など忘れたかのように普段どおりの冷徹な口調で言った。
「すぐに報告しろ。『青』のこともだが、今回の二人組のこともだ。……間違いなく、あの二人組は我々の敵だ」
 いつしか、遊園地も元の静けさを取り戻していた。