Planet-BLUE

056 嫌悪の正体

 コランダムは、鋭い、刃のような瞳であからさまにこちらを睨みつけていた。ゆらりとラビットと同じ紋章が刻まれた手を揺らし、言う。
「……謀ったな、白兎」
 ラビットはトワを庇うように一歩前に出て、淡々とした口調で言った。
「何のことだ」
「あの二人組と、我々を衝突させる気でこの場を選んだのだろう?」
 コランダムの言葉も、ラビットが思う以上に淡々としていた。確かに怒りや焦りなどの感情は端々に感じられるが、それもかなり微弱なものである。
「気づいていたのか」
 そこまではっきりと断言されるとは思っていなかったラビットは、純粋な感嘆を込めて言った。
 それを侮辱と受け取ったのか、コランダムは少しだけ眉を上げる。
「今気づいたのだ。全く、私も堕ちたものだ。……しかも、私はまんまと誘い出された形になったというわけだな」
 コランダムは真っ直ぐにこちらを見据えたまま、言う。ラビットも隙を見せないよう常に右手に意識を向けながら、コランダムを見た。
 単純な実力から言えば、ラビットはコランダムには勝てない。
 正統な魔法士であり、数々の紋章をその身に刻んでいるであろうコランダムに対し、ラビットの魔法は自己流であり、しかもその左半身にはほとんど紋章が刻まれていない。
 だからこそ、コランダムを「誘う」ことが必要条件だった。コランダムを混乱させ、何とか「一人」でこの場に連れてくること。そこまでは何とか成功したといえよう。
「それでも、まともに戦って貴方には勝てるとは思えんがな」
 ラビットは目を伏せ、呟く。
 トワが、ラビットのコートの裾を掴み、その影からコランダムを見た。コランダムもそれに気づいたらしく、今までほとんど変えなかった表情をあからさまに歪めた。
 その表情は、ラビットには嫌悪としか感じられなかった。
 怯えるトワを再び背後に庇いながら、ラビットは無表情を保ちながらも声に呆れた響きを混じらせる。
「彼女を脅かすのは止してくれ」
「脅かす? 誰が」
 コランダムの目つきは、先ほどとは一変していた。元々全てを貫くような光を持った瞳は、冷たさを増してラビットを刺す。
「とにかく、一応形式的にだが聞いておこう」
 言いつつ、コランダムは一歩こちらに足を出した。ラビットはその場から動かず、ただ少しだけ足を曲げ、両足に意識を向ける。
「……それを、こちらに渡せ。そうしてくれるのならば、お前の安全も保証しよう」
 あくまで「形式的」なコランダムの問いに、ラビットも「形式的」な否定のリアクションを取った。これが無意味な問答であることも、お互いによく理解していた。
 退けないのは、どちらも同じことなのだ。
「全く、強情な奴だ。そうでなくては面白くないがな」
 コランダムは再びゆらり、と手を揺らめかせた。青白い光が、コランダムの手に宿る。ラビットのように構えたりはしない。直立不動の姿勢のまま、腕だけを揺らしてラビットに狙いを定める。
 だが、ラビットの判断も早かった。
 ラビットはコランダムに背を向け、半ば無造作にトワを抱き上げる。
「 『死呼ぶ神の槍(グングニル)』 」
 コランダムが魔法を放つのと、
「 『闇駆ける神馬(スレイプニル)』!」
 ラビットがその場から消えるのは同時だった。
 
 
 がん、と頭を揺さぶられたような嫌な感触。
 ラビットは何とかそれに耐え、空を蹴って着地する。
 抱き上げていたトワを下ろし、すぐに術を解く。羽のように軽かった体が急に重量を増したような感覚と共に、襲い掛かる疲労感と込み上げる嘔吐感。それは、今の術の副作用だけではないのかもしれない。
「ラビット」
 トワが不安げな表情を浮かべ、ラビットを見上げている。
「大丈夫? 顔、真っ青だよ」
 ラビットは手袋を外した右手で頬を伝う冷たい汗を拭った。
「油断した」
 息が切れ、汗が止まらない。視界がぐらりと揺らぐ。
 原因はわかっている。
「あのタイミングで当てるとは、どういう出力をしているんだ」
 ラビットは、コランダムが『死呼ぶ神の槍(グングニル)』を放つと同時に高速移動の術を発動させれば簡単に避けきれると思っていた。少なくとも、ラビットが同じ技を放ったならば、間違いなく避けることが出来る計算だ。
 だが、コランダムの放った術は、高速移動の直前に、ラビットに到達していた。直撃は免れたが、どうやらどこかで掠めたらしく、気を抜けば意識が遠ざかる。
 流石は紋章魔法士の中でも最上級の実力を持つ男。術の威力と速度を限界まで極めているという噂はデマではないようだ。
 それでも、ここまでは計画通り。
 ラビットは思いながら、背後にそびえる巨大な城を見上げた。
 ラビットとトワが立っているのは、遊園地の北に聳える城のバルコニーだった。ここからならば、遊園地が一望できる。
 そして、ここならば、十分な広さがある。
「トワ、下がっていろ」
「……戦うの?」
 トワが心配そうに問う。今の一撃で、ラビットはかなり消耗しているように見えた。事実、消耗は半端ではない。
「コランダムはセプターのように簡単には撒けない。そのために、この機を作ったのだ」
 トワを守ると宣言した以上、逃げられないのならば、戦うしかないのだ。もとより、戦うつもりでコランダムを誘ったのだ。
 実力は間違いなく相手の方が上。だが勝機を用意していないわけでもない。
 ラビットは、トワの頭の上に手を載せた。淡く青色がかかったトワの銀髪は、城のイルミネーションに照らされ、神秘的な輝きをも伴っていた。
「それに」
 ラビットは、遊園地を眺めながら口端を歪めた。まだその顔色は青かったが、高揚する気分が、彼の意識を研ぎ澄ませていく。
「私は、前々から、一介の魔法士としてケイン・コランダムと戦ってみたいと思っていた」
「……ラビット」
「馬鹿馬鹿しい話だな。子供でもあるまいし。この事態で、不謹慎もいいところだ」
 見上げるトワに、ラビットは自嘲気味な表情を作る。
 遊園地にコランダム率いる軍と「追手」を誘い出し、コランダムと一対一で戦う場所を作る。そこで隊長であるコランダムを倒し、混乱する軍と「追手」を撒いて遊園地を脱出し、東へと向かう……
 ラビットの作戦は、穴だらけにも見えた。
 ここまで上手く行っているからいいものの、ここでコランダムを倒すことが出来なければ、先には進めない。
 コランダムと衝突せずに事を済ませるという選択肢も無いわけではなかったはずである。それでもこの作戦を選んだのは、おそらく。
「勝てる?」
 トワが問う。
「勝つさ」
 ラビットが、はっきりと答えた。
 それは、トワを守るという義務感であると同時に、魔法士としての意地でもあった。それがトワからすれば意外に映ったようだった。しかし、それはけして不快な感覚ではなかったのだろう、少しだけ微笑み、ラビットの左手を強く握った。
 ラビットは、自嘲気味な笑みを消し、サングラスの下の目を細めた。
 バルコニーに吹き付ける冷たい風が、照らされるラビットの白い髪を巻き上げる。
 沈黙は、数秒と続かなかった。
「……『疾風喰らう翼(ヴェズルフォルニル)』!」
 突然、ラビットは右腕を強く振るった。肩口から展開された渦巻く空気の膜がラビットとトワの周囲を覆う。
 刹那、空気の膜に何かが衝突し、相殺された。ラビットは即座に術を解くと、そこに立つ影に向かって叫んだ。
「彼女に当てる気か、ケイン・コランダム!」
 先ほどと同じように、忽然とバルコニーに現れたコランダムは、遠くの観覧車を背に、不快そうに鼻を鳴らした。
「当てられるようだったら当ててしまいたいところだがな」
 握った左手から、トワの怯えが伝わってくる。コランダムの放つ嫌悪感は、明らかにトワに対して向けられたものである。ラビットは、何故コランダムがこのような嫌悪感をトワに向けるのかも理解していた。
 理解していたが、あえて問う。
「何故、貴方は彼女をそう目の敵にする」
 コランダムは、目を細め、ラビットを見下すように眺めた。
「では、お前に問おう」
 少しでも余計な動きをすれば先ほどのように術を打ち込まれる。そのような確信をも持たせるような緊張感の中、コランダムは言った。
「誰が制御装置も存在しない破壊兵器を好きになれる?」
「何のことだ」
「お前が『彼女』と呼んでいるそれだ。今まで何も知らないままここまで来たわけでもあるまい?」
 トワが、強くラビットの左手を握ったのがわかった。ラビットはコランダムの言葉の一つ一つに強い不快感を覚えつつも、あくまで冷静を保ちながら言った。
「ああ、彼女が強大な力を持っているということは、理解している」
「ならばわかるだろう。それは人間ではない。人の形をした兵器だ。人の身には、その力は強大すぎる」
 コランダムの目に、昏い何かが宿ったように見えた。
 何を言われようとも、動いてはならないということはわかっていた。それでも、ラビットはどこか奥深くから湧き上がってくるような黒い感覚に身を任せてしまいたい衝動に駆られていた。
 普通なら、それはトワを侮辱されたことに対する怒りといえるものなのだろうが、今ラビットを支配しつつある感覚は、怒りとは程遠いものだった。
 言うなれば、それは悲しみに近かった。
 無理矢理理性で湧き上がる衝動を押さえ込み、表情は凍らせたままできっとコランダムを睨みつける。
「彼女が、兵器なわけはない。人として生まれ、人として生きている彼女を何故人として見ない」
 珍しく強い語調で言ったラビットを、コランダムは強い侮蔑と、何故かほんの少しの純然たる哀れみを込めた目で見据えた。
「……お前は、『無限色彩』を知らないからそのようなことが言えるのだ」
 一歩。
 コランダムが歩み寄る。
「お前と話していても埒が明かない。無駄話は終わりだ」
「そうか」
 ラビットは、少しだけ俯き、コランダムには聞こえないくらいに小さな声で呟いた。
「結局、貴方はわかってくれないのか」
 かろうじてラビットの言葉を聞き取ったトワは、びくりと身体を震わせた。ラビットの背後にいるためその表情を窺い知ることは出来なかったが、ラビットが放った一言は、コランダムの冷酷な言葉よりも、冷たく、虚ろでいて遥かに攻撃的なものに感じられた。
 ラビットは、ゆっくりと左手をトワから離した。
「待っていてくれ。貴女をけして傷つけさせはしない」
 その声は、一瞬前の凍った響きを忘れさせるくらい、穏やかなものだった。先ほどの言葉は聞き間違いだったのかと疑いたくなるくらいに。
 トワはためらいがちに頷くと、ニ、三歩ラビットから下がる。
 ラビットはその気配を確認すると、右腕を構えた。直立不動の姿勢のまま動かないコランダムに対し、ラビットは足を少し曲げ、すぐにでも全身が動かせるように神経を張る。
「ケイン・コランダム」
 ラビットは目線だけはコランダムから外さないようにしながらも、少しだけ口端を歪めた。
「改めて、魔法士として、貴方と出会えたことに感謝する」
 淡々と、いつもどおりの口調で言い放ったラビットに、コランダムもトワをめぐるやり取りを忘れたかのような感情の無い声で答えた。
「……なるほど、あくまで魔法士として私と戦りあう気か」
「ああ」
 ラビットが声だけで肯定する。
 トワは、突然正気に戻ったような二人を不思議そうな顔で見つめていた。
 しばらくの沈黙の後、コランダムが、ゆっくりと表情を歪めていく。
「愚かだな、白兎とやら」
「愚かなのは承知だ。だが」
 ラビットははっきりと言った。
「一人で私の誘いに乗った地点で、貴方も十分その気だろう?」
 コランダムは一瞬目を見開いたが、すぐにくつくつと笑い出した。
「なるほど、お前と私は随分似ていると見える」
 が、すぐにコランダムは笑うのをやめ、真っ直ぐにラビットを見た。今度はどこか侮蔑を含んだ目線とは違う、「戦闘相手」としてラビットを認識した鋭さを持っていた。
 ラビットも、すぐに思考回路を切り替える。
 先ほどの、嫌悪に満ちた平行線の会話はもう意識の外に追いやられた。目の前にいるのは、自分と同じでありながら根本的に異なる、「戦闘相手」……
「容赦はしない」
 コランダムの声が、不釣合いなまでに陽気なバックグラウンドミュージックを貫き通す。
「私との勝負を避けなかったことを後悔しろ、白兎」
 ラビットは、最後まで言葉を聞くことなく、軽やかに地を蹴った。