Planet-BLUE

050 強行突破

 そうこうしている間に、道はあっという間に機兵に埋め尽くされていく。そのどこにも、ラビットたちが通る場所があるようには見えなかった。
 迷ったのは、一瞬。
 ラビットは、鋭く声を飛ばした。
「龍飛!」
『はい』
 投射機にはミラージュの画像を映し出したまま、龍飛の声だけが車の中に響く。ラビットは目の前に湧く機兵を睨みつけながら、言った。
「強行突破する。重力制御をこっちに渡せ」
 珍しく断定的な口調で命令を下すラビットに、龍飛の声は困惑を交える。
『しかし、重力制御機能は損傷率が七十六パーセントで』
「構わん。自動処理を全て放棄して、手動処理に切り替える」
 龍飛は続けて何かを言おうとしたが、これはマスターであるラビットの「命令」である。一介のプログラムでしかない龍飛が逆らうことは出来ない。一瞬の沈黙の後、静かな龍飛の声が響いた。
『了解しました』
 ラビットは今まで一回も触れたことも無い、運転席の無数のスイッチに目をやった。元々スクラップだった車である。かろうじて動く程度の機能しかなく、備え付けてあったはずの特殊な機能はほとんど動かなくなっている。
 それでも、ここまで来て捕まるわけにはいかない。
 恐怖と不安の表情でこちらを見るトワに、ラビットはバックミラー越しに目を細めて見せた。
「しっかり掴まれ」
 トワは、真剣なラビットの表情を見て、こくりと頷くしかなかった。
『兎、どうか』
 クロウが、上目遣いにラビットを見ていた。ラビットは目を機兵へと戻し、言った。
「……やってみせる。捕まえさせるわけにはいかないからな」
『うん』
 その声と共に、クロウの姿は投射機から消えた。通信を切断したらしい。賢明な判断だとラビットは思う。彼女がミスをしでかすとは思わないがこの状況でハッキングでもされればラビットにもクロウにも不利になる。
『システム手動変更、行けます』
 龍飛の言葉と同時に、ラビットは不自由な右手首をハンドルに引っ掛けて無理矢理ハンドルを固定し、空いた左手でボタンを操作しつつ、併走する聖に向かって言う。
「聖、飛ぶぞ」
「飛ぶって……えぇぇっ!」
「貴方は単車ホバーだ。こっちよりは楽だろう」
 あっさりとした口調のラビットだったが、聖の顔色は青い。それはそうだ。普通に考えれば、ラビットの車も聖のホバーも、「飛行用」ではない。重力制御で浮遊はできるが、高度はキープできない。
「待ておっさん! そんな無茶を」
「無茶は承知だ」
 喋っている間にも、機兵の波は迫りくる。
「無計画にもほどがあるぜこのバカ兎!」
 聖の悲鳴と。
「行くぞ」
 ラビットのあくまで淡々とした……覚悟を決めているらしい声が唱和した。
 がくん、という奇妙な揺れと共に車の速度が上がる。
 緩慢な動きでこちらに向かってくる機兵。こちらに攻撃をするというよりは、ただ進むのを妨げようとしているだけのように見える。よく見ると、機兵の波の中には、機兵の動きを統率しているらしい軍人の姿もちらほらと見える。
 ラビットは手元も見ずに、制御のボタンを押してゆく。目指すは、機兵たちの上空。ラビットの目は目標位置しか見ていない。
「何とか成功させてみせる。着地したらすぐに異常個所の確認をして、安定を確認したら自動処理に切り替えてくれ」
『了解』
 龍飛の声にも、すでに不安は無かった。マスターであるラビットを信頼しきっているのか、または普段到底見せることの無かった、どこか吹っ切れた雰囲気に呑まれているのか。
 モニターをちらりと確認してから、制御のプログラムを入力する。再びがくん、と車が揺れる。モニターは制御不能を示す赤いランプを点灯している。
「このポンコツが!」
 ラビットは毒づくが、今更これはどうにもならない。
 あと、三秒で衝突する。
 ラビットの手が、ボタンの上を走る。出来ることをするしかない。
 二秒。
 モニターの表示が変わった。何を表示しているのかなどを確認している暇は無かった。もう、機兵は目の前にいた。
 一秒。
 息を止める。トワが、目を閉じながらもしっかりと後部座席に掴まっているのが、バックミラー越しに見えた。
「飛べ!」
 ラビットは叫んだ。
 その瞬間、身体の中身が沈むような不快感がラビットたちを襲った。
 フロントガラスに迫っていた機兵が、急に「落ちた」ように見えた。
 いや、それは違う。
 そうラビットが気づいたのは一瞬後のことだった。
 車は重力制御システムの反発によって機兵の上に浮き上がっていた。そのまま、勢いのついた車は機兵の波を飛び越える。機兵に取り付けられた単眼のセンサーが頭上の車を追うが、流石にこのタイプの機兵が飛ぶことは出来ない。
 だが、安心も出来なかった。
 スピードが予想以上に出ていなかったため、この膨大な数の機兵を完全に飛び越えることは難しいと、直感的に判断できた。
 ラビットは、壊れかけの速度増幅機構を復活させるべく、ボタンを決まった順序で素早く押していく。システムによって落下速度は落とされているとはいえ、少しずつ高度は落ちてきている。
 確実な処理を進めるが、モニターは「増幅機構損傷中」の文字を浮かび上がらせるばかり。
 焦りはつのる。
 着地に失敗すれば、捕まる捕まらない以前の問題で、生命が危険にさらされる。
「……くそっ、動け!」
 ラビットは、吐き捨てるように言って、拳で強くボタンを叩いた。
 機械というものは、いつの時代も意外と適当なものである。
 モニター上の表示が消え、再び襲い掛かる浮き上がるような感触と共に、窓の外の風景が流れた。増幅機構が復活したのだ。
 ボタンから手を放し、ラビットは左手でハンドルを握り締めた。
 真っ直ぐに前を見据える。機兵の波はもうすぐ途切れようとしていた。高度は十分。乗り切れる。
 思っている間に、波が途切れた。バックミラーを見ると、機兵は背後へと消えていく。切れそうになる集中力を何とか保ちつつ、今度は着地の衝撃を想定しながらハンドルの感触を確かめる。
 ゆっくりと、車の高度が落ちてゆく。
 機兵は追ってくる気配を見せない。いや、追ってきたとしても、通常の四足機兵の機動力では車には敵わない。
 地面が近づく。着地の瞬間だ。
 車体が今までで一番大きく揺れ、ハンドルが揺さぶられそうになる。地面に接触はしていないが、普段のシステムとは違うモードにしていたため、地面との距離感覚が掴めなかったのだ。
 ラビットはハンドルが安定したのを確認してから、重力制御モードを通常に戻す。すると、モニターがちかちかと点滅し、「自動処理切替」という文字を映し出す。
『全てのシステムを支配下におきました。自動処理モード切替完了』
 龍飛の声を聞いて、ラビットは大きく息を吐く。ひとまず、ここは乗り切れた。
「すまんな、無理言った」
『いえ、ただ、これからはこんな無茶をしなくて良い方法を考えてください』
「……そうだな、そろそろ行き当たりばったりは止めて真面目に考えるとするよ」
 ラビットは無表情ながらも溜息混じりに答えた。ラビット自身、こんな真似はもう勘弁してもらいたいと思っているようだ。
 横を見ると、聖も何とかこの曲芸をやり遂げたらしく、無言のままきっとこちらを睨みつけながら走っていた。
「このまま町を抜けて、先に行く。いいな?」
 ラビットは聖に向かって言うが、返事はない。どうやら、機嫌を損ねたらしい。もちろんラビットも今の行動について何か言われたとしても反論は出来ないので黙っていることにした。
 トワが、そこでやっと目を開けて振り返り、小さくなっていく機兵の影を見つめていた。不安げな表情は消えてはいないものの薄れていくのが手に取るようにわかった。
 もう一度溜息をついてからハンドルにもたれかかったラビットは、ただ一言だけ呟いた。
「ケイン・コランダム……」
 
 
「なるほど、上の言うとおり無茶苦茶な奴だ」
 ラビットたちが逃げ出した町から少し離れた場所に、寂れた宇宙港があった。そこに停泊していたのは、何もない港に似合わない、巨大な連邦政府軍の船。
 その一室で機兵から送られてくる映像を見ていた一人の男がいた。
 真紅の軍服に身を包み、短い黒髪はきちんと整えられている。背はそれなりに高く、しっかりとした体つきをしている。あらゆる意味で「軍人らしい」雰囲気を漂わせている。
 だが、一番目を引くのはその右の目の上から顎の辺りまでにかけて刻まれている、奇妙な形の刺青。
 それは、彼がラビットと同じ、「紋章魔法士」であることを示していた。
「いかがですか?」
 横に立っていた女軍人が、その男に対して問う。男は「そうだな」と呟いてから、鋭い瞳を細めて言った。
「確かにまともに相手すれば厄介な相手かもな。あの状況を無理矢理切り抜けるのだから、正攻法は通じそうに無い。セプターが苦戦するわけだ」
 そう言いながら、男はくつくつと笑う。どこか、楽しげに。
「だが、負ける気はしないな」
 男の言葉に、女軍人、レイ・セプターの副官である連邦政府軍少尉ルーナ・セイントは微動だにせず、ただ笑う男を見つめていた。
「それより、セイント少尉。……貴女はセプターの副官だろう? セプターの側にいなくて良いのか?」
 セイントはそう言われて、マニュアルに書かれているかのような答えを返した。
「大尉は一ヶ月間の休暇を取りました。私はその間、コランダム少佐の下で『青』と『兎』の情報を出来る限り伝達させていただきます」
「上がそうしろって言ったんだろう? まあ、貴女はセプターと違って優秀だ」
 男、コランダムは席を立ち、セイントに向かって言った。
「それでは早速作戦を立てよう。今まで得た情報を提供して欲しい。私は今のところ何も聞かされていないからな」
「了解しました」
 そのまま、コランダムは部屋を去った。
 セイントは、モニターに再生されている、逃げていくラビットの車を奇妙な表情で見つめていたが、すぐにコランダムの背を追って部屋を出て行った。