Planet-BLUE

048 瞳の記憶

「やあ、来たか」
 軍本部の研究室に連れられたトゥール・スティンガーは、白衣を着た笑顔の老人に迎えられた。
 老人はかなりの高齢で、老人らしい皺だらけの顔にぼさぼさの白髪と髭が特徴的だったが、雰囲気だけは研究者というよりも軍人に近い鋭さを持っていた。
「世話になるわよ、爺さん」
 トゥールも、笑顔でそれに応えた。
 老人は、トゥールの背後に控えていたメーア直属の軍人2人に言う。
「もう下がっていいぞ。終わったら呼ぶからな」
「メーア大佐はメンテナンス終了までここに待機しているようにと……」
「この研究室では私がルールだ。私が出ろと言っているのだ。外で待っていろ」
 皺だらけの顔の中でひときわ目立つ凍て付くような青灰色の瞳に射すくめられ、軍人二人は情けない返事をしながら慌てて外へ出て行った。その様子を見たトゥールはくすくすと笑う。
「いい気味。相変わらずかっこいいわね、リカー老」
「男に褒められても嬉しくないわい」
 老人、シン・O・リカーはそう言ってからからと笑う。
 そうしてお互いに軽口を叩きながら白衣の研究者たちが慌ただしく働いている研究室を通り抜け、奥にある部屋へと入っていく。部屋の中にはどうにも用途がよくわからない機械に囲まれた大きなベッドがあった。
 リカーは部屋の扉を閉め、鍵をかけてからトゥールに向き直った。その表情は今までとうって変わって真剣そのものだった。
「災難だったな、トゥール」
 トゥールは着ていた上着を脱ぎながら、目を伏せる。
「あたしとしたことがスマートじゃないやり方しちゃったからね。そういえば、凪くんはどうした?」
「ああ、今セントラルの病院にいる。一回脱走したが、その後すぐに捕まってな。だが……」
 機械のスイッチを手馴れた動きで動かしながら、リカーは目を細める。
「どうもお前に刺される前数日の記憶が飛んでいるらしくてな」
「それは確実?」
「おそらく。カルマが確認した」
 脱いだ上着を側にあった籠の中に無造作に入れて、トゥールは苦笑を見せた。
「ま、カルマの能力じゃ間違いないわね」
 カルマ・ヘイルストーム。無限色彩保持者『白の三番』である。『白の二番』クレセント・クライウルフほどではないが人の精神への介入を得意とする保持者として知られている。
 カルマは完全な軍の管理下にあり、無限色彩を利用してこのような事件の証言真偽確認や精神鑑定に活躍している。本人は重い病気を患っていて現在軍本部の一室で臥せているが。
 リカーはそんなトゥールを見つめていた。トゥールの表情から何かを読み取ろうとでもしているのだろうか。そんな視線だった。
「トゥール」
「何?」
「言える範囲でいい。お前、一体何がしたいのだ?」
 投げかけられたあまりに直接的な質問に、トゥールは一瞬呆気に取られた。細い指を額に当て、呆れた表情になるしかなかった。
「もうちょい婉曲的に聞けない?」
「私の性格はよくわかっておろう、ティアイエルの末息子」
 ほっほっほ、と笑ってリカーは言う。その言葉に、トゥールは眉を寄せた。もちろん、メーアと対している時のようなあからさまな不快の表情ではなかったが。
「その呼び方やめてよね」
 リカーは笑いながらも、目だけは真っ直ぐにトゥールを見据えたままで言った。
「シリウスも心配していたぞ」
「大丈夫、確かに心配はされるだろうけど、疑われてはいないと信じてるから」
 ベッドに腰かけたトゥールはそこで自身ありげな笑みを作る。が、すぐに目を伏せ、小さな声で言う。
「正直、まだ話せない。あたしとしても確信は持ててないから」
「ならば私としても深く問うことはせぬが……何か、私に出来ることは無いか?」
 穏やかな声で、リカーは言った。トゥールは微笑してから、それに答えた。
「ありがと。……じゃあ爺さん、二つほど、頼まれてくれないかしら」
「何だ?」
 トゥールの作り物めいた真紅の瞳が微かに彷徨う。それは、彼の不安をそのまま表しているようにも見えた。
「一つは、今の地点での『青』をめぐる軍部の状況を教えて欲しいの。爺さんが知ってるだけでいいわ」
 少々腕を組んで何かを考えていたリカーだったが、数秒の後に口を開いた。
「上の会議の結果、レイが『青』奪還任務から外された」
 
 
 レイ・セプターは軍本部の宇宙船格納庫に佇んでいた。そこに、副官であるルーナ・セイントが駆け寄ってくる。
「大尉。こんな所にいらっしゃったのですか」
 セプターはセイントに顔を向ける。その表情はどこか暗かった。
 確かに今までの『青』奪還をめぐる攻防で、セプターの指揮系統に問題があったのは否定できない。だが、今回の上の決定は彼にとってあまりにも突然すぎた。ショックを隠せないのは当然といったところだろう。
 もちろん、彼の表情に影を落とすのは、そのような理由だけではないのだが。
「ああ、セイント少尉。……すまん、考え事をしててね」
 薄く笑みを浮かべながらそう答えたセプターの声は優しげな響きを込めていた。実際、この『軍神』候補とも言われている男は、戦場に立ってさえいなければとても温厚な気質を持っている。
 セイントはそんなセプターの様子を黒曜石の色をした瞳で見据えながら、事務的な口調で言う。
「ヴァルキリー大佐からの通達です」
「聞かせてくれ」
「 『青』奪還任務の指揮はスティンガー大佐の副官、ケイン・コランダム少佐が受け継ぐことになりました」
 聞きながら頷くセプターはどこか上の空である。それに気づいていながらも、セイントは直立不動で言葉を続ける。
「セプター大尉はこれから地球に待機していただき、上からの指示を待つ形になります」
「そうか。……わかった」
 本当にわかっているのかいないのか。セプターの目は、セイントではなく虚空を見つめていた。ついに耐え切れなくなったセイントはセプターに言った。
「大尉」
 セプターは「何だい?」と首を傾げる。
「これは私から言うべきことではないとは思うのですが、言わせてください」
 セイントはきっとセプターを睨みつけた。それは、普段けして感情を表に表さないセイントらしくも無い表情だった。
「貴方は、本当に『青』を奪還する気があったのですか? 『青』と数度接触しつつも、ことごとくそれを逃してきました。チャンスがあったにも関わらず、です。それに、貴方は」
「わかってる、わかっているんだ」
 続けようとしたセイントを、セプターの声が遮った。噛み付くようなセイントとは裏腹に、セプターの声はいたって静かだった。
「初めは、ただの任務だと思っていた。『青』を連れ戻せばいい、それだけの任務だと」
 セプターは目の前に置かれている宇宙船を見た。銀色の、流線型のフォルムをした小型宇宙船。何度も破損したのか、装甲をよく見てみるとやけに接ぎが多い。
 宇宙船の扉にあたる部分には、『ディバイン』という文字が刻まれていた。
「だけど、いつからか、それは俺にとってただの任務じゃなくなっていた」
 セイントは、思わぬセプターの言葉にただ沈黙するしかなかった。
「いつからか、俺は夢に見るようになった。昔死んだはずの相棒の夢。そして、死んだはずだったアイツは、俺の前に現れた。でも、手を伸ばしても届かない。それから、俺は『青』ではなく、アイツの影を追うようになった」
 セプターの澄み切った緑の瞳が見ているのは宇宙船なのか、それとも、そこにある彼にしか見えない何かなのか。
「それに、アイツと同じ目をした奴が現れて」
 セプターの脳裏には、先日の美術館での攻防で見た、白兎の目が焼きついていた。その色こそ違えど、同じ深淵をたたえた瞳。
 セプターは軽く頭を振ってそのイメージを振り払い、セイントに向き直る。
「だから本当にセイント、君にはすまないと思っている。これは全て俺の私情だ。副官である君には多大な迷惑をかけた」
 セイントは、あまりに真っ直ぐにこちらを見つめてくる緑の瞳を受け止めることが出来ずに、目を逸らして俯いた。
「いえ、そんなことはありません」
 かろうじて、それだけを言うと、セプターは目を細め、口端を少しだけ上げた。
 そしておもむろに歩み出し、すれ違いざままだ俯いて固まっていたセイントの肩をぽんと叩いた。
「変なこと言って悪かったな。しばらくは指示も来ないだろう。地球に戻ったらゆっくり休んでおくといい」
 セイントがはっとして顔を上げると、セプターはすでに格納庫から出て行こうとするところだった。セイントは軽く駆け足になりセプターの背を追いながら、半ば叫ぶように言った。
「大尉!」
「何だ?」
「まだ、貴方は彼の……クレセント・クライウルフの影を追うつもりですか?」
 そう、セプターはそれについては何も言っていない。『青』の任務から外されたが、地球での待機命令が下っている以上、セプターは地球への滞在が認められているということになる。
 先ほどの言動から言っても、セプターがすぐに諦めるとは思えない。『青』の奪還任務という枷が外れたこの状況は、逆に。
 振り向いたセプターは笑っていた。
 それは、セイントが初めて見る、セプターの素直な笑顔だった。
 
 
「初耳」
 トゥールは苦い顔をして呟いた。リカーも眉根を寄せ、頷く。
「しかも、後任はバルバトスの副官、ケイン・コランダムだ」
「最悪。わざとやってるんじゃない? 誰よそんなこと言い出したの。兄貴?メーア?」
「もちろん、ヴィンター・メーアだ」
 トゥールは腕組みをして、頬を膨らませる。どうにも解せない。メーアが何を考えているのか測りかねている。一つ、予測はあったがそれはまだ確信には至っていない。
 ひとまず、それを確かめるためにも、「じゃあもう一つの頼みごと」と人差し指を立て、トゥールは言った。
「爺さん、リィは覚えてる? 十年前に死んだ」
 突然、関係のない話をされてリカーは驚く。トゥールが突如として突拍子もない事を言い出すのはいつものことだが、このタイミングで来るとはリカーも計れなかった。
「おお、あのべっぴんさんだろ? 忘れもしないが……」
「リィの死因とその前後数ヶ月間の周囲の行動を、調べて欲しいの。プラムとロズにも言っておいて」
「何だ、それは。あの時はお前が洗いざらい調べたんじゃ……」
 トゥールの言葉の意味がわからず戸惑うリカーに、トゥールは真剣な表情で詰め寄る。
「確かに、あの時はね。でも、また調べて欲しいの。あたしはあの硝子部屋の中から動けないから」
 リカーは、戸惑いの表情こそまだ拭えずにいたが、しっかりと頷いた。
「何が目的かは知らんが、やれるだけはやってみよう。お前のような調べ方は出来んがな」
「十分。ありがと、爺さん」
 トゥールは、不安そうな目をしつつも、微笑んでみせた。
 わからないことは多すぎる。この一連の事件の正体はトゥールにもまだわかっていない。それでも、手を尽くせばきっと何かが見えてくる。
 それが最悪の事態であろうとも。
「さあ、そろそろメンテナンスに入るか。……遅れてもヴィンターに怪しまれるだろう」
「ええ」
 リカーに促され、トゥールはベッドに横たわった。閉じた目の奥に見えたのは、やはり「彼女」の青い瞳だった。