Planet-BLUE

047 興味対象

 聖は、珍しくいつもより早く目を覚ました。寝心地の悪い小型テントから這い出ると、辺りを満たす肌寒い空気に思わず身体が震える。
 彼等が今日泊まっているのは工場の跡地だった。見渡すと鉄のパイプがいたるところに走っている。それらのほとんどは壊れ、錆色に変色していたが。崩れた天井を見上げると、まだ空は薄暗かった。日の出まであと少しといったところか。
 ふとすぐ横に停めてあったラビットの車に目を移すと、トワは後部座席に体を丸めて横たわり寝息を立てているようだったが、ラビットの姿がどこにも見えない。
 普段聖が起きる時間ならば、既にラビットは朝食の準備を整えて聖とトワが起きてくるのを待っているのだが、よく考えてみるとその前にラビットが何をしているのかは知らない。
 その時、廃墟の奥で何かが閃いた。青白い光の帯のようであるそれは、ちかちかと明滅しながら何度も闇の中を揺らめく。
 何かと思い、聖はそちらへと近づいてみた。微かに白い息が、張り詰めた冷たい空気の中に流れて消えてゆく。
 薄暗がりの中、揺らめく光と共にその姿が完全に浮かび上がると、聖は思わず立ち止まって目を丸くした。
 青白い光の正体は、澄み切った鋭さを湛えた一振りの光の刃だった。そして、左腕に光の刃を持つ影……ラビットは、目を閉じて、その場に佇んでいた。
 珍しくコートを羽織っていないその身体は折れそうなくらいに細く見えた。青白い光に照らし出された白い肌と白い髪は目の前に存在していることが奇妙なくらいに儚いもののように思えたが、同時に近づいたものを全て斬り裂く、鋭すぎる氷の牙のような印象も受けた。
 聖は声をかけようかとも思ったが、足が竦み、声が出ない。かなりの時間共にいたはずだというのに、このようなラビットを見たのは初めてだった。
 恐怖なのか、それとも全く別の感情なのか。
 身が凍るような感覚を抱きつつ、ただラビットを見つめていることしか出来ない。
 そうしているうちに、ラビットの腕がゆらりと揺れた。光が、帯を描く。
 かろうじて耳に届いたひゅっ、という奇妙な音はラビットが息を吐いた音なのだろう。その瞬間、ゆっくりと揺らめいていた光の刃がラビットの前にあった瓦礫を両断していた。
 その勢いで身体を反転し、刃を突きの動作に切り替える。その間も、ラビットは目を閉じたままで、彼の思考の中に存在する架空の獲物相手に刃を振るっていた。
 少々癖のある緩急がついた動きと共に、氷の色を湛えた刃は青白い光を周囲に撒く。何も無い場所で光の腕を伸ばすその姿は、まるで踊っているかのように見えた。
 それは、実際には数秒間の出来事だったのだろう。イメージの中の存在と数合切り結んだ後、一歩軽く跳んで元の位置へと寸分の狂いも無く着地した。
 聖は、その動きの美しさに、無意識のうちに感嘆の息を漏らした。
 そこで初めてラビットは聖の存在に気づいたらしく、やっと赤い目を薄く開いた。今の激しい動きに反してほとんど息は上がっていないようだった。腕を軽く振って光の刃を消し、聖に声をかける。
「お早う。今日は早いな」
 その声で我に返った聖はぼさぼさの髪の毛を手ぐしで整えながら、ラビットに近寄る。先ほどまで感じていた寒気はまるで嘘のようになくなっていた。
「目が覚めちまってな。……おっさん、いつもこんな早くから訓練か?」
「ああ」
 相変わらずの無表情ながらも軽く頷き、傍らに置いてあった黒いコートを羽織る。
「元々基礎能力は低いからな。このくらい慣らしておかなければ動けない」
「そうは見えねえけどな」
 聖は素直にそう思った。今の体捌きを見ていても、到底能力が低いとは思えない。もちろん、ここまでの能力を得るに至ったのも訓練がなせる業だとは思ったが。
 乱れた長い白髪をもう一度後ろで縛りなおしつつ、ラビットは続ける。
「それに、武器の扱いに慣れるため、だな」
 すぐに、聖はラビットの左手に装着されている籠手のようなものを見た。銀の流線を描くそれは、武器というにはあまりに弱弱しく見えた。
「武器ってその手甲だよな? さっき見たけど、ブレードの一種みたいだったな。軍人だったわりに白兵兵器は苦手なのか?」
 その言葉に、ラビットは目を一層細める。
「私は紋章魔法士だから武器とは無縁でね」
「そんなもんなのか?」
 確かに、紋章魔法士は自らの潜在能力を武器として戦う存在ではある。だが、ラビットのように紋章魔法のみで戦いぬく魔法士はほとんどいない。元々紋章魔法というのは白兵戦のサポートのためのものであり、攻撃の主力にはなりえないのだ。
 ラビットはそういう意味で魔法士の中では変わり者であり、その戦闘におけるスタイルも軍の魔法士とは大きく異なっていた。
 それは、軍人ではなく、その上魔法士でもない聖の与り知るところではないが。
「さあな……そろそろ茶でも淹れるか」
 半ば誤魔化すようにして、ラビットはコートを翻して車のほうへと歩き出した。聖もその後を追いながら、黒いコートの上で揺れる白い髪を見た。
 夜明け前の薄暗がりの中で、それは消えかけた影のように揺れていた。
 
 
 まだ目覚めないトワを待ち、一足先にラビットと聖はティーカップを手に取った。中には湯気を立てる液体が注がれていた。
 かつては巨大な柱か何かであっただろう鉄の塊に腰掛け、ラビットはカップを持ったまま沈黙していた。
 正直、聖はラビットに興味を持ってはいるが、苦手でもあった。表情に乏しいラビットの感情を正確に読み取るのは至難を極める。毎日共に過ごしているはずではあるが、未だラビットが何を考えているのかはわからない。
 思慮深いかと思えば短慮で危なっかしい。何か策があるのかと思えば行き当たりばったりに行動する。だからといって馬鹿ではなく、時には誰よりも先んじた思考を見せる。
 見ている分には興味深いが、共にいるとなかなか疲れる。
「聖」
 そのようなことを考えながらカップの中身をすすっていると、突然ラビットが口を開いた。
 聖は今まで考えていたことを顔に出さないように気をつけながら、「何だ?」と返す。
「前々から聞きたいと思っていたんだが、トワのいる前では話せることではないから今聞かせて欲しい」
 普段より声を低くして言うラビットに、先ほど見た冷たい印象が蘇る。錯覚であることを願いつつも、聖は言う。
「……何だよ、改まって」
 ラビットの目に、一瞬何かがよぎった気がした。
「貴方は、どこまで知っている?」
「それはどういう意味だ?」
 ラビットが何を言わんとしているのかは、もちろん気づいていないはずは無い。しかし、あえて聖は口端を上げて言い放った。ラビットは表情の浮かばない顔を聖に向けた。
「トワについて、軍部の動向について、そして……『私』について」
 聖はしばらく、ラビットの目に浮かぶ何かしらの感情を推し量ろうとしたが、それもすぐに無駄なこととわかり、首を横に振る。
「俺は、何も知らねえよ」
 そう答えたが、案の定ラビットは何の反応も返さなかった。返ってきたものといえば、言葉の真偽を確かめるような視線くらいだろうか。そんなことを考えつつも、聖は言葉を続ける。
「あの子が何者かも、上が何考えているのかも、それに、アンタのことだって、結局は姉貴から聞いた名前しか知らねえ。そりゃあ巷の噂は聞くけどな。アンタは随分な有名人だし」
「少佐は、何も言っていなかったのか」
「知らなくていいってさ」
 それは本当の話だった。星間行商人とはいえ一般人である聖を偵察としてここに遣したのは姉である星団連邦政府軍少佐鳳凰 蘭であり、彼女は必要以上のことを聖に明かしたりはしなかった。
「だから、俺の役目は見た通りの事を姉貴に伝えるだけ」
 言って、聖は肩を竦める。その様子を見て、ラビットはティーカップを口の前まで持ってきてから、何かを考えるように目を細めた。
「後一つ」
「何だよ」
「何も知らないといえ、噂は聞いているのだろう?貴方は、私を恐れないのか?」
 聖がかつて耳にしたこの男に対する噂は、確かに恐るるに値するほどのものだった。どこまでが事実なのかは当時の聖には判断できなかったが、ラビットがこう言っているということは噂といえ真実が多分に含まれているのだろう。
「正直なところ、初めはびびってたかな」
 ぽつり、と聖は言った。それは、言うとおり正直な感想だった。当初は噂と目の前にいるこの男を常に比べていた。
 それが、近頃は少しずつ変化してきたように思える。どう変化しているのかは聖本人にもよくわからないのだが、純粋に「ラビット」というこの男を評価するようになってきた、とでも言おうか。
 何とか頭の中をまとめようとするが、上手く説明する方法が思いつかず、聖は眉を寄せて一口、カップの中身を口にした。
「だけど……まあ、何だ。今は別にって感じだな。おっさんが何考えてんのかはわかんねえが、一線越えるような奴じゃねえって思うし、俺としても見てて面白いしな」
 最後に残っていたのは、ラビットに対する純然たる興味だった。ラビットが苦手なのは事実だが、この男はそれを補って余りある何かを持っていた。
「もちろん、ヤバイって思ったら俺はさっさとトンズラするからな。そこの所は心配するなって」
 聖はそう付け加えて笑った。ラビットは、冷めかけたティーカップを手にしたまま呆気に取られた様子で聖を見つめていたが、すぐに、呟くように言った。
「……そうか」
 目を伏せ、口端を少しだけ歪める。それは、いつもの無表情とそう変わってはいなかったが、何となく、何を意味しているのかは聖にもわかった。
 それは、多分ラビットなりの、不器用な微笑みだった。
 本当に、面白い奴。
 そう思って、聖は抜けた天井を見上げる。空はすでに白み始めていて、長かった夜が明けようとしていた。