Planet-BLUE

044 銃口

 ラビットとレイ・セプターの対峙から少し時を遡る。
 トワは、奇妙な女神像や絵画が並んでいる歪んだ通路に膝をつき、祈るように手を胸に当てていた。この迷宮の中で迷うラビットを導くために。
 耳に入るわけではないが、頭に直接ラビットの声が響く。そして、それに答えるべく頭の中で言葉を紡ぐ。
 あと少しで、ラビットとも合流できると思われた。
 だが。
 突然何かがトワの腕を掠めた。小さな痛みだったが、彼女の集中を乱すのには十分だった。
「きゃっ!」
 トワは声をあげ、「何か」が飛来してきた方向を見る。そこには、黒髪の女軍人が立っていた。確か、セプターの横に常に付き添っていたような気がする。そう思いながら、掠れた声で問う。
「誰……?」
 女軍人はトワの問いには答えず、一歩、また一歩とトワへと近づいてくる。その鋭い瞳の中には、何の感情もうかがうことが出来ず、トワは恐怖した。
「 『青』 」
 トワにゆっくりと歩み寄りながら、女軍人は、言った。
「……貴女は、いつもあの人の邪魔をする」
「あの、人?」
 そこで、初めて、女軍人が表情を崩した。
 しかしその表情は、歪んだ……様々な感情が複雑に絡み合ったような、そんな表情だった。
「抵抗しないでください。私に貴女を傷つける意志はありません」
 よく、言われる言葉だ。
 トワは首を横に振り、立ち上がる。
 先ほど集中を乱されたせいでラビットの声は聞き取れなくなってしまったが、まだこの迷宮は崩れていない。ラビットと一緒に逃げるためにも、崩すわけにはいかない。
「来ないで!」
 トワは鋭く言い放ち、女軍人を見据えながら、一歩下がる。女軍人はそんなトワの様子を見て、目を細めた。
「それでは、眠っていてください」
 言うと同時に、女軍人は左腕を上げた。その左腕には奇妙な機械が取り付けられている。何かを射出するような黒い穴が見える。それが、武器であることはトワにだってわかった。
 トワは身構えた。
 迷宮を維持するのに精一杯で、攻撃を避けられるとは思わなかった。それでも、今ここで捕まるわけにはいかない。
 そう、思った瞬間。
 乾いた炸裂音が、通路に響いた。
 女軍人の肩に、微かな傷が生まれる。
「……!」
 攻撃は、後方からのものだった。女軍人は一瞬トワから目を離し、左腕の武器を背後に向ける。
 だが、背後には奇妙な像が何体も並んでいるだけ。人の影は、見えない。
「……っ」
 武器を構えたまま視線だけトワに戻すも、一瞬目を離した隙にトワはすでに通路の奥へと消えようとしていた。今から追いかけても、追いつけないだろう。
 追いかけようとしても、今度は確実に撃たれると、確信していたから。
 女軍人は奇妙な像が立ち並んでいる場所を凝視した。通路より少し広くなっているその場所は、先ほど彼女が通ってきた場所だった。その時は何の違和感も無かったが……
 今、そこには明らかに何かが存在していた。
 女軍人はもう一度目を細めた。そういえば、白兎と『青』の他にもう一人、見慣れない青年がいたと思い返す。どこかで見たような顔だった気もするが、何処で見たものなのかは流石に思い出せない。
「なあ、綺麗なお姉さん」
 像の後ろから、声が聞こえる。壁や床、天井に反響するせいでどの像の後ろから発されているのか特定は出来ないが。
「見逃してくれよ。俺はただの一般人だ。あいつらとは何ら関係ねえ」
「今更何を言うのです? 銃をこちらに向けた地点で、貴方に戦意があるのはわかります。それに」
 先ほどの一撃。トワをかすめもせず、女軍人の肩すれすれを狙った「牽制」の一撃。
「……一般人というには到底説得力に欠ける狙撃でした」
 ひゅう、と口笛が通路に響く。
「いやあ、これが本業ってわけじゃないんだけどな。俺ってば天才だから」
 ふざけた口調だが、その声は硬い。緊張と、恐怖から来るものか。腕は確かだが、このような状況に慣れているわけではない。女軍人はそう判断した。
「今すぐに投降すれば、危害を加えないことは約束しましょう。貴方の狙撃の腕が卓越しているといえ、何処にいるのかがこちらにわかっているのですから、貴方の方が不利でしょう」
 淡々と、言う。
「……投降はできねえ」
 すぐに、返事は返ってきた。
 女軍人はゆっくりと息を吐き、像を見据える。
「では、交渉は決裂です。殺しはしません。貴方は重要な参考人ですから」
「ああ、そうだろうな」
 声は、そこで途切れた。
 女軍人は左腕の武器を一つの像に向ける。
 今まで会話を引き伸ばしていたのは他でも無い、どの像の後ろに狙撃手がいるのかを確認するため。いくら通路で声が反響するとはいえ、しばらく聞いていれば耳も慣れる。
 そして、女軍人の武器から、目に見えない何かが放たれた。それは像を直撃し、あっけなく打ち崩す。
 しかし。
「……!」
 その後ろには、誰も、いなかった。
 判断を誤ったか?
 女軍人は身体を硬くするが、他の場所からの反撃も無い。
「残念でした」
 呆気に取られる女軍人をよそに、声は崩された像の下から聞こえた。
「……俺ってば天才だけど少々臆病なもんでね」
 まさか。
 女軍人は像に駆け寄った。どの像の後ろにも、声の主はいない。そして、崩された像の破片を、無造作にその場から取り除く。
 そこには、小さな音声送受信機があるだけだった。
 彼女が像からトワに目を移したその一刹那に、すでに狙撃手は姿をくらましていたのだ。この、音声送受信機だけを残して。
「じゃあな、綺麗な少尉さん」
 言う送受信機を一瞥し、白と青の空間に真紅の服の女軍人は一人、立ち尽くしていた。