レイ・セプターは巨大な銀の剣と化した右腕を揺らめかせ、笑顔すら浮かべながらラビットに向かって言う。
「おかしいな、あのお嬢ちゃんはどうしたんだ?」
ラビットの足が、急に震えだす。圧倒的な力を持った相手に対する恐怖の感情、それが目に見えて現れていた。
そう、相手がラビットよりも圧倒的に強いことくらいは、ラビットもよく心得ている。今までの対峙、そしてそれ以前の知識から。
「……知らないな」
絞り出した声も、掠れていた。
セプターは意外そうな表情を浮かべて言う。やけに表情がころころと変わる男である。
「へえ。嘘じゃ無さそうだな」
「通してくれ、彼女を探さなくては」
ラビットとて、理解はしている。
……相手に、ここを通す気など毛頭無いことを。
予想通り、セプターは心底残念そうな顔をつくり、だが淡々と言い放った。
「俺も面倒は嫌いだけどな。……けど、お前さんは放っておくとあのお嬢ちゃんを奪回する邪魔になるのも目に見えている」
予備動作もなく、銀色の刃が閃く。
ラビットは視覚でそれを確認する前に反射的に後ろへ跳んでいた。体勢を低くし、足と手を同時につく形で着地する。
完全に避けたと思っていたが、着古したコートの裾がぱっくりと割れていた。
セプターが一歩、前に出る。
「お前さんに恨みは無いが、仕事だから仕方ない。……ここで、諦めてもらうぜ」
逃げられない。
ラビットは悟った。
ここで背を向けて逃げ出しても、おそらくセプターはどこまでも追いかけてくるだろう。今までは龍飛がいて、トワがいて、初めてこの男から逃げおおせることが可能になっていたが、ここにいるのはラビット一人。状況が、悪すぎる。
「……それでも、私は」
ならば、逃げなければいい。
相手がどんなに悪かろうと、完全に勝ち目が無い戦いとは、言いきれないのだから。
「彼女を、守らなくてはならないんだ」
ラビットは、左手を大きく振るった。左手に嵌めた籠手のような機械から、一条の光の帯が現れる。光の帯は青白く輝く刃。それが、剣の形を成してラビットの左手の延長に伸びる。
「光子兵器……何だよ、そんなハイテクなもん持ってるのか」
セプターの声が耳に入る。その声は、純粋な驚きを多分に含んでいるように感じられた。
無理も無い。光子兵器は主に宇宙機兵用の武器。物理的な物質はたやすく切り裂くことが出来るという、連邦政府軍でも開発途上で扱うものも少ない兵器なのである。白兵戦用といったらなおさらである。
それが、今ラビットの手にあるのだから、セプターの驚きも当然のものといえよう。
「借りるぞ」
ラビットは言って目を閉じ、額に籠手をつけ、一瞬だけ祈るような仕草をする。そうしてからすぐに左腕を大きく下げ、戦闘の態勢をとる。
「本当に逃げる気は無いようだな……いい度胸だ。愚かだがな」
セプターも表情を消して、右腕の剣を構える。一分の隙も見えない、「美しい」と形容するのが最も正しいと思える構えだ。
ホールが、静寂に包まれる。
お互い、相手の出方を伺うように真っ直ぐ、鋭く見据える。
ラビットの足は、まだ震えていた。それにセプターが気づいているのかは解らない。「臆病者」と自身を叱咤しつつ、唇を噛む。
まだ、動けない。
先手は取らなくていい。動けば逆に狙い撃ちにされる。狙うのは。
ゆらり、とセプターの剣が揺らめいた。
次の瞬間、セプターの姿はラビットの視界から消えていた。二人の間の距離など意味も成さず、セプターは体を低くしてラビットの喉元に迫らんとする。
しかし、動いたのはラビットも同じだった。
ラビットは白い床を蹴り、跳躍する。それこそ、『兎』のごとく。セプターの剣が空を切り、ラビットはセプターの身体の上を飛び越えて背後に降りる。魔法で強化された、脅威の跳躍力だ。
セプターが反応する前に、ラビットは着地ざま左手の剣をセプターの背中に振り下ろそうとする。そこで大人しくやられるわけのないセプターは、すぐに身体を捻り右腕の剣を反転させラビットの刃を受ける。
光の刃は、銀色の機械剣に触れる前に鋭く弾かれた。
ラビットはその衝撃に耐え切れず、再び大きく下がる。下がりながらすぐにその原因に頭をめぐらせる。
セプターの機械剣の周囲には、光子兵器対策の反発場が働いているのだろう。刀身部分に直接当てにかかれば、弾き返されてしまう。狙うのは、身体のみということになる。
追撃にかかったセプターの一撃をかろうじて避ける。セプターが振り下ろした剣は白い床を簡単に削り、ラビットのコートの裾が再び裂ける。剣に直接触れているわけでもないが、それでも剣の一振りで起こる圧力が力を持ってラビットに襲い掛かっているのだろう。
ラビットは舌打ちしつつ再び剣を構え直す。セプターもラビットに向き直る。淡い、若葉を思わせる緑の瞳が全てを凍らせるような冷たい光を伴ってラビットを射る。先ほどまで会話していた人物とは全くの別人に見える。
それこそ、戦うためだけに生まれてきた存在……『軍神』のごとき光を、セプターの目はたたえていた。
『でも、それだけでは足りない』
ラビットの脳裏に、何者かの声が蘇った。いつ聞いた声かはわからない。忘れかけていた遠い過去の記憶のような気がする。
『それだけでは「軍神」にはなれない……彼は、多分一生「軍神」にはなれない』
何故、自分がこのことを思い出すのだろう、と思う。
かつて聞いたレイ・セプターにまつわる一つの話。
『彼は、「前に進むこと」しか知らないから』
セプターが、目の前に迫っていた。ラビットは一瞬遅れて跳ぶ。目の前を剣が掠め、ラビットの額に浅い傷を作り、サングラスの接続部分が欠け、二つに折れる。
ラビットの着地と同時に折れたサングラスが、床に落ちた。
額の傷は浅い傷でも出血が多い。額からあふれた血が、ラビットの顔をつたい落ちる。額にかかる白い髪が、赤く染まっていく。
『だから』
頭の中に、声が響く。
ラビットは間髪入れず向かってくるセプターに向かって左手の剣を突き出した。ラビットの力ではセプターの力に耐え切れるとも思えないが、直撃を受けるよりははるかにましだと判断したのだ。
『 「後ろが見えた」ときに、弱いのよ』
目前に、セプターが迫る。
ラビットは剣を構え、次に来る衝撃を待った。
セプターの緑の目が、顕になったラビットの血色の瞳を覗き込む。
その時、剣を交え始めてから、一度も表情の浮かばなかったセプターの顔に何かが、見えた。
振り下ろされると思っていた剣が、空中で刹那の間、静止する。
ラビットがそれを見逃すわけはなかった。
ラビットは構えていた剣を一度消滅させ、左手をセプターの懐にもぐりこませる。
セプターももちろんそれに気づいたが、上げたままの剣を振り下ろさなかった。
「振り下ろせなかった」。
そして。
ラビットは左手に、再び剣を発生させた。
セプターの身体が激しく震え、そのままもんどりうって倒れる。
すぐにセプターの身体から剣を抜いたラビットは、ゆっくりと息を吐いた。ラビットの左手から伸びる剣は、先ほどまでの青白い光ではなく淡い緑色の光を放っていて、時折雷のようなアーチを刀身に描いていた。
ショック・ショット。
ラビットの持つ剣が「切り裂く」ことだけを目的にした光子兵器だと思ったら大間違いである。今、セプターに与えた攻撃は、一瞬だけ発生された強烈な「電気」による攻撃。実の事を言うとそこまで強烈な電撃を与えたわけではないが、身体の内部に「機械」を含んだセプターの身体である。外部はともかく、内部からのダメージは半端ではない。
「……トゥールに感謝、ってところだな」
この剣をラビットに与えた人物の名を口にし、ラビットは剣を消滅させた左手で軽く額を拭う。血が、籠手に付着する。
感謝するのは、それだけではなかった。
ラビットは、脳裏に閃いた言葉がかつて『彼』から聞いたものであることを思い出していた。
ぴくりとも動かないセプターの身体を見やる。死んだわけではなく、ただ一時的に気絶しているだけだろう。何故、あの瞬間に隙が出来たのか、ラビットには理解できなかった。その正体を知りたいとは思ったが、ここで気づかれたらまた厄介なことになると判断した。
ラビットは、一瞬だけためらった後に駆け出した。
何処に行くのかは解らない。まだ熱を帯びたままの籠手を左手に、倒れたセプターを乗り越えその後ろにある道に飛び込んだ。
それからどのくらいの時間がたっただろうか。
ふと、セプターは闇から意識を引きずり出された。目を開けると真っ白な天井が映る。やけに広いホールの真ん中に、セプターはたった一人で横たわっていた。
「……嘘、だろ」
先ほどのラビットの攻撃で動かなくなってしまった右腕が重い。ゆっくりと、大きな左手で目を覆う。
白兎との交差。
あの瞬間、セプターはラビットの目を見た。見てしまった。
記憶の中の人物とは全く違う顔。
それでありながら、目だけは、『同じ』だった。
色こそ違えど、あの時の相棒と全く同じ目をしていた。
感情を映すことを忘れた、深い色の瞳。
「クレス……」
呟いたその声が、もう聞く者のいないホールに響き渡った。
Planet-BLUE