Planet-BLUE

041 時が止まる場所

 ラビットとトワは車を降りて、目の前にある建物を見た。
 町の外れに建っている、まるで神殿を思わせる白い石造りの建物。町の人間に聞いたところ、どうやらこれは美術館らしい。とはいえ、今現在は管理者もなく、放置されたままだという話も聞いた。
 車の横にホバーを停めた聖が不機嫌な声でラビットに話しかける。
「おーい、おっさん。こんなところで寄り道か?」
 ラビットはサングラスの下の赤い瞳を細めて聖を見たが、すぐにまた美術館の方に顔を戻し、言い放つ。
「別に急ぎの旅でもない」
「 『急ぎの旅でもない』、なあ……そんな考えしてるからいっつも危険な目に遭うんじゃないのか?」
 納得いかないと聖は首を曲げる。それもそうである。何しろ、もうこの星が消滅するまで五ヶ月を切ろうとしていた。トワは未だに目的地を告げようとせず、ただあてもなく東を目指すだけという状態だった。
 聖が焦る理由はそれだけではない。同じ箇所に留まっている時間が長いほど、トワを追う軍の連中に発見される確率だって高くなるのだ。ラビットとてそれに気付いているはずなのだが。
 ふと、聖は自分の服の裾を掴まれる感覚を覚え、そちらに目をやる。そこには、トワが申し訳無さそうな表情をして立っていた。
「ごめんなさい、わたしが見たいって言ったの……ほんの少しだけでいいから」
 その声も、小さく、消え入りそうだった。どうにも気まずさを感じずにはいられなかった聖は緑色に染め上げた自分の髪を乱暴にかきむしりながら、顔を歪める。
「ああっ、忠告してやってんのにこれじゃあ俺が悪者みたいじゃないかよ!」
 その様子を表情一つ変えずに見ていたラビットは、微笑ましいと光景だとでも思ったのか、口端を上げて笑みにも似た表情を作りつつ、聖の服の裾を握っていない方のトワの手を取った。
「……行くか」
「うん」
 ラビットとトワはそのまま連れ立って美術館の方に歩み始める。しばらくその背を見守っていた聖は、ちっと一つ舌打ちした。
「ったく、知らないからな?」
 そう言って、ホバーを降り、無造作にホバーに積まれていた袋を背負って二人の後を小走りに追いかけ始めた。
 
 
 美術館の中は静けさに包まれていた。当然客は一人もいない。まだ昼時だというのに薄暗く、床には埃が積もり、壁も煤けていてどこにも人の気配というものを感じさせない。それが余計にはりつめた緊張感に似た静寂を際立たせているように思えた。
「時間が、止まってるみたい」
 トワが言って、ラビットも同意するように頷いた。確かに、この静寂はどこか時間が止まっているような錯覚すらも覚える。
 ラビットとトワ、それに聖は埃の積もった床に足跡をつけながら奥へと進んでいく。そのうちに、壁にかけられた絵や展示されている彫刻作品などが目に付くようになってきた。やはりそれらも長年放置されていたらしく埃まみれになっていた。
 ラビットはそれらを見ながら低い声で呟く。
「美術的な価値はけして低くないと思うのだがな……勿体無い事をする」
 白い手袋をはめた指で額縁に積もった埃を軽くすくいあげる。
「終末の時に、芸術などは少しの価値も持たないということか……」
 自分の口にした言葉を聞いて、思わず自嘲気味な表情を浮かべてしまう。そんなラビットを不思議そうな表情で見ていたトワだったが、ふと一つの場所に目を向けた。
 そこにかかっていたのは、大きな絵だった。やはり埃まみれなその絵は、一面に奇怪な文様を描き出していた。白いカンバスに濃淡様々な青いラインが複雑に絡み合っている絵。
「迷路みたい……」
 一度入ると、一生ここから抜け出せない、そんな奇怪な迷路。トワはその絵にそんな印象を抱いた。そして、トワの心も、すでにこの絵に囚われていた。何かに似ている、そんな思いとともに。
「トワ?」
 ラビットはトワの様子に気付き、声をかける。だが、トワはじっと絵を見ているだけで反応しない。ラビットもトワにならって絵を見た。
 白い空間に青い線。
 白と青。
 絵を見ているだけだというのに妙な感覚が生まれる。嬉しいのか、不安なのか。恐怖しているのか、歓喜しているのか。それすらもわからない、ただ妙な感情が、ラビットの中に芽生えた。
「……不思議な絵だな」
 そんな感情の中で言える感想はこれだけだった。やっと我に返ったトワも「うん」と頷く。
 その時、聖は一人だけ絵ではなく通路の奥にある彫像に目を向けていた。女神を模った巨大な像だ。何の女神なのかは、その方面の知識に疎い聖にはわからなかったが、素直に美しいと思っていた。
 三人はゆっくりと美術館を巡っていく。その間にどのくらいの時間が経ったのかはよくわからない。この美術館の中では、時間など意味を成さない、そんな気までする。
 そのうちに、やっと美術館の一番奥にたどり着いた。そこだけは妙に広くなっていたが、それ以外に何故か何も無かった。何かが展示されていたような跡が残ってはいるが、ただそれだけだった。
 拍子抜けするような感覚を覚えつつ、ラビットは天井を見上げた。ここだけは天井が硝子張りで、光を含んだ明るい空間になっていた。舞い上がる埃が白い煙のようだ。
「おっさん、何もないんだからさっさと行こうぜ」
 聖が呆れたような声を上げる。ラビットは「悪いな」と言って踵を返し、今まで来た回廊を辿り直し始める。聖もゆっくりとした足取りでそれを追った。
 ただ一人、トワだけが、立ち止まって硝子の天井を見上げていた。昼の空にひときわ青く輝く星が見える。地球に接触し、破壊すると言われている謎多き天体『ゼロ』。
「ゼロ……」
 トワは小さく呟いた。
「……わたし、決めたよ」
 トワがついてきていないことに気付いたラビットが、曲がり角から不安げな顔を覗かせる。
「大丈夫か?」
 トワは天井からラビットに目を移し、大きく頷いて、慌ててラビットの後を追った。
 
 
「大尉、間違いありません、この車です」
 真紅の軍服に身を包んだ黒髪の女軍人……少尉ルーナ・セイントが、美術館の前に置かれている車を見て、言った。その後ろに控えていた隻腕の軍人、大尉レイ・セプターは笑みを浮かべた。
「やっと見つけたな」
「ええ。指示を」
 直立の姿勢でセイントが言う。セプターはセイントと、自分の背後にいる数十人の真紅の軍人たちを見ながら思った。
――――追い詰めたぞ、『青』。今度こそ、逃がさない。逃がすわけにはいかない。
「 『青』はこの中にいる。逃がすな、絶対に殺さず取り押さえろ。……おそらく『青』に付き従っているだろう『兎』は殺しても構わん」
 鋭い声で指示を飛ばしつつ、不謹慎だ、という思いはあれど、セプターは考えずにはいられなかった。
 ずっと考えていた可能性。今現在『青』を追っているという、かつての相棒の話。もしもここで彼が『青』を取り押さえたのならば、『青』を追う者は……。
――――『青』はここだ。ここにいる。
 セプターは美術館を半ば睨みつけるように見つめながら、自然と浮かび上がる強い、祈りにも似た思いを感じていた。
――――さあ、姿を現せ、クレス。