ラビットたちが消え去った空間を見据えて、ルークは舌打ちした。
「……逃げられた、ね」
やっと硬直がとけたポーンもルークの横に並び、それに同意する。ポーンの右腕は二の腕辺りで切り裂かれていたが、その断面に見えるのは機械人形特有の規則正しく並んでいる配線と、焼けた人工筋肉と、金属の骨格だけだった。
「全く、こっちは酷い損害だね。キングになんて言い訳するかね」
誰に言うでもなく、ルークは言って空を仰ぐ。その瞬間、ルークの目が、丁度自分たちのいる喫茶店の正面にあるビルの屋上を捉えた。
気付くのが、遅かった。
音も無く、ポーンの頭部が撃ち抜かれる。ポーンの巨体が、あっけなく倒れた。
「狙撃手……ねぇ」
再び舌打ちをして、ポーンから屋上にもう一度目を向ける。だが、そのときには既に、先ほど一瞬だけ目にした狙撃手の姿は消えていた。ポーンは、もうぴくりとも動こうとしない。頭部に設置された主電脳を、寸分違わず撃ち抜かれたのだ。
「まーったく、本当に言い訳がつかないね」
ルークは肩を竦めると、口端を上げて、おどけた笑みを作ってみせた。
ラビットは車を停めてある場所からそれほど遠くない路地で、足を止めた。ずっと抱きかかえたままだったトワを下ろし、息をつく。
「……追ってきては、いないようだな」
『走って』きた道を振り返り、呟く。トワは何が起こったのかよくわからない、とばかりに呆けた表情でラビットを見上げていた。
流石に限界に近いラビットは、ふらふらと近くの建物の壁に寄りかかり、そのまま座り込む。あれほど多くの紋章魔法を扱ったのだ。精神力の消耗は尋常でない。特に、今使った紋章魔法は高位魔法なだけはあって消耗も半端ではなかった。
「ラビット」
やっと我に返ったトワは、座り込んでいるラビットの正面に立ち、大きな青い目でラビットを見やった。ラビットはサングラスの下の赤い目で、トワを見上げる。
「何だ?」
出てくる声は掠れていた。トワを真っ直ぐ見ているつもりではあったが、目も霞んでいるためにトワがどういう表情をしているのかはわからない。
トワは黙り込んでしまった。口を開くのを、ためらっているようにも思えた。お互いが黙り込んでいて、ラビットのつく少々荒い息遣いだけが聞こえた。
そのまま、しばらく待ったがトワは口を開こうとしない。とうとう痺れを切らしたラビットは、目を閉じて、できる限り落ち着いた、静かな声で言った。
「貴女が、『青』だったのだな」
トワがびくりと、怯えたように身体を震わせた。
「……ごめんなさい」
蚊の鳴くような声が、トワの口から漏れた。少しだけ湿った、そんな響きがあった。ラビットはゆっくりと息を吐き、それから言う。
「何故、謝る?」
「ごめんなさい、わたし、ずっと言えなかった。言わなきゃいけないって思ってた。ラビットは何も知らなくて、なのに迷惑かけてるから。でも、言ったら、きっとラビットはわたしのこと怖いって思うと思って。……怖かったの。ごめんなさい」
そう言って、トワはついにその場にしゃがみこんで泣き出してしまった。ラビットは薄く目を開け、目の前で泣いている小さな少女の身体に手を伸ばした。
「……トワ」
あくまで普段と変わらない淡々とした口調で、言葉を紡ぐ。
「謝ることはない。貴女がそれを隠していたことを責めるつもりも毛頭ない」
「でも!」
トワは顔を上げた。青い目から、大粒の涙がこぼれた。
「怖いでしょう? ラビットは、怖くないの?」
その言葉を聞いて、ラビットは今度はトワの頬を伝って落ちる涙を白い指ですくい取った。
「何故、私が貴女を怖いと思うのだ?」
「え……」
「貴女は、確かに強大な力を持っているかもしれない。それがどういうものなのか、私には見当もつかない。だが、私が見る限りでは、貴女はその力を十分理解して、使いこなしているのだと思う。……そんな貴女を怖いと思う理由もない」
そこまで言って、少々苦しそうに、息をつく。トワはおかしなことを言われたかのごとく目を大きく見開いて、ただラビットを見ることしか出来なかった。
「むしろ、謝るのは私の方かもしれないな」
五秒ほど黙り込んだあと、ラビットは呟くように言った。
「……正直に言うと、勘付いていないわけではなかった。貴女が『青』であることも、軍が何故貴女を追うのかも。いまいち確信が持てなかったということもあって、ずっと知らないふりを通していたが」
トワの目から、再び涙がこぼれた。表情が、歪む。
「それなら、どうして、ラビットは、わたしと一緒にいてくれたの?」
ラビットは、トワの頬に触れたまま、ほんの少しだけ微笑んだ。それはやはりどこか悲しげだったが、放った言葉だけははっきりと、トワの耳に届いた。
「言っただろう、私は、貴女を全力で守ると」
深い、血の赤をした瞳が細められる。感情は乏しいけれど、あくまで優しさが感じられる、そんな表情になる。
「不思議だな。初めはただの同情心だけだったはずなのに、どうしてこれほどまでに手放しがたい存在になってしまったのだろう」
無意識に口から出た自嘲気味な声に、自分で苦笑を作るラビット。トワはぽろぽろと涙が零れ落ちるのにも構わず、ラビットの顔を見上げる。
「どうして? ラビットが苦しむことはないのに。ラビットが傷つくことはないのに。このままじゃ、ラビットはもっと苦しいし、傷つくよ。わたし、わからないの。どうして、ラビットはそんなにわたしのこと」
「……同じ、なんだよ」
トワの言葉を遮るようにして、ラビットは言った。
「前に言ったとおり、これはただの罪滅ぼしだった。貴女を守るという行為は、あの時守れなかったもののための、代わりでしかなかった……初めは、な」
「初め、は……?」
ラビットは、目をトワから灰色の空に向けた。灰色の雲の合間から、白い空が垣間見えた。
「今は、妙な気分だ。彼女の代わりではない、『貴女』を、守り抜きたいと思う。そうすれば、何かが、変わる気がする」
そして、空に輝く青い星もラビットの目に入った。日に日に大きく見えるようになる、青い星。
「ラビット……」
トワの声に、ラビットはトワに目を戻す。
「……今度は、私から頼もう、トワ。あとほんの少しの時間かもしれないが、『私は、貴女とこの星を見たい』。それから、『貴女の旅の終わりを見届けたい』。そのために、私は貴女を守り続ける。絶対だ」
今度こそ、トワはラビットの胸に顔を埋めて、大声で泣き出した。ラビットはそんなトワの背に優しく手を当てながら、静かにトワを見ていた。
トワは泣きながら、「ありがとう」と何度も言った。ラビットは、何も言わなかった。これ以上、何も言う必要はなかった。ただ、トワが泣き止むまで、ずっとそのままだった。
何分間、そのままでいただろうか。
落ち着いたトワは、もう泣いてはいなかったものの、まだラビットの胸に顔を埋めたまま赤くはれた目を閉じていた。ラビットは、何処を見るでもなく、目の前にあるビル群の方に目を向けていた。
その時。
「いいところ失礼するよ、お二人さん」
石畳に、固い足音が響いた。ラビットは慌てる様子もなく、ゆっくりとした動作でそちらを見やる。
「鳳凰 聖か」
そこには、かつて一度だけ、ラビットが見たことのある男が立っていた。髪を緑色に染めた青年。星間行商人、鳳凰 聖だ。片手には、妙に銃身の長い銃が握られている。一目見ればすぐにそれが狙撃用の銃であると判断することができる。
「誰?」
トワがふと顔を上げて、聖の方に目を向けてから首を傾げる。ラビットはそんなトワに「大丈夫だ」とだけ言ってみせてから、再び聖に向き合う。
「私に負けず貴方も随分と暇なようだな。こんな辺境で商売が成り立つのか一度聞いてみたいと思っていたのだが」
ほんの少しだけ口端を上げてラビットは言い放つ。それを聞いて、聖は一瞬呆気に取られ、その後笑い出した。
「意外だ。アンタが冗談を言えるなんて思ってもいなかった」
そう言ってひとしきり笑ってから、すぐに真面目な表情に戻る。
「しっかし、そうやって言うくらいなんだから、多分俺の行動にも気付いてるって事だよな」
「ああ、勿論だ」
ラビットは口端をあげた表情のまま言った。
「……何ヶ月になった? 初めて会ったあの時からずっと我々を監視しているようだったが」
聖の表情が強張る。トワも、驚きの表情を隠せない。
「監視?」
「って、初めから気付いてたのかよ、趣味悪ぃ」
ラビットはずっとトワの背に当てていた手を外し、立ち上がる。休んだこともあり、さっきよりもずっと身体は軽くなっていた。
「尾行が下手だ。行商人である貴方にとって専門でないのはわかるがもう少し工夫しろ。敵意はないとわかっていたから放っておいたがな……もし少しでも敵意があれば貴方を黙らせていたところだ」
普段どおりの口調で普通ではないことを口にするラビットに、聖は純粋に恐怖を覚えた。
前回に会ったときの、どこか自信のない湿ったイメージのラビットの姿はここにはなかった。ここにいるのは、聖が今まで見たこともない、全くの別人に思えた。
「それで、今になって何故姿を現した? 貴方はおそらく軍の……そうだな、本部とはまた別の思惑で動いているように見えるが」
低い声で、ラビットは言う。背筋に冷たい、鋭いものを当てられた感覚を覚えながら、聖は無理に笑顔を作ってみせる。
「確かに監視の指示をしたのは軍のお偉いさんだけどな。こうやって姿を現したのは、俺自身の判断さ」
「何?」
風に、聖の明るい緑色の髪が揺れた。
「隠れて監視してるのにも飽きたってこと。それに、アンタ等どうにも危なっかしいんだよなあ。だから」
立てた指を、ラビットに向けた。指されたラビットは、少々驚きの表情で聖を見やった。
「これから、俺がアンタ等についてってやる。止めろって言われたってやるからな」
突然すぎて意味の通らない聖の言葉に、だが、ラビットは納得したように軽く頷いて、言った。
「……一つ、聞いて良いか?」
「何だよ」
指を指したポーズのまま、聖が首を傾げる。
「貴方は、何ができる?」
抽象的な質問だったが、聖はすぐにその言葉の意味を理解したらしく、にやりと笑みを浮かべて言う。
「スクールにいた時の専門は武器戦闘。特にこれだね」
そう言って、片手に持ったままだった狙撃銃を示して見せた。それを確認して、ラビットも再び口端を上げる。
「ならば問題ない。協力、感謝する」
あまりにあっさりしたラビットの同意に、聖はまた呆気に取られてしまった。
「あのさ、おっさん」
「何だ」
「自分で言っておきながら何だけどよ……いいのかよ、敵か味方かわからない奴を簡単に信用して」
座ったままだったトワの手を引き、立たせながらラビットは答える。
「何、信用に足らないと感じたときに始末すればいいだけだ」
「さらりと怖いこと言うなよ」
「それに、理由はもう一つ」
きょとんとラビットを見上げていたトワに、視線を移す。
「彼女が、貴方を見ても恐れていないからな。ひとまず貴方が彼女にとって危険な存在でないということくらいは解る」
そう言ってから、ラビットは真っ直ぐと聖を見据えた。
「貴方が誰の思惑で動いているかということには興味ない。私は彼女を悲しませる相手を排除する。彼女の目的を果たすために動く。……それだけだ」
聖も、ラビットを見据え返した。
「ああ、そうだろうな。俺も実は『青』には全然興味ない。上は気にしてるみたいだけどな。上の指示は一応聞いてるけど、俺はアンタ等について行きたいからついて行く。結局それで構わないんだろ?」
「ああ」
「じゃ、契約成立だな」
聖は笑って、ラビットとトワの横をゆっくりと歩いて通り過ぎた。ラビットは首だけを自分の後ろに歩き去る聖の背に向けた。聖は自分の肩越しに軽く手を振って、言った。
「ま、後から追いかけるから先に行っててくれ。俺はホバー取ってこなきゃいけないからな」
風が、強くなってきた。ラビットは自分の古いコートの襟を立てて、トワの手を引いて聖とは逆方向に歩き出した。トワは、ラビットを見上げていた。心配の色をその瞳にたたえて。
「ラビット」
「何だ?」
「いいの?」
ラビットは苦笑を作る。
「この判断が正しいのかなんて、誰にもわからない。だが」
何度そうやったかわからない、いつもの仕草でラビットは空を見上げた。
「私は、これでいいと思っているな」
トワは、その言葉を聞いて、握っていたラビットの腕をもっと強く握った。驚いてトワを見ると、とても嬉しそうに、笑っていた。
Planet-BLUE