Planet-BLUE

038 ティーカップ

『星団連邦政府から、地球に接近中の天体「ゼロ」についての新たな発表がありました』
 喫茶店のカウンターに設置されている立体映像映写機に映し出された白いスーツに身を包んだ女性ニュースキャスターが、耳に響く声で言った。
『連邦政府本部は、「ゼロ」についてこのように述べています』
 ノイズとともに、立体映像が今度は白衣を着た男の姿に変わる。
『今まで我々は「ゼロ」が高エネルギー物質であるという認識を公式見解としていたが、今回の調査でそれが間違っていたということが発覚した』
 少し離れたテーブルからそのニュースを聞いていたラビットはゆっくりと立体映像に目をやった。トワはティーカップの中で入れたミルクが紅茶と渦巻きながら混ざり合うのをじっと見つめている。
『 「ゼロ」に無人調査艇を送り込んだところ、調査艇は「ゼロ」の表面近くで「消滅」した。その時何のエネルギー反応も見られていないため、これは「ゼロ」がエネルギー物質ではなく、今までに発見されたことの無い反応を起こすものであると考えられる』
 消滅、という単語を聞いてラビットは首を傾げた。あまりに不可解な現象である。燃焼した、と言われたり破壊された、というのならばわかる。だが「消滅」などという現象は基本的にありえないことである。
『これからも調査は続行するつもりであるが、「ゼロ」の反応は危険極まりないものである。地球住民には即刻の退避を希望する』
 そこまで言ったところで、また映像はキャスターに戻った。
『 「ゼロ」の接触予定日まで残り百五十日となりました。今月、連邦政府の避難船は子午線時間六日に二、八、十一、十九、二十三、二十七、三十四ブロック、十四日に六、十、十三、十七、二十一、二十五、三十、三十六ブロック、二十二日に……』
 ラビットは立体映像から目を離し、砂糖を無造作に何杯かティーカップの中に入れた。ふと目を上げるとトワが青い目で、じっとその様子を見ていた。
「どうした?」
 ラビットが問うと、トワはぽつりと言った。
「ラビットって、甘いもの好きなのかなって思って」
「ああ、好きだな。……意外か?」
 トワは首を横に振り、湯気の立つカップを手に取った。ゆっくりと息を吹きかけ、まだ熱い紅茶を冷まそうとするトワの姿を見つつ、ラビットはさっきのニュースの事を考えていた。
 ラビットも一応は天文学者を自称している。それに、自分があの天文台に移り住んでからの数年間は、ずっとこの地球に接触するといわれている天体を観察し続けていた。記録などは全て天文台に置いてきてしまっていたが、大体のデータは頭の中に入っている。
 そこで、ラビットは一つの疑問を感じていたことを思い出した。
 観測によると、天体は地球より遥かに巨大な天体であるという結果が出ている。これは、政府の以前の公式発表からも明らかなことである。
 だが、どう観測しても、この天体には「重力」が存在しないのだ。
 軌道を持って移動しているのだから何かしらの重力が働いていると考えるのだが、その軌道は不規則で、予想がつかない。絶対に何かの影響があると思って計算をしても、結局その答えは導き出せない。これについては政府も発表していないことだが、発表していないということはつまり政府も同じ答えなのだろう。
 その上に、今回の政府発表。そんなことを言われても、余計に混乱するばかりだとラビットは思う。
 何もかもが不可解な天体。それが、この地球を滅ぼそうとしている『ゼロ』なのである。
 驕り高ぶる人間への、神の裁きだ。
 ふと、誰かがそう喚いていたのをどこかで聞いたことがある、と思った。誰が言った言葉なのかは覚えていなかったが、やけにその言葉は頭に残った。始めは、バカらしいことを言う奴もいるものだ、と思っていたが、今になるとそれも冗談には聞こえなくなってくる。
 人知を超えた存在、神が人間に下した判決、すなわち地球の破壊。『ゼロ』はその御使いなのかもしれない。
 そこまで考えてから、非科学的だ、と苦笑する。これを例えばあの友人ということになっているトゥール・スティンガーなんかに話してみたとしても、「そんなのはただアンタらがバカなだけ。絶対に科学で解明できないものは無いんだから」と一笑に付されてしまう気がする。
 それでも、とラビットが考えかけていたとき、ほとんどラビットたち以外に客もいない喫茶店のドアが開いた。思わずそちらに目を向ける。
 妙な若い男の二人組だった。
 片方は、黒髪に金色の目をしている男。背はあまり高くない。右目の下に、美しい蝶の刺青が入っているのが目に入る。それに、近頃ほとんど目にかかることは無い、珍しいアンティークの刀が腰から提げられている。
 もう片方は、かなりの巨体を持つスキンヘッドの男。目の色は赤。もう一人に比べると大した特徴が無い。むしろ、特徴の無い顔をしている、と言った方が正しいのかもしれない。
 変な連中だな、とラビットが思った瞬間、がちゃん、と床にティーカップが落ちた。ラビットが落としたわけではない。はっとしてそちらを見ると、トワが立ち上がり、恐怖の表情でその二人組を見ていた。
「あ……」
 トワの口から、掠れた声が漏れた。気付くと、二人組も、じっとトワを見ていた。黒髪の男の口が、弧を描いた気がした。
 ラビットの身体に、何かが走った。それは電流のようであり、氷のような冷たい感触を持ち合わせた何かであった。そして、それは同時に「あいつらは危険だ」と告げていた。
 ラビットは立ち上がると、半ば強引にトワの手を引いて自分が前に出る。黒髪の男がそれを見て、甲高い、耳に触る声で言った。
「おやぁ? こんな所にいらっしゃるとは意外や意外。そうは思わないかね、ポーン?」
 巨体の男は、黒髪の男の言葉に同意するように深く頷く。その反応に満足したのか、黒髪の男はにっこりと笑った。だが、その笑みすらもどこか冷ややかなものが見て取れる。
「我々に何か用か?」
 なるべく平静を装ってラビットは言う。言いながら、この二人組が一体何者なのかを考えていた。
 どう見ても連邦軍の追っ手ではない。だからと言って、かつてのマーチ・ヘアのように誰かに軍の何者かに依頼されて来た、という様子でもない。
 それでも、目的は見えていた。
「もちろん、貴方もわかっているとおり。本日は不肖この私めがそこのお姫様をいただきに参上いたしましてね」
 深々とやけに形式ばった礼をする黒髪の男。背後に立つ巨体の男はその場から少しも動こうとしない。奇妙な不気味さを覚えつつ、ラビットはもう一度口を開く。
「一体……貴方方は何者だ?」
 黒髪の男はラビットの質問を聞いて、一瞬呆気に取られた……何を言われたのかわからない、というような表情を浮かべたが、すぐにまた冷ややかな笑みを貼り付ける。
「ああ、自己紹介が遅れたねぇ。ワタシはルーク。そしてこちらはポーン。以後、お見知りおきを」
 ルークと名乗った黒髪の男は再び深々と礼をし、すっと顔を上げた。金色の目が、細められる。
「いや、ちょーっと違うね……」
 ルークが言葉を発した瞬間、ラビットの身体に、さっき感じたものよりももっと強い何かが走った気がした。
 それは、「悪寒」にとてもよく似ていた。
 やばい。
 直感的に、そう思った。
「アンタには消えていただくことだし、お見知りおく必要はないねぇ」
 ラビットは重い右手を反射的にあげていた。ルークは腰に提げた刀を抜き放ち、ラビットの目にもとまらぬスピードで間を詰めた。
 次にラビットの目が捕らえたのは、自分がさっきまで茶を飲んでいたテーブルの上にすでに足をかけ、ラビットに狙いを定めているルークの姿だった。
「 『死を喰らう疾風(フレースヴェルグ)』っ!」
 すかさず、ラビットは紋章魔法を解き放った。腕から放たれた圧縮された空気の弾がルークを襲うが、少ない集中で放った魔法の威力は低い。ルークの身体は圧縮弾に弾き飛ばされてテーブルから落ちるが、それでも大して堪えた様子は無い。
 ラビットのティーカップが、がちゃんと音を立てて落ちた。同時に、カウンターの後ろで様子を見ていた喫茶店の主人が悲鳴を上げた気がした。どちらも、ラビットの耳にはほとんど届いていなかったが。
「ポーン!」
 ルークが咳き込みながらも叫ぶ。ポーンは無言で頷くと巨体に似合わない素早い動きでラビットに襲い掛かってくる。それを予想していたラビットはトワを庇いながら数歩下がり、さっきから構えたままの右手を今度はポーンに向けた。
「 『死呼ぶ神の槍(グングニル)』!」
 精神力を殺ぐ青い光がポーンを貫く。今度は先程のものよりも遥かに集中して放った魔法、ダメージはかなりのものと思っていた。
 だが、ポーンは何も無かったかのように太い腕をラビットに向かって伸ばしてくる。焦ったラビットは咄嗟に横に倒れこんだ。勢いづいたポーンの身体はラビットが急に目の前から消えたことで止まる事も出来ず喫茶店の壁にぶつかるが、壁の方が衝撃に耐え切れずにがらがらと崩れる。
 ラビットは何とか体勢を立て直そうと身体を起こそうとするが、それをルークが許すはずも無かった。
「遅いねぇっ!」
 銀色の刃がラビットを襲う。不安定な体勢のまま、この攻撃を避ける術は思いつかなかった。
 やられる。
 ラビットがそう確信した時だった。
「やめてっ!」
 ラビットの後ろに立ちすくんでいたトワが、突然叫んだ。瞬間、喫茶店の窓ガラスが音を立てて割れた。ラビットもルークも、思わずその動きを止め、その光景を唖然とした表情で見つめた。
「トワ……?」
 トワはラビットの手を取ると、ほとんど泣き出しそうな表情でルークをきっと見据えた。
「もうやめて」
 ルークは金色の目を細めて、トワを見る。すでに笑顔は消えていた。
「邪魔だよ、そこを退くんだね、『青』 」
 その言葉を聞いて、トワがびくりと身体を震わせた。ラビットも、すぐにその言葉の意味に気付いた。
「 『青』、だって……?」
 無限色彩の『青』。最強の力を持つという無限色彩。まさか、トワがその力の持ち主だとは。驚きを隠せないラビットに、ルークは言い放つ。
「へえぇ、アンタは知らなかったみたいだねぇ。そう、このお姫様が無限色彩の『青』。この銀河系を消滅させることだってできるってね。アンタに預けておくわけにはいかないものなんだよね」
 銀河系を消滅。
 ラビットはゆっくりと、トワに目をやった。トワはがくがくと身体を震わせている。その表情は不安と、恐怖を映し出していた。青い目には、涙が溜まっているのが見える。ラビットの中にこんなか弱い少女がそんな強大な力を秘めているのか、と思う気持ちと、もう一つの、強い感情が生まれた。
「……そう、か」
 ラビットはそう、口の中で呟くように言うと、弾かれたように立ち上がった。驚くトワの手を引き、一瞬隙ができたルークの身体を強く突き飛ばした。ラビットよりも体格では劣るルークは思わずその場に倒れる。
 ラビットは走った。目指すは、さっきポーンが突き崩した壁。
「ポーン、行ったぞ!」
 ルークの声とともに、今まで沈黙していたポーンが何の表情も浮かべないまま壁の前に立ちはだかる。
「悪いな、私は」
 ラビットは左手を上げた。左手にはめられた金属製の籠手のようなものが、淡く輝く。
「貴方方に彼女を渡すわけには行かない」
 ポーンが腕を振り下ろす。
 ラビットが左腕を一閃させる。
 ポーンの腕が、宙を舞った。
「な……っ!」
 ルークが驚愕の表情を浮かべる。動きが止まったポーンの横をすり抜けて、ラビットとトワは壊れた壁をくぐり、喫茶店を出た。
「ラビット……」
 トワがラビットを見上げた。ラビットは、薄く笑っているように見えた。いつもの皮肉交じりの悲しげな笑みではなく、どこか吹っ切れたような笑み。すぐにそれは普段どおりの無表情に戻ったが、トワはそれが見間違いでないことを信じた。
「奴等を撒く。おそらく奴等に仲間はいないだろうしな」
「え」
 ラビットは立ち止まり、早口にそう言ってからトワの身体を抱いた。
「ラビット?」
「目を閉じろ。……それから、しっかりつかまれ」
 驚きと不安と、何故か期待が入り混じったような不思議な感情のままトワは大人しくそれに従う。ラビットは神経を一点に集中させて、声を上げた。
「……『闇駆ける神馬(スレイプニル)!」
 その瞬間、ラビットとトワの姿はその場から消え去った。