Planet-BLUE

036 凍った記憶

 最近、よく昔の夢を見る。
 それは、例えば自分が右腕を奪われた瞬間の夢であったり、それなりに幸せな地球での生活の夢であったり、もっと昔……未開惑星を駆け巡っていたころの夢であったり、学生時代の夢であることもある。
 いつも目覚めたときには全ての夢をはっきりと覚えていて、時代がまちまちなその夢の一つの共通点もわかっていた。
 必ず、夢の中に、かつての相棒の姿があること。
 それは、どの夢でもいつも深海の色をたたえた虚ろな瞳で自分の目を覗き込んでいて、いつも鋭い声で何かしら叱責している。
 その夢自体が、レイ・セプターから見たかつての相棒、クレセント・クライウルフに対するイメージの全てだったのだと思う。
 
 
「クレス」
 レイ・セプターは口の中でその名を呟いた。今日だけでその名を呼んだのは何回目だろう。
「何で、生きてるって言わなかったんだよ……」
 あの時から、セプターはずっとこんな調子であった。リカー・ラボ跡地でクレセントの姿を見てしまった、あの時から。
『久しぶりだな、セプター』
『何故、生きているのか、と言いたそうだな。残念ながら私自身それはよくわからない。気付いたら、こうやって生きていた』
『まだ信じられないのか? 私がクレセント・クライウルフだと』
『すまない、私もここに長くはいられない。……じゃあな、セプター』
 クレセントが吐いた言葉の一つ一つが、セプターの中で反芻される。全てが、昔のままであった。その喋り方も、声も、一瞬だけ見えた姿も、全て。だが、やはりいくら考えてもあの時の感覚と同じで、『何か』が足りない気がした。クレセントの存在が、明らかに希薄なものに思えた。
 その場に本当に存在しているものかどうかもわからない、触れたらそのまま霧散してしまいそうな、そんな存在に思えた。
 だからこそ、セプターは混乱していた。クレセントが何故生きているか、ということよりもあれが本当にクレセントだったのか、というところで悩んでいた。
 そして、セプターは思う。
 せめて、もう一度クレセントに会いたい。
 会って、確かめたい。どうして「死んだ」のか、何故今生きているのか、本当にそれがクレセントという存在なのか。
 それに。
「アイツに、謝りたい」
 思わず、声に出た。目の前にある無数のモニターがちかちかと点滅している。セプターの若葉の色をした目はそのどれにも留まることなく、ただ虚空を見つめていた。
 セプターが見た、最後のクレセントの姿。それは、感情の起伏がそこまで激しくないクレセント……それも、当時『病気』を持っていた彼にしては珍しく、本気で怒りの表情を浮かべているところだった。それに、その時セプターも、ひどく怒っていたことを思い出す。
 ただの喧嘩、といえばそれまでだ。だが、今までの喧嘩とも言いがたい軽い言い合いとは違っていて、本気でお互いがぶつかった。その理由はくだらない理由だったが、多分それが二人にとって、最初で最後の喧嘩になった。
 恋人を連れてクレセントとその妻と同居していた家を飛び出したのもよく覚えている。あてもなく、ふらふらと町を離れて二人でどこかに行った気がする。ただ、その中で、そのクレセントとの喧嘩も馬鹿らしい事だと気付いた。
 すぐにクレセントに謝ろうと決めた。しかし、それすら叶わなかった。
 セプターと恋人が家を飛び出した数日後、彼等が戻ってくる前にクレセントが「死んだ」。彼の妻と、彼らの住んでいた町とともに。
 そこに残っていたのは、白い荒野だけ。
 セプターは後悔した。
 何故、すぐに謝らなかったのだろう、と。
 セプターの記憶の中で、クレセントはまだ、セプターに背を向けたままだった。セプターがあの時の事を謝らない限り、記憶の中のクレセントは再びセプターに顔を向けることはない。
 「その時」のまま、セプターの記憶の時間は止まっていた。
「セプター大尉」
 背後から声が聞こえた。虚ろな表情はそのままに、セプターはゆっくりと後ろを向く。そこには、副官のルーナ・セイントが姿勢を正して立っていた。
「情報部に問い合わせましたが『青』の目撃情報は特に入っていないそうです」
「そうか」
 答えるセプターはやはり上の空という様子だった。セイントは目を細め、どこか心配するような表情を浮かべた。
「大尉、近頃また様子がおかしいですよ。特に、リカー・ラボ跡地から帰還した位から……何か気になることが?」
 その通りなのだが、セプターはセイントの言葉に対して首を横に振るだけだった。
 確かにいろいろと考えていることがあるが、おそらくそれは目の前の軍人には理解できないことだ、と考えていた。理解できたとしても、それはあくまでセプターの個人的問題であり、このような場に持ち込むことでもない。
「いや、別に。ただ最近あまり寝ていないからな」
 セプターはそう言って苦笑した。寝ていないというのは本当のことである。『青』の情報を得ようと奔走しているというのもあるが、最大の原因は夢を見たくないからというところにある。
「無理はしないでください。不摂生は身体にも、精神的にもあまりいい影響を及ぼしませんから」
 あくまで事務的な口調のセイント。この女は常にそうだな、とセプターは思った。仕事の場なのだから当然といえば当然だが、セイントの言動や行動には感情というものが感じられない。感情を殺すのが上手い、と言おうか。
「心配するな、俺は大丈夫だ。それに、どちらにしろ『青』の捕縛を急がなければならないだろう?」
 セプターが言ったその言葉は、自分に言い聞かせる言葉でもあったのかもしれない。
「……それでも」
 セイントは呟くように言った。
「見ていると、辛いのです。……何かに、苦しんでいるように見えて、とても辛いのです」
 初めて、セイントの声に何かの感情が混ざった気がした。セプターもすぐにそれに気付き、はっとした。しかし、すぐにセイントはいつもどおりの調子に戻って続ける。
「申し訳ありません、余計なことでしたね」
「いや」
 セプターは微笑を浮かべた。
「今まで気付かなかったな……俺、そんなに辛そうだったか」
「はい」
 セイントは目を伏せて頷いた。
 そうなのかもしれない、とセプターは思った。セイントに比べて、セプターは感情に酷く左右されやすい性質を持っている。その上感情が表に出やすいのだ。それで周囲に余計な心配をかけている、と考えると少し情けなくも思えた。
「疲れているんだな、きっと。少し、休ませて貰うよ。ここを任せてもいいか?」
「はい、お大事にしてください」
 立ち上がり、モニター前の席をセイントに譲ってセプターは自分に割り当てられた部屋に向かった。軍服のポケットから取り出したカードキーで部屋の扉を開けると、そのまま奥に置かれているベッドに倒れこんだ。
 眠る気はなかった。眠れば再び、過去の夢を見るだけだと思った。ただ、目を閉じて、これからどうすればいいのかを考えていた。
 『青』を追う。それが自分の任務だ。何も考えず、それだけを遂行すればよい。
 そう思いつつも、考えることが多すぎて、頭の中が何かで掻き回されるような、不快な気分になる。その中で、セプターの中に一つの言葉が浮かんだ。
『確実に奴は「青」を追っている。目的はわからないが、な』
 ヴァルキリーの放った言葉。クレセントが生きていると、あらかじめヴァルキリーは言っていたはずだ。そして、クレセントが『青』を追っているということも。
 それならば。
 セプターは目を開け、白い天井を見た。
 『青』を追えば、クレセントに辿り着けるのだろうか。
 本末転倒だ、と苦笑するセプター。それでも『青』の捕縛作戦を遂行していれば、クレセントに会えるかもしれない。そう思うだけで気が楽になった。
 機械仕掛けの右腕を天井にかざす。やけに、その腕が重く感じた。あの時、自分に背を向けたかつての相棒。そのままで凍った記憶。
 謝って、許してもらえなくても構わない。ただ、自分のために、クレセントにもう一度会いたかった。少しでも、その地点から自分の記憶の時を動かしたかった。
「クレス」
 今度ははっきりと、言った。
「どうか、俺の声に応えてくれ」