Planet-BLUE

035 道

 早朝。ラビットは、鷹目が経営する診療所の地下に隠してもらっていた車に乗り込んだ。トワも、いつものように後部座席に座り、窓の外に立つ鷹目を見やった。
 白衣姿の鷹目は鋭い目を細めて言った。
「……ま、気ぃつけろよ。アンタら、軍に追われてるんだろ? 何やったのかは知らねえが、な」
「ああ、いろいろと迷惑かけた」
 軽く会釈をするラビット。その様子をじっと見つめていた鷹目だったが、ふと思い出したように白衣のポケットから小さな紙袋を取り出し、車の窓の中へ投げ入れた。
 ラビットはそれを受け止め、首を傾げる。
「これは?」
「薬だ。アンタには必要だろ? 俺はセントラルアークの医者じゃねえからそれを治すことはできないが、その薬飲めば症状を軽くすることくらいはできるだろ。持ち合わせの分しか入れられなかったがな」
 その言葉を聞いて、後部座席のトワが何のことを言っているのか知りたい、とばかりに身体を乗り出した。ラビットはサングラスを少しだけ上げ、口元に手を当て呟くような声で言う。
「……感謝する」
 紙袋をよく見ると、整った文字で「一ヶ月分」と書かれていた。
「じゃあな、お二人さん。ま、二度と会わねえだろうけどな」
「ああ」
「さよなら」
 各々が各々の言葉で別れを告げ、鈍色の車は鷹目の診療所を後にした。
 その場に残された鷹目は、白衣の胸ポケットに入れてあった煙草に火をつけ、煙を吐く。空の色は今日も、鷹目の吐く煙の色と同じ色をしていた。煙が昇っていく様子を見ながら、鷹目は誰に言うでもなく言った。
「さて、と。仕事するかな」
 
 
 鈍色の車は東へ伸びる道をひたすら進んでいた。荒れたコンクリートの道は、他に通る車も、人もない。
「ラビット」
 後部座席で沈黙していたトワが急に口を開いた。ラビットはバックミラー越しにトワの顔を見た。
「何だ?」
「もう、本当に大丈夫なの?」
「ああ。前後の記憶は曖昧だが……今のところは普通だ」
 前後の記憶というのは、セツナと対峙した時の記憶のことである。ラビットは、セツナの力で闇の中に放り出されたという記憶まではあったが、その先の記憶はほとんどなかった。そのような状態に加えて夢の中での出来事なども混ざり合い、彼自身ひどく混乱していた。
 しかし、それをトワに言うと心配されそうだったというのもあり、そのことは口にしなかった。
「お医者さんから、薬、貰ってたよね。何の薬?」
「……何、大した物ではない」
 それだけ言って、ラビットは苦笑した。
 まだ、トワには言うべきではないし、彼は最後までそのことを言わないつもりである。余計な心配はかけたくない。
 それに、不治の病というわけでもなかった。
 さっき鷹目が言っていた通り、セントラルアーク……連邦本部のある惑星アークの首都だ……にある病院くらいの設備さえあれば手術はできる。成功確率は五十パーセントを切るのだが。
 ただ、そのような設備がこの地球上にあるかというとそうでもない。
 タイムリミットまであと半年。この地球が滅ぶのもあと半年だ。それならば、治す必要も無い、と今もラビットは思っている。
 だが、この病気が原因でトワに迷惑をかけるのだけは避けなくてはならない。
 ハンドルを握る左手に、力が入る。
 この身体が動かなくなる前に、トワを守りきる。そして……
 それから、どうするのだろう。
 トワを地球に残らせる気は無い。だからといって、この地球が滅びてしまったら、トワは連邦の軍人に連れられて行くのだろうか? そうは思いたくない。トワは軍人を見て恐怖していたではないか。それとも、トワの求める『白の二番』がその答えを用意しているのだろうか?
 考えるのを避けていたことではあったが、不安になる。トワに目的をまだ聞けない今では答えの出ない問題ではある。それは、わかっているのだが。
 軽く頭を振って、気を取り直してトワに問う。
「……東、だったな」
「うん」
 少々憮然とした表情でトワは頷く。まだ、さっきのトワの問いにきちんとした答えを返していないからだろう。
 窓の外には果てしない荒野が広がっている。いつも見る景色とさほど変わらない。灰色の荒野、その真ん中に走る灰色の道、見上げれば灰色の空。
 いつから、こうなったのだろう?
 そんなことを漠然と考えていた時、ふとラビットの視界に何かが入った。
 前方に、小さな人影。道の端を歩いている人のように見えた。とはいえ、そんなものに構う必要は無い、と思い直し、そのままその人影を追い越そうとした。
 ……何?
 追い越そうとした瞬間、人影が、一瞬だけ車……その運転席に座るラビットを見た。そこで、ラビットの目はその人影の姿を捉えた。
 それは、男だった。埃っぽい風に靡く一つにまとめた黒い髪に、白いコート。感情を映さない深海の色をした瞳。左頬に刻まれた刺青。全てが、一瞬の交差であるにもかかわらずはっきりとラビットの脳裏に焼きついた。
 ……何、故?
 見覚えがありすぎる、そんな顔。すぐにバックミラーに目をやるが、何故かバックミラーにはその人影は映っていなかった。直接首を後ろに向けるが、それでも追い越したはずのその人影はどこにも見当たらなかった。
 同時に、目にしたのは、やはりラビットと同じように背後に目をやり、呆然とするトワの姿だった。
「白……」
 トワが呟いた。
「白の、二番……?」
「何だって?」
 白の二番?
 ラビットはもう一度、目を前方の道に戻し、今度は自分の頭に焼きついた映像を思い出そうとした。
 そこで、気付いた。
 ラビットが夢の中で見た、『彼』の姿。それこそが、今すれ違った男と全く同じであったこと。何故、思い出せなかったのだろう、と思う。
「まさか、ありえない」
 思わず、言葉が口から漏れる。胸が高鳴る。息が、苦しい。
「ラビット?」
 ラビットの異変に気付いたトワが、心配そうにラビットの名を呼ぶが、ラビットはそれに気付くこともなく、言葉を紡ぐことしか出来ない。
「……私は、一体……」
 頭が痛い。
 記憶の中の『彼』が、ラビットに繰り返し言う。
『私に、貴方の答えを示してくれ』
「私が、答えを見つけられるのか……っ?」
「ラビット!」
 トワの叫びに近い声が、ラビットの意識を覚醒させた。ふと身体を締め付けていた何かが解けた。
「ああ……すまない」
 バックミラー越しに、不安げな表情のトワの姿を認めて、苦笑する。
「大丈夫、ラビット、苦しいの? やっぱり、まだ完全に治って無いんじゃ」
「大丈夫だ、心配するな」
 トワの言葉を遮るようにして、ラビットはゆっくりと、自分自身に言い聞かせるようにして言う。トワはまだ不安げな表情を崩さなかったが、それでもそれ以上何も言わなかった。
 道の向こうに、小さな街が見えてきた。
 龍飛が『もうすぐ第四十三ブロック街です』と告げる。
「行こう」
 今までの記憶を振り切るように、はっきりとラビットは言った。