Planet-BLUE

032 不可知

「一体、何が起こっているというのだ……?」
 シリウス・M・ヴァルキリーは通信を切り、カーテンを閉めた暗い部屋の中で1人、呟く。
 通信の相手はレイ・セプターだった。
「クレセントが生きている。それはわかっていたことだ。だが、何故『姿を現した』?」
 セプターが報告した事は、『リカー・ラボ跡地』での無限色彩『黒』鈴鳴刹那の暴挙、すぐ後にその刹那が謎の死を遂げたこと。
 そして、『クレセント・クライウルフとの接触』。
 昔パートナーだったセプターがそう言うのだから、別人だということは絶対に無いと思ったほうがいい。それに、「青い光を放って消えた」と報告されているところからして、明らかにそれは超高速移動の紋章魔法『闇駆ける神馬』だ。魔法士としてもトップクラスの実力を持つあの男であれば、そのくらいの紋章魔法は使いこなせる。
 だが、ヴァルキリーには全てが解せなかった。
 鈴鳴刹那の死、クレセント・クライウルフの突然の出現、失踪。いくつもの点と点にあたる事柄が散りばめられているだけで、線としてその実体が浮かび上がってこない。
「 『クレセント・クライウルフ』、お前は、誰だ……?」
 呻くように、ヴァルキリーは呟く。
 デスクの上の立体画像映写機には、セプターが送ってきた、闇に包まれた『リカー・ラボ跡地』の画像が浮かび上がっていた。それを横目で見ながら、答えの見つからない考えを巡らせている、その時だった。
「ヴァルキリー大佐、いらっしゃいますか?」
 ノックと共に、男の声がした。ヴァルキリーは「ああ」と一言だけ言った。すると、ドアがゆっくりと開く。
 そこに立っていたのは、つややかな薄茶色の髪を長く伸ばし、穏やかな笑みを浮かべた長身の軍人だった。年のころは三十代の前半に見える。その横には、二つの握りこぶしくらいのサイズをした球体が浮いている。護身用の攻撃型デバイスだ。
 その姿を確認して、ヴァルキリーは表情を強張らせた。相手に気付かれないくらいにわずかではあったが。
「……メーア大佐か。帝国との交渉でチョーク・ラインに行っていたのではなかったのか?」
 大佐ヴィンター・S・メーアは優雅な足取りでヴァルキリーの座るデスクの前に歩みながら言う。
「一段落着いたので帰ってきました。それに睨み合いしかすることがありませんしね。相変わらずですよ、帝国は言外に、ではありますけど『青』を欲しがっていますし、こちらはこちらで一人の少女の行方すら掴めないみたいですし」
 後半は、どこか皮肉った響きが混ざっていた。それはもちろんヴァルキリーに向けられたものであったが、ヴァルキリーはそれに気付かない振りをして続ける。
「やはり、相手も相当焦っているのか?」
「そうですね……『青』を今のうちに何とかこちらの手の内に収めておかなければ、向こうから仕掛けられてもけして可笑しくない状況にまでなっている、とは言えるでしょう。まあ、今のところわかっていることと言えばこちらが完全に後手なことくらいですよ」
 口調や語気は柔らかいが、その一見優しげに見える大樹の幹の色をした瞳はヴァルキリーを冷たく刺すように見つめていた。それは『青』に対する処置の手ぬるさに対する非難なのか、それとも全く別の意味のものなのか。
 もしかするとこの男は自分が考えていること全てに気付いているのかもしれない、とヴァルキリーは思う。
 自分が『青』を捕らえる気もないこと、『青』と同行する白兎を利用しようと思っていること、そしてそれらの考えが完全ではなく、不安であることも、全て理解している……そう思わせるような光が、メーアの目にはあった。
 メーアはふとヴァルキリーからデスクの上の立体映像映写機に目を移した。そこにはさっきヴァルキリーが表示させていた、影に包まれた『リカー・ラボ跡地』の画像がそのまま浮かび上がっていた。それを見て、目を細めるメーア。
「そういえば、スティンガー大佐は『黒』を外に出した挙句、結局『黒』を殺すだけの結果に終わったらしいですね。いつもの通り、重要なところでの計算不足で失敗していますね。あの方らしい」
 まるで笑い話のような口調で言い、同時にくすくすという笑い声までもを漏らす。ヴァルキリーは固い表情を崩さないまま、淡々と言う。
「ああ、それについてメーア大佐、貴方に聞きたいことがあるのだが、よいか?」
「おや、貴女のような方が私のような者に意見を求めて下さるとは光栄極まりない」
 あくまで言葉の端々に皮肉を込めて言い放つメーア。
「……『黒』が死んだことについて、どう思う?」
「どういうことですか?」
「鈴鳴刹那が元々『黄』の能力者であることは既に貴方も知っていることだろう。そして、『シュリーカー・ラボの悲劇』で一度殺され、『青』の力によって生ける屍……『黒』として蘇ったことも」
 感情の感じられない事務的な口調ではあるものの、ヴァルキリーのメーアを見上げるその目は、挑戦的であると同時に半ば不安を映しているように見える。
 メーアはヴァルキリーのそんな感情に気付いているのかいないのか、にっこりと微笑んだ。
「ええ、そして、『青』が願わない限り、『黒』に死という概念が無いことも」
「その通りだ。そこで、だ……何故『青』は『黒』の死を望んだと思う?」
 馬鹿なことを聞いているものだ、とヴァルキリーは思う。そんなこと、『青』自身にしかわからないことだろう。そう、思っていたのだが。
「わかりきったことじゃないですか。『青』は、もう、『黒』の保護を必要としていないのでしょう? 『白兎』という名の保護者を手に入れたことで。それに……『黒』をこの世に捕らえていることの意味を感じなくなった。それだけじゃないですか?」
 当然なこととばかりに語るメーア。
 確かにそうである。
 難しく考える必要は無い。『青』が『黒』を必要としなくなった、ただそれだけのことなのだ。それでありながら、ヴァルキリーはまだ何か納得がいかなかった。『青』がその判断を本当に下したのか、疑問が残る。
 ずっとメーアが浮かべるその微笑に、ふとヴァルキリーには掴めない何かが混ざった気がした。
「必要ないものを切り離す感情は、貴女にはわからないかもしれませんね。死する運命であった者すらもこの世に無理やり繋ぎとめることが得意な貴女には」
「メーア……?」
 何を言われたのか、わからなかった。メーアはヴァルキリーを嘲るような笑みを浮かべた。今度はわかった。明らかにそれは「嘲笑」だった。
「わかりませんか? 貴女の甘さは、必ずしも正しくは無いということですよ」
 そう言い放ち、メーアはヴァルキリーに背を向ける。ヴァルキリーはただ唖然としてその後姿を見ることしか出来なかった。
 メーアがドアに手をかける直前に、ヴァルキリーは掠れた声をあげた。
「……メーア」
「何ですか?」
「どこまで、気付いている?」
 一瞬、メーアはヴァルキリーの方を向いた。さっきまでの笑顔は消え去っていて、冷たい目が、ヴァルキリーを射抜いた。
「……ほとんど全て、ですよ。貴女が知っている以上のことも」
「何?」
 メーアはヴァルキリーから目を離し、一言だけ、呟くように……しかし、ヴァルキリーにはぎりぎり聞こえるくらいの声で言った。
「私は、彼女が幸せになるところを見たい、ただそれだけですよ」
 そのまま、何も言葉が返せないヴァルキリーを残して、メーアは部屋を去ってしまった。
 意味が、わからなかった。
 メーアは嘘を言っているわけではない。だが、その発言はヴァルキリーの理解の範疇外だった。
「 『ほとんど全て』……『貴女が知っている以上』……それに、『彼女が幸せになるところを見たい』だと? あの男は、一体何を考えているんだ?」
 さっきまで考えていたことも相まって、深く混乱する。
 自分が甘いことは昔から承知していた。
 それでも、自分の決断を疑うつもりはなかった。今まではそれでも何とかやっていけていたからだが。その問題と今このように向き合うとは思いもしなかった。
 『青』を地球に出したのは自分だ。彼女の幸せを願って。
 だが、それが原因で他の問題を引き起こしているのなら、責任があるのは突き詰めていけば自分なのだ。そして今、その問題で悩んでいる自分がいる。
 矛盾している。
 純粋に彼女の幸せを願っただけなのに、今度はまた他の場所で誰かを苦しめている。それは自分の望むところではないはずだ。
 もちろんそこまで考えていなかったわけではない。『青』を開放するということはそれくらいの困難は付きまとう。彼女のことを思いながら全てを切り捨てたつもりだった。だが……
「……どうして、こんなに苦しいんだ」
 呟きは、薄い闇の中に消える。
 ヴァルキリーは軽く頭を振って立ち上がる。デスクの上に置いてあった煙草の箱から煙草を一本取り出し、咥える。箱の横にあったマッチの箱をつまみ上げ、軽く振ると、からからと軽い音が聞こえた。案の定、マッチは一本しか入っていなかった。
 大きな窓の方へ歩み寄り、カーテンを開く。午後もまだ早い時刻。窓の外には高層ビルが立ち並んでいるのが見える。
 マッチを擦り、煙草に火をつける。立ち上る紫煙を見ながら、ヴァルキリーはやはりいくら考えようと答えの見つからない考えに耽っていた。それしか、今の彼女に出来ることはなかった。
「 『必要ないものを切り離す感情』、か。やはり、私は何もわかっていないのかもしれないな……必要ないものなど存在しないと思っているような、私は」
 言いながら、煙を吐いていた時、ドアの外でがたん、と音が聞こえた。何かが倒れたような音だ。
 ヴァルキリーはまだほとんど残っている煙草を灰皿に押し付けると、ドアに歩み寄り、そして開けた。
 ドアのすぐ横の壁に寄りかかるような形で膝をついていた男が、ふとヴァルキリーの姿を認めると顔を上げた。息は荒く、身体は尋常じゃないくらいに震えている。
「トゥール……?」
 驚きの表情を浮かべるヴァルキリーに向かってその男、トゥール・スティンガーは黄色いウェーブのかかった髪を揺らして、力なく笑った。
 発作だ。
 ヴァルキリーはすぐにそれに気付いた。
 一瞬、ヴァルキリーの頭にメーアが言っていた台詞が蘇った。
『必要ないものを切り離す感情は、貴女にはわからないかもしれませんね。死する運命であった者すらもこの世に無理やり繋ぎとめることが得意な貴女には』
 目の前のトゥールを見てその言葉の意味が、少しだけわかった気がした。
 かつて『死する運命であった』この男を『無理やり繋ぎとめた』のは誰なのか、思い出したのだ。それは……
「 『そういうことだ』と言いたいのか、メーア……っ」
――――結局は苦しみしか生まないと、今のトゥールのように苦しむだけだと言いたいのか……?
 ヴァルキリーは空虚な感覚に囚われながらも、激しく咳き込み始めたトゥールの身体を半ば引きずる形で部屋の中に引き入れた。