応接室のソファに腰かけ、煙草の煙をくゆらせていた鷹目は、ゆっくりと病室のドアが開くのを見てそちらを見やった。金色の瞳が、その場に立つ人影を認めて細められる。
「……早えな、もう回復したのか」
そこに立つラビットは少しだけ口端を上げた。
「ええ。ずっと寝ているわけにもいきませんから」
少々やつれた印象はあれど、表情は普段と同じ……いや、普段以上に落ち着いて見えた。相変わらず人形のような無機質さを持った表情ではあったが。整った動作で鷹目に向かって深々と礼をする。
「トワから聞きました。マーチ・ヘアが貴方を紹介して下さったようですね」
「ああ、突然だからびびったけどな。んなところに突っ立ってねえで座れよ」
鷹目に言われるがまま、ラビットは鷹目と向かい合うように置かれたソファに腰かける。鷹目は短くなった煙草を灰皿に押し付け、火を消しながらラビットを見た。
「あと、敬語はやめてくれないか。そうやって言われるのに慣れてないんでね」
一瞬ラビットは意外そうな表情を浮かべたが、すぐに元の感情の乏しい表情に戻って言う。
「変わった事を言う人だ」
鷹目は苦笑する。
「俺は基本的に裏の人間だからな。ろくな奴相手しねえんだよ」
ラビットもそれを聞いて合点がいった。確かにマーチ・ヘアも裏世界の人間だ。そんな彼女が紹介する医者なのだから、それがまた裏世界の人間であってもおかしくは無い。もちろんそれを気にするラビットでもないのだが。
鷹目は目を病室の方へと向ける。
「そういや、あの嬢ちゃんはどうしたんだ?」
「疲れて眠っている……ずっと、私のことを診ていてくれたみたいだったな」
ふと、ラビットも病室の方を見る。閉じられたドアだけがそこにある。
「ああ。何を言っても『ここにいたい』って言って聞かなかったんだ。アンタ、随分懐かれてんだな」
「……そう、だな」
ラビットは目を閉じて、ゆっくりと頷いた。そこに含まれた意味を感じ取ることは出来なかったが、何かを噛みしめるような、そんな表情にも見えた。
柱時計の針の音と窓の外に降る雨の音だけが、部屋の中に響いている。
少しの沈黙の後、鷹目はまた目線をラビットに移した。ラビットはゆっくりと口を開くところだった。
「そうだ、マーチ・ヘアは何処だ?」
それを聞いた鷹目は、すぐに白衣の胸ポケットから一枚の紙を取り出し、ラビットに少々乱暴に手渡す。「何だこれは」と首を傾げるラビットに、鷹目は言い放つ。
「何、アイツからのメッセージを預かっただけだ」
訝しげに首を傾げつつも、ラビットは紙を広げる。そこには、小さい文字で一言だけ、こう書かれていた。
『さよなら』
ラビットはその言葉を見て、すぐに目を伏せた。
「……そうか」
そう、呟いて。
その一言だけで、十分だった。そして、ラビットにはわかった。
これから先、二度とマーチ・ヘアの姿を見ることは無いだろう、と。
鷹目はそんなラビットの様子を見つつ、言う。
「アンタ、さ。……聞いていいものかは怪しいから別に答えなくてもいいけどよ、マーチの兄貴を殺したって本当か?」
ラビットは目を伏せたまま、しばらく沈黙した。柱時計の針の音と、窓の外に降る雨の音が今度はやけに大きく聞こえる。
何回、針が動いただろう。
突然顔を上げたラビットの口が微かに動いた。
「ああ、本当だ」
鷹目はその言葉を聞いて、目を細めた。非難するわけでも、問いただすわけでもなく、ただ目を細めるだけだった。そんな反応を返されたものだから、ラビットは逆に居心地悪さを覚えた。
目を細めたまま窓の外に目をやりながら、鷹目が再び口を開く。
「じゃあ、もう一つアンタに聞きたいんだが、いいか?」
「……構わんが」
ラビットが答えると、鷹目は一呼吸置いてから言った。
「アンタ、まさかとは思うがマイカ・ジェイドの患者か?」
その言葉を聞いた瞬間、ラビットの目が見開かれる。
マイカ・ジェイド。
ラビットには聞き覚えのありすぎる名前だった。
「何故、それを?」
鷹目は二本目の煙草を箱から出し、火をつける。立ち上る紫煙を見ながら、苦笑する。
「マイカとは仕事上ってのもあるけど昔からの友人でね。話には聞いていたんだ。あまりに珍しい症例の患者だったからな。前例のない原因不明の後天的アルビノで、手術により左上半身が人工皮膚。一部にはまだ縫合の跡も残っている」
真っ直ぐと鷹目を見ていられなくなり、テーブルに目をやるラビット。意識はしていなかったが、右手を左の肩にあてる仕草をする。
「見たのか」
呻くような、声がラビットの口から漏れる。鷹目はあくまで淡々とした態度で続ける。
「ああ、悪いな。それに、お前、右手見せてみろ」
ラビットは苦い表情を浮かべながらもゆっくりと、左の肩に当てていた右手を差し出す。やはり色素の無い真っ白な手だが、手の平や甲、手首には紋章が刺青されている。鷹目はその手をとり、少々力を入れて握った。
「……っ!」
ラビットの顔が痛みに歪む。別段強く握られたわけでもない。確かに少しは力が入っていたが普通ならば痛みを感じるほどではない。それにも関わらず、ラビットは激痛を覚えたかのような表情になる。
鷹目は溜息混じりに手を放す。
「お前、石化肢侵食症だろ。しかも、症状がかなり進んでる」
ラビットは自分の右手を見る。自分の真っ白な指は思ったようには動かない。ただ小刻みに震えるだけ。常に鈍い痛みを伴いながら。
こうなったのはいつからだっただろう、とラビットは思う。この旅を始めるかなり前からこの症状は出ていた。それでもここまで酷くは無かった気がする。
右手から鷹目に目を戻す。ラビットの表情はまたいつもの無表情に戻っていた。
「私からも一つ、聞かせてくれないか」
「ああ」
「……私は、どれくらい生きていられる?」
ゆっくりと煙草の煙を吐きながら、鷹目は額に手を当てて、呟く。
「あと、よくて半年だ」
Planet-BLUE