Planet-BLUE

027 白の二番

 闇が支配する捻じ曲がった空間の中、トワはただ、座りこんで泣くことしかできなかった。セツナは、困った表情でトワに寄り添っている。
「どうしたの、トワ。何でそんなに泣くの?」
 しかしトワは答えない。答えることができなかった。
 ラビットが死にかけているというのに、自分は何もできない。いや、本当ならばできるのにも関わらず何もしていない。そんな自分がとても歯がゆく、嫌だった。
 だから、泣いていた。
 セツナはそんなトワの内心などお構い無しで、トワに言う。
「もう僕らを邪魔する奴はいなくなったよ。大丈夫、ここにいればもう誰も邪魔しない。何しろ、ここは僕の領域だからね」
 『リカー・ラボ跡地』はセツナの操る『影』に包まれていた。内部の空間は歪められ、漆黒の無秩序な空間だけがそこにあった。この二人はそのどこかにいた。そして、ラビットもまた違うどこかの空間に放り出されているのだろう。
「 『白の二番』も僕が探してあげる。だからもう泣かないで、トワ」
 どんなにセツナがなだめても、トワは余計に泣くばかり。セツナはトワにとっては意味の無い言葉ばかりを並べ立て、どうにかトワの機嫌を直そうとしていた。
 だが、セツナは何か妙な感覚を覚えて、トワから何も無いはずの闇に目を移した。
 トワも、何かに気付いたらしく泣きはらした目を闇に向けていた。
「僕の『王国』に、誰かが入った……?」
 セツナはぽつりとそう呟くと、立ち上がってトワの頭を冷たい手でなでた。
「ここにいてね、トワ。すぐに戻ってくるから」
 そして、闇の中へと消えた。
 闇に一人残されたトワは、目を閉じ、誰にも聞こえないような声で呟いた。
「……さよなら、セツナ」
 
 
 男は、何かが足に当たったのを感じ、足を止めてそれを拾った。
 暗闇の中で色などの判別はつかなかったが、その冷たい感触は小さな硝子球のようだった。
「硝子球、か。懐かしいな」
 そう言いながら、男はその硝子球を握り締め、また暗闇の中を歩き始めた。足音はしない。闇にそのまま吸い込まれてしまっているかのようだ。
 そのうち、男は、また何かが足に当たったのを感じて足を止めた。今度は拾えなかった。
 それは、人だった。
 うずくまり、何かよくわからないことをぶつぶつと呟く人だった。姿は闇に隠されて見えなかったが、男はそれが『誰』なのかすぐにわかった。
「待っていろ、すぐに終わる」
 そう言いながら男はその人物が着ているコートのポケットにさっき拾った硝子球を入れ、また歩き出した。不可解な呟きが遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
 どこまでも続く暗闇。
 しかし男の足取りはどこか軽やかだ。
『……止まれ』
 どこからか声がした。いや、むしろ全ての方向から聞こえてくる、と言った方が正しいのかもしれない。
「ああ、やっと来たか。遅かったな」
 素直に足を止めて男は言う。すると、男の目の前にある『影』が歪み、一人の少年……セツナの形になる。自分すら見えない暗闇の中でも、何故かセツナの姿だけははっきりと見えた。
「アンタは誰? 僕の領域に勝手に入ってくるなんて」
 セツナは怒りの表情で言った。だが男はそれに対してゆっくりと答えた。
「誰? 私に『誰』と聞くのか?」
 言うのと同時に、ゆっくりと左腕を上げる仕草をする。
 その瞬間、男の左腕に白い、輝く翼が生まれた。
 セツナが作り上げた完全なる闇の中でも光を放つ翼。
 怒りに満ちていたセツナの表情が、恐怖へと変化する。
「ま、まさか!」
 その光る翼に照らされ、男の姿も闇の中から浮かび上がった。
 長く伸ばした黒い髪を無造作に後ろで結い、白いコートを纏った長身痩躯の姿。鋭い目は海の青をたたえていたが、トワのように光刺す海の色ではなく、暗い深海のような色。
 そして、左の頬に刻まれた紋章『地を呑む蛇(ミドガルズオルム)』。
 この最強といわれる魔法を扱う人物など、この広い宇宙を探しても一人しかいない。
「私を知らないとは言うまい、『呪縛の黒』、鈴鳴刹那」
 セツナは言葉を失い、その場に立ちつくしていたが、すぐに我に返ると、自分の恐怖を振り払おうとするかのごとく喚く。
「そんなわけない! アンタは死んだはずだ! 生きているはずは無い!」
 男は目を細め、口元を歪めた。
「死人の貴方に言われたくはないな。『青』によって二度目の生を受けた異端の無限色彩保持者には」
 言いながら、男は一歩、セツナに近づく。セツナはそれに合わせて一歩下がった。
 さっき、トワが言っていた言葉がふと蘇った。
『ううん、「白の二番」は生きてる! わたし、「白の二番」の声が聞こえたの』
 信じていなかった。『白の二番』を一緒に探すといっても、見つかるなんて思いもしていなかった。
 まさか、こんな所で。
「うるさい! 『影』よ、『呪縛の黒』が命ずる! その男を殺せ!」
 セツナの声に応え、周囲の『影』がまるで刃のような形となって、男に襲い掛かった。
 だが、男は落ち着き払った表情で左腕を上げ、言った。
「心の海より出でしもの、あるべき深淵へ還れ」
 男の左腕の翼が広がり、『影』の刃をかき消した。そのまま翼は広がり続け、逆にセツナの展開した暗闇の空間までもを侵食し始める。
「な……っ!」
 あまりにも意外すぎる状況に、セツナの目が見開かれる。男はどこか歪んだ表情のまま言い放つ。
「無限色彩は『心』が支配する力。それならば、私が支配することもできるだろう?」
 セツナは必死になって叫ぶ。
「 『影』! 僕の言葉に応えるんだ! 命令が聞けないのか!」
 それでも、男の白い翼による侵食は止まらない。闇は削られていき、段々元の空間へと戻っていく。
「無駄だ、『黒』。私は『白の二番』……『深淵の白』。元は『黄』である貴方に、勝ち目は無い」
 男が腕を下げたときには、すでに闇は完全に消え去っていて、灰色の小さな部屋になっていた。窓からはほとんど地平線に消えかかっている夕日が差している。
 セツナは、一歩、また一歩下がる。下がりながら、震える声で言う。
「どうして、どうしてアンタがここにいるんだ……嫌だ、信じたくない」
「貴方はやりすぎたんだ、『黒』。彼女が悲しんでいるのに気付きもしない。私は、貴方を止めに来た。永遠に、このような事態が起こらないよう」
 男の声は冷たい。セツナはその言葉の意味を理解した。男に背を向け、最後の力を振り絞って『影』を展開させ、その場から消え去ろうとする。
 だが、男がそれを許すはずがなかった。
 男は膝をつき、両手を床につけ、吼えた。
「我が名はクレセント・クライウルフ。我が意に応えよ、『地を呑む蛇(ミドガルズオルム)』!」
 その瞬間、セツナの足元の床が弾け、床を構成していた鉱物が巨大な蛇の顎の形を取る。ちょうど、セツナを飲み込もうとするように。
「やめろおぉっ!」
 セツナの声もむなしく、セツナの身体は蛇の顎に飲み込まれ、そのまま。
 
 
 闇が急に消えたことに疑問を覚えたトワは、自分がいた部屋の隣にある灰色の小さな部屋のドアを開けた。そこには、セツナが気を失って倒れていた。セツナの顔はまるでこの世で一番恐ろしいものを見たかのように歪んでいた。
「セツナ」
 トワは恐る恐るセツナの顔を覗きこむ。返事はなく、目覚める様子もない。その時、背後に誰かが立っているような気がした。
「……誰?」
 圧倒的な存在感を感じたが、トワは振り向けなかった。振り向くと、何故か大切なものがそっくりそのまま壊れてしまうような気がして。
「誰でもいいだろう?」
 背後の声は答えた。高くも低くも無いがよく響く、どこかで聞き覚えのある優しげな男の声だった。トワはセツナの顔を膝に載せながら、言う。
「誰でもいいの?」
「ああ。ただ、一つだけ言いたいことがあってね」
 トワは、黙って次の言葉を待つ。男の声は言った。
「魂を、還してやることだな。一人きりで寂しいのはわかるけれど、『それ』は摂理に反している」
 はっとして、トワは振り返ってしまった。その男はすでにトワに背を向けて、その場から去るところだった。一瞬だけトワが見たのは、白いコートを着て、長い黒い髪を靡かせる男の姿。
 そして、トワはその姿に見覚えがあった。
「待って、『白の二番』っ!」
 だが、男はそのまま、トワの視界から消え去ってしまった。追いかけたかったが、それはできなかった。その前に、やるべきことがあったから。
 膝の上にのせたセツナの顔は、冷たかった。首も、身体も、全て冷たかった。それでも、セツナは「生きて」いた。
「ごめんね、セツナ。今、楽にするから」
 トワはセツナの頭に手を載せた。正確には、セツナの額にあるジュエルに。
 青い柔らかな光が、トワの手から放たれた。次の瞬間、セツナの額のジュエルから、『黒』の色が失われていく。段々と、透明になっていく。
 完全にセツナのジュエルから色が失われたとき、セツナは息をしていなかった。
 死んでいた。
「今度は、本当にさよなら」
 トワは呟いた。悲しくはなかった。
 ゆっくりと立ち上がると冷たい肉塊と化したセツナの身体を置いたまま、走り出した。
 
 
 
 どこかにいるはずのラビットを、探すために。