「大尉、この街から『黒』の反応が!」
「 『青』と違ってわかりやすくていいな! 今すぐ其処へ向かう。船を用意しろ!」
真紅の軍服をまとった軍人たちが駆け回る。その真っ只中に立っているレイ・セプターはただひたすら声を張り上げる。
今まで同行していた『黒』が唐突にその場から消えたのは、つい一時間ほど前のことだった。
「見つけた」
そう言って、セプターの目の前で姿を消した。
セプターは、今の今まで『黒』の能力を把握しきれていなかった。そして、その特殊な性癖も。
「急げ! さもないと」
五十階でエレベーターを降り、ラビットは目の前に広がる光景を見た。
そこは研究所の中でも元々休息所として使われていた空間らしい。普通ならば壁があるはずの場所が全て窓となっていて、三百六十度の風景が見渡せる。
眼下に広がる建物は皆灰色をしているはずだったが、夕日が全ての建物を赤く染め上げていた。
「すごい」
トワは目を見開いて、その様子を見ていた。ラビットも素直にその光景を美しいと思った。
――まだ、こんなにこの星が美しいと思えるなんて。
そう思った時。
今まで外を見ていたトワが、急にラビットの方に振り向いた。その表情は恐怖に歪んでいる。
「ラビット!」
トワの叫び声が響く。
その瞬間、ラビットは何者かに強く押し倒されて身体を床に打ちつけた。
「……!」
ラビットは何とか立ち上がろうとした。だが、身体が何かに押さえつけられているようで動かない。
ふと自分の腕を見ると、何か「黒いもの」が自分の腕を床に押し当てているということがわかった。
そして、それが自分の「影」であることに気付いたのは一瞬後のことだった。
「やあ、トワ。会いたかったよ」
声がした。
トワのすぐ前に、今までは誰もいなかったはずのそこに、一人の男が立っていた。いや、まだ少年と言ったほうが正しいだろうか。黒い髪を揺らし、影の色をしたローブのようなものを身にまとっている。ラビットには背を向けているために、顔は見えない。
「セツナっ!」
トワは悲鳴に近い声を上げる。しかしセツナと呼ばれた少年は一歩、また一歩とトワの方へと歩いていく。
「何で急にいなくなったんだい? 僕、とても寂しかったんだ……帰ろう、『時計塔』に」
ラビットはその少年の背中を見て、悪寒を覚えた。それはこの研究所に入るときに感じた感覚と同じ。
何かを叫ぼうと思ったが、声を出そうとすると「影」が喉を圧迫する。段々、息苦しくなってくる。
「やめて、セツナ。ラビットを放して」
トワの震えた声が聞こえる。しかしトワの姿はセツナの身体に隠れてラビットからは見えない。
「へえ、その人、ラビットって言うんだ」
そこで、初めてセツナがラビットを見た。どこか狂気じみた血色の双眸。そして、額にある、『黒』いジュエル。
――『黒』の無限色彩……?
ラビットは薄れていく意識を何とか保ちながら、思った。さっきトワは、『無限色彩は五色だ』と言っていたはずだ。『黒』という色は一言も出していない。
「そっか……こいつが、トワを奪ったんだね」
セツナの声が、急に低くなった。瞬間、ラビットを押さえつける『影』の力が急激に強くなる。激痛が走り、動かない身体を無理やり動かそうとするが、余計に『影』が身体に食い込む。
「セツナ、違うの! もうやめて! ラビットは、何もしてない!」
「何もしてない? そんなことあるもんか。僕の大切なトワを奪ったんだ。僕はこいつを許さない」
セツナは大声で笑った。狂っている。ラビットは思った。
しかし、このまま『影』に縛られていてはまずい。何とかこの場を脱しなくてはならない。
「違う! わたしは、『白の二番』を探してたの! この人はその旅に同行してもらっていただけ! 『時計塔』から出たのだってわたしの意志なの!」
「 『白の二番』は死んだじゃないか。まだそんなことを言っているのかい?」
「ううん、『白の二番』は生きてる! わたし、『白の二番』の声が聞こえたの。だから、会うまでは帰れないの。わかって、セツナ!」
トワは必死でセツナに呼びかける。だが、セツナは狂ったような笑みをその顔に張り付かせるだけだった。
「……わからないなあ。トワと二人きりじゃないと、僕は生きていけないんだよ? トワだってわかってるだろう? ああ、そうか」
セツナの目が、再びラビットに向けられた。赤の瞳が、細められる。
「こいつを殺して、僕が一緒に『白の二番』を探してあげるよ」
――殺される。
そう思ったラビットの行動は、早かった。
目を閉じ、微かに動く右手首を上げる。すると、まばゆい光が一瞬だけ、辺りを包んだ。
紋章魔法、『闇照らす閃光(ヴィゾフニル)』。
一瞬強烈な光を発する魔法。それだけの魔法だが、今使うのであればそれで十分だった。
「……っ!」
光に「影」がかき消され、ラビットの身体は自由を取り戻す。痛む身体を無理やり起こし、強すぎる光に目を焼かれて苦悶の表情を浮かべるセツナの横をすり抜け、トワの手を取ろうとする。
だが。
「この……色彩も無いただの人間の分際でっ!」
セツナが声を上げると、周囲にある全ての影が形を変えた。窓を覆い隠し、床も影で埋められ、漆黒の空間ができ上がる。トワの姿も、セツナの姿も影に隠され、何も見えない空間に、ラビットは放り出された。
トワの姿を探し、手を伸ばすが、何も掴まない。それどころか、すぐ側に窓があったはずなのにも関わらず、ただその手は虚空を切るばかり。
もう一度、闇をかき消すために『闇照らす閃光(ヴィゾフニル)』を放とうとするが、光の一つも出てこない。
完全な、闇。
『ふふふ……はははっ!』
どこからか、セツナの狂った笑い声が聞こえてくる。いや、むしろ全ての方向から聞こえてくる、と言った方が正しいのかもしれない。
『 「影の王国」にようこそ』
楽しそうに言う、セツナの声。その後ろで、トワが何かを叫んでいる。
『ダメ、セツナ! ラビットが死んじゃう!』
――死ぬ?
ラビットは一瞬怪訝な表情を浮かべた。さっきとは違って、何かに押さえつけられていたりするわけではない。とても死ぬような状況には、思えなかった。
セツナの言葉は続く。
『いいじゃないか。どうせ邪魔なだけだよ……こんな奴』
『お願い、やめて……ラビットを殺さないでっ……』
トワの悲痛な叫びが聞こえてくる。だが、セツナは笑うだけだった。
『僕とトワの邪魔をする奴なんて、苦しんで、苦しんで、最後に壊れちゃえばいいんだ!』
ぶつん。
通信が切られたような音。
そして、静寂。
何も見えない、何も聞こえない、何の気配も感じられない。
闇。
「トワ……?」
ラビットは言った。だが、自分が放った声すらも、闇に吸い込まれて消えるばかり。答えは返ってこない。
何が起こったのか、理解できなかった。
歩いても、歩いても、端に着かない、空間。
ここはどこだ。トワはどこだ。セツナはどこだ。
私は、どこだ。
何もかも、わからない。
ただ、闇だけが。
「……あ……」
ラビットはその場に座り込んだ。自分の指すらも見えない、闇の中。
こんな場所にいたら、狂ってしまう。
トワはこれのことを言っていたのだ。
完全な闇に対する、人の脆さ。
『壊れちゃえばいいんだ』
セツナの言葉が、ラビットの脳裏をよぎった。
その瞬間、ラビットの中で何かが切れた。
「うわあああああぁぁっっ!」
市場で買い物をしていたマーチ・ヘアは辺りが騒がしくなったのに気付き、周囲の人間が呆気に取られて見ている方向に顔を向けた。
「何よ、アレ……」
そこ……『リカー・ラボ跡地』があるはずの場所にあったのは、漆黒の塔。
日の光が全てを真紅に染める中、ただ一つ、光というものを知らないかのようにそびえ立つ、闇の塔があった。
Planet-BLUE