彼は、目を開けた。
誰かが、自分の顔を覗きこんでいた。それは、一人の女だった。オリーブ色の髪に、不思議な輝きを持つ明るいブラウンの瞳。
「こんな所で寝ていたの?」
そう言われて彼は自分が寝ていた場所が暗い部屋のソファの上だったことに気付いた。ゆっくりと身体を起こし、ソファに座りなおす。その横に、女も座る。
「夢を見た」
彼は言った。女は微笑して問う。
「どんな夢?」
少しだけ、記憶の底にあるものを思い出すかのように彼は下を向く。それから、ゆっくりと話し出した。
「……一人の男が、少女に出会う夢だった」
女は何も言わず、彼の言葉を聞いていた。
「男は、いつも星を見ていた。天文学者だったのだと思う。地球のはずれにある古びた天文台に独りで住んでいて、何も変わらない、毎日を送っていた。ただ、ずっと星を見ている、そんな生活をしていた」
「星が好きなのね、貴方と一緒で」
「そうかもな。それで、ある日、その男の元に一人の少女が現れて、言ったんだ。『地球を見たい』ってな。それで、男と少女は地球を巡る旅に出た。……そこで、目が覚めたよ」
彼はそう言って肩を竦める。女は彼の言葉を全て飲み込むかのように軽く頷き、彼に向かって言う。
「ねえ、その女の子はどういう子だったの?」
「不思議な少女だった。顔は思い出せないが、何となく、貴女に似ている気がしたよ」
女はそれを聞いて笑った。
「そっか。その二人、どんな旅をするんだろうね」
「さあな」
夢に関してあまり興味を持たない彼は素っ気なく言ったが、女は楽しげに、まるで歌でも歌いだしそうな表情で続ける。
「地球を巡る旅でしょう? どこに行くのかな……子午線天体観測塔かな? それとも星立博物館かな? 二十三ブロックのドーム街かもしれないし、もう滅びた街かもしれない」
女の中で、一つの物語が組み上がっていくようだ、と彼は思って苦笑する。もちろん女はそんな彼の思惑など気付くはずもない。
「ねえ、もしかしたら今、このドアを開けてその二人が入ってくるかもしれないわよ?」
女は突然、彼を見て言った。その目は子供のように輝いている。
「そんなわけはないだろう、ただの夢だ」
「あら、わからないじゃない。ただの夢じゃないかもしれないのよ? 何せ、貴方は
瞬間、ラビットは覚醒し、がばっと身体を起こした。
そこがいつもと変わらない車の中であることを確認し、安堵の息をつく。額に触れると、汗の感触があった。息も、どこか荒い。
『ラビット、どうしたのですか』
フロントガラスの前に置いてある立体映像投射機に、龍飛の姿が浮かび上がる。ラビットはそれを確認すると、再び座席にもたれかかった。まだ夜も半ばといったところか。ラビットには見えていないが、空には星も輝いていた。
「夢を見た」
端的に、言った。それを聞いた瞬間、龍飛の表情が歪んだ。
『どんな、夢ですか?』
ラビットは、目を閉じる。本当に嫌なことを無理やり思い出すような表情をしつつ。
「一人の男と、一人の女の夢だ」
『………』
龍飛の予想通りの答えだったのだろう。龍飛の表情がいっそう暗くなる。そして、それ以上は何も聞かなかった。トワの規則正しい寝息が後部座席から聞こえてくる。
「なあ、龍飛」
『何ですか?』
ラビットは目を細め、口元を少しだけ歪める。それは彼が皮肉を込めているときの表情であると同時に、自嘲の表情でもあった。
「私はたまにわからなくなる。『これ』が現実なのか、それとも夢なのか」
冗談交じりにそう言って、大げさな動作で自分の胸を指差す。
「夢の中で、男は私のことを夢の中の人物として語っていた。そして私はその男の姿を夢で見る……もう、わけがわからないな」
不思議な表情を消して、ラビットは呟く。龍飛はブラウンの瞳で、ラビットを見つめていた。何も言わず、ただ見つめていた。
「龍飛、『私』は現実か?」
真剣な表情で言うラビット。普通の感覚から行けばそれは正気とはとても言いがたく見えた。しかし、龍飛は知っていた。これが、いつもならば完璧に押し殺している、周囲に絶対に見せようとしない彼の本来の感情であることを。
『ワタシには』
龍飛は言葉を選びながら、慎重に言った。
『……ラビットはここにいるように思えます。最低でも、ワタシから見れば』
その言葉を聞いて、ラビットは再び、安堵の息をついた。
「そうか、そうだな……すまない、変な事を言った」
『ラビット』
「何だ?」
龍飛は俯いた。オリーブ色の髪が、揺れる。
『ワタシは、貴方が「誰」であろうと、「何」であろうとずっと貴方についていきますから……どうか、自分が独りだなんて思わないで下さい』
ラビットは目を丸くした。龍飛はそれを見て笑う。夢で見た女と同じ顔に見えるのに、浮かんでいるのは夢では一度も見ることがなかった悲しげな、儚げな笑み。
『お願いします、ラビット』
龍飛は訴えるように言った。ラビットの表情が、寂しげなものへと変わる。
「ああ、ありがとう、龍飛……」
――それでも、私は。
ラビットは、暗い空を見上げて思う。
――これが現実であって欲しいと思うし、全ては夢であればいいとも思う。
空の真ん中には、一つだけ、ひときわまばゆく輝く星が見えた。もうすぐこの星を破壊する、その星だ。ラビットの視力では、それを捉えることはできないが。
それでも、ラビットが窓に向かって伸ばした指は、その星を指していた。窓の冷たい感触が伝わる。
――その矛盾した心で、私はどこまで行けるというのだろう?
その夜、ラビットはそれ以上眠らなかった。
Planet-BLUE