クロウ・ミラージュは、狭い部屋の隅にあるディスプレイに向かって何かを話しかけていた。
ディスプレイには銀髪に金色の目をした青年が映し出されていた。青年の喉下には、白い宝石のようなものが埋め込まれていて不思議な輝きを放っていた。
『どう? そっちの様子は』
「……多分……まだ、平気」
ゆっくりとクロウは言う。画面の向こうの青年は苦笑する。
『まだ、ね。確かに、これからどうなるかは僕にはわからないしね』
「カルマ」
クロウは青年の名を呼んだ。
『何?』
青年、カルマは首を傾げた。年は二十代も半ばに見えたが、その仕草の一つ一つはまだ幼い少年のようにも見えた。
「黒、動き出すよ」
『刹那が?』
クロウの言葉を聞いて、カルマの表情が固くなる。クロウはやはり言葉を選びながらゆっくりと言う。
「黒、トワ、取り戻したい。兎、トワ、守りきる、わからない……」
カルマは喉の白い宝石に触れながら、悔しそうに言った。
『僕が病気じゃなければ、助けに行けるのにな。クロウも、まだ行けそうにないよね』
クロウは悲しげな表情を浮かべながら頷く。それから、口を開く。
「……クレセント、気付く?」
『あの人は……どうだろうね。もし気付いても、あの人はすぐには剣を抜けないタイプだからね。僕と違って』
突然自嘲気味な口調で言うカルマ。その瞬間、クロウの黒曜石の目が、真っ直ぐとカルマを見据えた。
「カルマ、私には守りたいものがあるの」
やけにはっきりとした声で、クロウは言った。
カルマは突然のクロウの変貌に驚きながらも、頷く。
『うん、僕もだよ』
「兎にも守りたいものはある。それに、クレセントにも」
そこで、カルマはやっとクロウの言葉の意味を理解したらしい。
『……そうだね、ごめん。あの人は剣を抜けないんじゃない。ただ、剣を抜いてしまったら、何も守れないって知ってるんだよね』
「兎はトワを守れないかもしれない。そうしたらクレセントは剣を抜くかもしれない。最悪の事態よ」
クロウの口調は激しかった。カルマは少し俯き、ぼさぼさの銀髪の先をつまむ。
『僕に、剣を抜けと?』
「私は、抜く」
あくまではっきりとしたクロウの言葉。
カルマは、ふと笑った。
『わかった。……僕も』
クロウは、廊下に出た瞬間大声が聞こえてきて立ち止まった。
「何のつもりだ、トゥール!」
クロウからは背中しか見えないが、それが大佐バルバトス・スティンガーの巨体であることはすぐにわかった。そして、その向こうにいるのは……もちろんスティンガーの身体に隠れて見えないが……弟であるトゥール・スティンガーなのだろう。
「あら、『何のつもりだ』って言われてもねえ? あたしはただ、兄貴にいろいろ教えてもらいたいだけよ?」
くすくすという笑い声すら含んだ言葉とは裏腹に、その声は寒気を感じるほど低かった。明らかに、脅迫の口調だ。
「……目的は?」
スティンガーは声を潜めて言う。トゥールのくすくす笑いが響く。
「興味本位よ。当然でしょう?」
「嘘をつけ! 私は知っているぞ、貴様がヴァ」
ひゅん、と風を切る音がした。
そして、クロウも見ることができた。スティンガーの首元に何か銀色の光の帯のようなものが当てられている。いや、正確には光の「刃」と称するべきもの。
「……見られてるぞ、兄貴」
スティンガーは言葉を失ったかのように黙り込み、背後にいるクロウを見て、驚きの表情を見せる。今までクロウが後ろにいたことすらも気付いていなかったのだろう。クロウはスティンガーの鋭い黒い瞳が嫌いだったが、ここで目を逸らしても不自然だったので逆にスティンガーの目を見つめ返した。
「ミラージュ」
スティンガーの口から、憎しみすらも感じられる声が漏れた。
「あと一度だけ、聞くぞ。結局、アンタは何をした」
トゥールの口調が変わっていることに気付いたのは、何もクロウだけではないだろう。
現に、スティンガーはクロウのほうを向いたまま、憎しみと恐怖が入り混じったような表情を浮かべている。
「……『黒』だ」
「何?」
「 『黒』の鈴鳴刹那を『青』の奪還に向かわせた! すぐにでもセプターと合流するようにと言ってな!」
トゥールが明らかに舌打ちをした。
最低でもクロウにはその音が聞こえた。
「最悪」
スティンガーの首筋に当てられていた光が消えた。そしてスティンガーの巨体の影から初めてトゥールが姿を現した。
トゥールはやはりスーツ姿だったが、長く伸ばした黄色の髪は珍しく後ろで束ねられていて、普段は必ずかけている色眼鏡もスーツの胸ポケットの中だった。義眼特有の真紅をした瞳が露わになっている。
「……ああ、ありがとう、兄貴。今の私からしてみればそれで十分だ」
トゥールは一瞬スティンガーの方を向いて言った。しかしスティンガーはトゥールを見もせずに吐き捨てるように言った。
「二度と来るな」
そのまま、スティンガーは立ち去った。トゥールは色眼鏡をかけて、クロウと向き合った。
「あはは、姫にかっこ悪いところ見られちゃったわね」
「 『黒』……向かう、兎の、とこ」
クロウはポツリと言った。トゥールの表情は落ち着いていて、声も明らかにさっき放たれていたものとは違った、いつもの響きに戻っていた。
「そっか、姫は気付いてたのね。貴方も『白』だものね」
頷くクロウ。トゥールは困った表情をした。
「……となるとわかっていないのはあの白兎さんだけになるわね」
「でも……兎、影に」
今にも泣き出しそうな表情になるクロウ。トゥールの左手が、クロウの肩にかかった。
「わかったわ、あたしも最大限のことはする。ただ……あたしができることにも限界があるわ。あたしは白兎の敵でもないけど、味方にもなりきれないの。貴女と違ってね」
「時間、ない?」
クロウは聞き返した。トゥールは苦笑した。
「姫は全部お見通しよね。ええ、そうよ」
すっとトゥールは身体をかがめ、目線をクロウに合わせた。そうしてから真剣な表情で、言う。
「姫、お願いがあるの」
トゥールはすぐに、大佐シリウス・M・ヴァルキリーの居場所を突き止めた。彼女は本部ビルにほんの数箇所しかない喫煙所で煙草の煙をくゆらせていた。
「シリウス」
ヴァルキリーは呼ばれてトゥールを見た。その表情はどこか暗い。
「ああ、トゥールか。聞いたぞ、またスティンガー大佐を脅迫したらしいな」
「そんなことはどうだっていいの。アイツ、今度は『黒』を勝手に動かしたわ」
それを聞いて、ヴァルキリーの顔色が変わる。
「まさか! 『黒』は時計塔に幽閉しておいたはずだ」
「それを兄貴が出したのよ。『青』を奪還するためにね!」
トゥールの語気もいつになく荒い。ヴァルキリーはまだ半分以上残っている煙草を灰皿に押し付け、火を消した。
「……最悪だ」
苦々しく呟くヴァルキリー。
「でしょ?」
そう言いながらトゥールはヴァルキリーの横に座った。
「全く今日は厄日だ。……トゥール」
「言われなくてもわかってるわ。姫に頼んで兎とのアクセスをしてもらうよう言っといた」
ヴァルキリーは少々驚きの表情を浮かべた。
「相変わらず根回しがいいな」
「時間がないのよ」
素直な賞賛であるヴァルキリーの言葉に対して、皮肉じみた声色で返すトゥール。その言葉を聞いて暗い表情を戻す。
「そうか、そうだったな」
しばらく、二人は黙り込んだ。重たい沈黙が流れる。
その沈黙を破り立ち上がったのは、ヴァルキリーだった。
「セプターに連絡を取る」
「それが正解よ」
「ああ、それもあるが……セプターに言っておかなくてはならないことがあることを思い出した」
ヴァルキリーは苦い顔をする。トゥールもその意味に気付いたのだろう、色眼鏡の下の目を細めた。
「捨て身ね」
「いつか知られることだ。奴がどうにかなる前に、言っておく必要はある」
トゥールも頷いて立ち上がり、ヴァルキリーとトゥールはお互いに背を向け、相手の顔も見ずに、同時に言った。
『結末がどうであれ、最後まで足掻くべきだろう?』
ヴァルキリーは自分の部屋に戻ると、通信受像機のスイッチをオンにした。当然通信の相手は地球で『青』奪還のために動いているレイ・セプター大尉だ。
セプターと通信が繋がるなり、ヴァルキリーは口を開こうとしたがそれをセプターの声が遮った。
『ヴァルキリー大佐、申し訳ありません、また「青」の保護に失敗して』
「いや、そのことを責める気はない。……それと、レイ。周りには誰もいないのだろう? 二人きりで話しているのだ。そこまで畏まって話す必要もない」
画面に映し出されたセプターは一瞬意外そうな表情を浮かべた。しかしすぐに今までのどこか固い表情とは別の表情が覗いた。
『……で、シリウス。実際には俺に何の用なんだ? まさか「青」の捕獲から外れろって?』
まるで昔からの友人のような親しみを持って言うセプター。ヴァルキリーはその切り替えの早さにただ呆れるばかりだった。
「相変わらずだな。何、そういう用ではない。ただ、用件自体はとても深刻でな」
『今ですらかなり深刻なのに、この上からまた?』
セプターは苦い表情をした。やはり今までの『青』の捕獲失敗の連続から来るダメージが大きいのだろう。ヴァルキリーも真剣な表情になる。
「まず、一つ。無限色彩の『黒』をそちらに派遣することになった」
『 「黒」?』
「そう。『黒』の鈴鳴刹那。奴は異常な精神状態の持ち主だったため私が幽閉しておいたのだが……何でも痺れを切らしたスティンガー大佐が開放し、そちらに向かわせたらしい」
セプターは機械仕掛けの右手を目に当てる仕草をする。
『スティンガーのおっさんか。また厄介なことを』
「 『黒』は影を操る能力に長ける。『攻撃』に特化した能力だ。そして『青』に傾倒しすぎているきらいがある。何とか『黒』の行動を抑えてくれ」
ヴァルキリーは言った。だが画面の向こうのセプターは不安げな表情を隠せないようだった。
『……できる限りはな』
その声にも自信は感じられない。その理由はヴァルキリーにもわかっていた。
かつて、セプターは『白の二番』クレセント・クライウルフのパートナーだった。そのため、無限色彩には特別な思い入れがあるし、それでいて無限色彩の恐ろしさも理解している。
何よりも、彼はかつてクレセント・クライウルフの無限色彩の暴走に巻き込まれた経験がある。正確には『白の二番』が持つ精神感応能力の暴走に伴う「紋章魔法の暴走」だったのだが。その証拠にセプターの右腕はクレセント・クライウルフの放った『地を呑む蛇』に奪われていて、今はない。
「それと」
『何だ?』
ヴァルキリーは少し間を空けた。正直、セプターに対しては言いたくないことではあった。しかし、言わなくてはならないことである。
セプターは首を傾げてヴァルキリーを見ていた。
ヴァルキリーの唇がほんの少しだけ動いて、微かな言葉を紡いだ。
「クレセントは生きている」
『何だって?』
セプターの目が見開かれる。今度はヴァルキリーもはっきりと言った。
「クレセント・クライウルフは生きている。この前、『魔王』ロキが政府のコンピューターにハッキングをかけてきた。無限色彩の情報だけを求めてな」
『偽者じゃないのか?』
「いや、本物だろうな。あんなふざけたやり口はクレセント以外に考えられない。それに、無限色彩の情報を求めているとなると、余計に本物である可能性が高い」
セプターは信じられないといった様子でかぶりを振る。
『だけど、生きているはずない! アイツはあの事件で消えたはずだろう?』
「私もそう思っていたが……こちらでもまだ調べている途中だから何とも言えないが、ロキの残した三行詩の文面から見て、確実に奴は『青』を追っている。目的はわからないが、な」
『………』
黙り込み、何かを考えているセプター。その表情はいろいろな感情が入り混じっているようにも見え、ヴァルキリーには読み取れなかった。
『なあ、シリウス』
「何だ?」
『クレス、生きていたとしても何がしたいんだろうな。「青」をもし見つけたら、どうするつもりなんだろうな……』
ヴァルキリーは目を伏せた。彼女がセプターに言っていないことはあまりに多い。しかし、一つだけ、言えることがあった。それは、あくまでヴァルキリーの嘘偽りもない言葉。
「私にも、わからないな」
セプターはヴァルキリーからの通信を切ると、ベッドの上に倒れこんだ。
また彼は、ホテルにいた。今度は誰にも邪魔されないように、「独りにして欲しい」と初めからルーナ・セイント准尉にも言っておいた。
「クレス」
声に出して、言った。もちろん、どこからも返事は帰ってこない。
――生きているとは思っていなかった。本当に、死んでしまったと思っていた。どこにもいないと思っていた。
セプターは混乱していた。
――生きているとすれば、どこにいるのだろう。何をしているのだろう。そして、どうしようとしているのだろう。
それを考えれば考えるたびに、頭の中がかき混ぜられるように感じられた。
だからだろう、セプターは部屋の中に生じた異様な気配に気付いていなかった。
――アイツは、ずっと独りなのだろうか?
そう思った瞬間、セプターは何者かに顔を覗きこまれ、驚き、目を見開いた。
そこにいたのは、まるで影のようにつやのない黒い髪に、血色の瞳を持った少年だった。
だが、実際にセプターが目にしていたのはそこではなく、額の左側にある、親指くらいの大きさをした黒い石。
「……初めまして、レイ・セプター。突然お邪魔してしまってごめんなさい」
まるで唇が触れてしまうような位置まで顔を近づけて、それは言った。
「誰、だ?」
聞かなくても、わかっていたが、聞かずにはいられなかった。
「ああ、僕は鈴鳴刹那。『黒』の無限色彩保持者で……『呪縛の黒』と呼ばれているよ」
それ……刹那は笑った。どこかが歪んだ、笑い方で。
「それで、レイさん、聞きたいんだけど」
顔を近づけたまま、低い声で刹那は言う。セプターは身が凍るような感覚を覚えていた。今まで出会ってきたどんな相手よりも強い、『狂気』。
「……トワはどこ?」
Planet-BLUE