ラビットは、今の状態をどう脱するかを考えていた。
真紅の服の軍人に囲まれ、レイ・セプターを相手取り、どうやってこの窮地を脱するか考え出そうとしていた。
「ああ、そうだ、初めからアンタには彼女を渡す気がないのはわかってるからその前に聞いておきたいことがあったんだ」
意外にも、セプターがそんなことを言い出した。剣をラビットに突きつけてはいるがその表情は敵対している相手とは思えないほど明るく、まるで親しい友人に対しているようにも見えた。周囲の軍人たちもセプターの言動に驚いた表情を隠せないようだった。それはラビットには滑稽にすら映った。
「何だ」
対して、ラビットは不機嫌そうに言ってセプターを見据えた。もちろんサングラス越しに見ているのだからセプターにはその目が見えていないが。流石にセプターはラビットの声の響きに気付き苦笑する。
「簡単なことだ」
セプターの右手に仕込まれた剣がゆれる。
「……アンタさ、何でそこまでして彼女を連れて逃げるんだ?」
ラビットは即答する。
「彼女は助けを求めていた。私は彼女を守りたい。それだけだ」
答える義理などない。しかしこれだけは言わずにはいられなかった。
セプターの笑顔が消え、どこか自嘲気味な表情に変わる。そしてラビットにぎりぎり聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
「アンタとは敵同士になりたくなかったな……アイツと同じような事を言う」
セプターは顔を一瞬伏せ、すぐに上げる。今度は鋭く、緑色の澄んだ瞳がラビットを見据えた。先程までゆらゆらとゆれていた剣の切っ先が、ぴたりとラビットの胸元に狙いを定める。
「ただ、俺は俺の仕事を果たさなきゃいけないんでな。悪く思うな」
その瞬間自分が背にしていたドアが開き、思ったよりずっと強い力で腕を引かれた。マーチ・ヘアだ。
「アンタね、のこのこ飛び出していってもやられるだけでしょう?」
家の中に無理やりラビットを引きずり込み、マーチ・ヘアは喚いた。
「……アンタって案外無計画なのね」
「悪かったな」
ラビットも随分落ち着いたらしく、少々困惑した表情ながらも呟いた。マーチ・ヘアの後ろでは、トワと老婆が心配そうな表情でラビットを見ていた。
バンバンと乱暴にドアを叩く音が聞こえる。窓を覗き込む軍人の姿もある。何かを叫びながら、何人もの軍人が窓の前に集まってきて、今度は窓のガラスを叩き始めた。
何かがおかしい、とラビットは思った。
こんなドアや窓、すぐに破られてもおかしくはない。しかし、壊れるどころかひび一つ入る様子もない。明らかに異常な光景だ。
ふと、ラビットが老婆に目を向けると、老婆はすっと部屋の奥にあるドアを指差した。小さい、ラビットやマーチ・ヘアでは頭をぶつけてしまいそうなサイズのドアである。だが、今までラビットはそのドアの存在には気付いていなかった。いや、正確には「そこにはさっきまでドアなどなかった」という違和感があった。
「ここから出て行った方がよろしいでしょう。ここから出れば捕まることもありません」
老婆は落ち着いた声で言った。その表情は優しげで、しかしどこか悲しげな笑みだった。
「……何故、捕まらないと断言できるのです?」
ラビットは低い声で言った。
「私が、こうするからです」
老婆は窓の外に目を向けた。その瞬間、外から軍人たちの悲鳴が上がった。ラビットはとっさに窓の外を見た。石畳が隆起し、家々が崩れ、軍人たちを襲っていた。あまりに異常な光景にラビットも、トワもマーチ・ヘアも目を丸くした。ただ老婆だけが笑みをたたえていた。
「さあ、早く行ってください。私の夢が覚めないうちに」
老婆は歌うように言う。ラビットは何が何だかわからないといった表情で老婆と窓の外の光景を交互に見ていたが、その袖をトワが引いた。
「行こう、もうすぐここも壊れちゃう」
トワの言うとおりだった。壁が薄く輝き、砂のように崩れ始めていた。ラビットはドアを開き、外へと足を踏み出した。
瞬間、目の前が金色の光に染められた。頭が朦朧として、そのままラビットの意識は薄れていった……
ラビットが目を覚ましたのは、砂の上だった。灰色の荒野が一面に広がっているのが見える。街の姿などはどこにも見えない。起き上がって落ち着いて見ると、横にトワとマーチ・ヘアが倒れていて、すぐ側に車がぽつりと停めてあった。
ラビットは車のドアを開け、龍飛を呼んだ。
「龍飛、ここはどこだ?」
すぐに立体映像映写機に映し出された龍飛は、困った顔をして言った。
『それが……突然、先程の地点から二十キロメートルほど南西の位置に我々は出現したようです』
「わかった、先ほどまでの位置はマークしてあるんだな?」
『はい』
それを聞いてすぐに車を降りると、ラビットはトワを揺り動かした。トワは起きる様子を見せない。その横で、マーチ・ヘアが頭を振って起き上がるのを見た。
「……何、ここ、どこなのよ? 街はどこに行ったのよ」
「よくわからないが……我々は急にここに飛ばされたらしいな」
トワを抱き上げながらラビットは言った。マーチ・ヘアは余計に混乱した様子だ。無理はないが、とラビットは思った。ラビット自身、こんなに落ち着いているのが不思議なくらいである。
ラビットはトワの身体を後部座席に横たえてから運転席に座り、マーチ・ヘアに向かって言う。
「マーチ・ヘア、どうもトワが目を覚まさないようだから、後ろに乗ってトワの様子を見ていてやってくれ。今からさっきの街の位置まで戻る」
マーチ・ヘアが後部座席に座ったのを確認すると、キーを挿し、動力を起動させる。車体が浮かび、真っ直ぐに走り始める。
『マーク地点まで残り十キロメートル』
時折、龍飛が告げる声を聞きながら、ラビットは何かを考え込んでいた。
マーチ・ヘアは後部座席から身を乗り出して、ラビットの横に顔を近づけた。
「ねえ、ラビット。あのおばあさん、一体何者だったの?」
「今から、それを確かめに行くんだ」
ラビットはそっけなく言った。マーチ・ヘアは納得の行かない表情でラビットを睨んだが、ラビットに相手にされそうにないとわかると後部座席に体を埋め、横で寝ているトワを黙って見た。
そうやって進んでいると、目線の先に何かが見えてきた。
「ラビット……あれ」
マーチ・ヘアの声は、小さかった。ラビットもそれを見て絶句した。
目の前にあるのは、廃墟だった。
すでに滅びた過去の遺物しか、其処にはなかった。
『マーク地点五百メートル前です』
龍飛の声が響いた。車を停め、ラビットはふらりと車を降りる。マーチ・ヘアの止める声も聞かずゆっくりと、ゆっくりと歩いていく。灰色の、崩れた壁、鉄骨。それらが転がっているだけの街を。
しかし、ラビットは気付いていた。これだけしかなくとも、わかった。
自分が歩いているのは、さっきの街そのものであること。
さっきまで見ていた黄金色をした街の『イメージ』は
「やはり、全て貴女のものだったのですね」
ラビットは顔を伏せて言った。いつの間にか背後に現れていた老婆は静かに頷いた。
「ええ、そうですよ」
「教えてください、貴女は『誰』ですか」
老婆を見ないまま、顔を伏せたままラビットは言った。
「……付いてきてください」
老婆は笑って言って、さっきラビットたちを招いた老婆の家と同じ方向に歩きはじめた。ラビットも顔を上げ、その背を追う。
広場、らしきひびだらけの石畳の上に累々と積み重なって倒れている真紅の軍人たち。その横を老婆は軽やかな足取りで歩いていく。ラビットはさっき軍人たちに起こった現象を思い出してみた。家が崩れて軍人たちを巻き込み、石畳が隆起して襲い掛かった……それにしては、傷を受けているような様子はない。
そして、レイ・セプターの姿はなかった。
「安心してください、気絶しているだけですよ、『イメージ』を見せただけですから」
老婆はそんなラビットの心中を察したかのように言った。
そうしているうちに、二人は家の前に立った。他の家に比べると壊れ方が少ない、二階建ての小さな家。さっき見た老婆の家と、確かに同じ形をしている、とラビットは思った。
老婆の手がドアノブにかからないうちに、ドアは自動的に開いて二人を迎え入れた。其処には小さな足のかけたテーブルと小さな四つの椅子がポツリと置いてあるだけだった。
「ようこそ、私の家へ」
老婆はラビットの手を握って笑い、「どうぞ座って」と椅子を指す。ラビットは埃だらけの椅子に座った。老婆もラビットと向かい合うように座る。
ラビットは何を言おうか迷っていた。どんなことを言っても、目の前にいる人を傷つけてしまうような気がして、何も言えなくなった。
そんなラビットの様子に気付いたらしく、老婆はにっこりと笑いながら優しい声で言った。
「貴方は、この街の本当の姿に、初めから何となく気付いていましたね……いつ、気付きました?」
「……初めから。この街は、六年前に『灰吹雪』で滅びていたはずですから」
静かに、ラビットは言った。老婆はその言葉を聞いて頷いた。笑顔に、悲しみの色が混ざったように見えた。
「ええ、よくご存知ですね。その通り、この街は六年前、『灰吹雪』に襲われました。強烈な砂嵐と磁気嵐で、人はほとんど死に、生き延びた人も街を離れ、完全に街は死んでしまいました」
老婆は目を閉じた。そのときの様子を思い出すかのように。
「生き延びた人の一人だった私は、夫とこの街に残りました。二人だけでした。それでも、幸せでした……私は、この街が好きだったから」
しばらく、老婆は黙った。その幸せを思い浮かべているのだろう。ラビットはそれを邪魔するようなことはせず、ただ黙ってそんな老婆を見ているだけだった。
「……けれど、そんな幸せも長くは続かないものですね。夫はやはり病気で、四年と十ヶ月前にこの世を去りました。それで街は私一人になりました。とても、寂しかったのです。……それで、私は、街を『イメージ』することを始めました」
すっと老婆は手を伸ばした。その手の上に、小さな壊れ果てたこの街の幻影が浮かび上がった。
「初めはまず、平和だったころの街を思い浮かべました。それから、昔映像放送で見た他の平和な星の風景も重ね合わせました。私には、それらの風景が全て黄金色に輝いて見えました」
壊れ果てた街の幻影が、一瞬揺らめき、今度はさっきラビットが見ていた黄金色の街の幻影へと変わる。
「その作業はとても楽しいものでした。自分が一人でいることも、街が死んでいることも忘れさせてくれました。そうしているうちに……私は気付きました。死んでいたはずの街が、私のイメージどおりの姿になっていたことに」
老婆は手を振り、幻影を消し去った。
「街には人があふれ、歌があちらこちらから聞こえてきて、いつもお祭りが行われていて。私のイメージどおりの街ができ上がっていました。でも、私は幸せにはなれませんでした。あくまでそれは私のイメージ。私が夢から覚めると、自分が独りでいることを自覚すると消えてしまうのです。形はあれども結局儚い、幻なのです」
言葉を切り、老婆は長く長く息をついた。それでも、その表情はどこか嬉しそうだった。
「……だから、貴方方が来て下さった時、とても嬉しかったのです。それに、この街を見て、楽しいと言ってくれたことも。私のイメージを、初めて人に認めてもらえて……嬉しかったのです」
ラビットは、老婆を見た。
「……どうして、私にそのことを話して下さったのですか?」
「そうですね……誰かに、知っていてもらいたかったのでしょう。この街のことを。それに、この私のことを」
そう言った途端、老婆の身体から急に力が抜けた。ラビットは立ち上がり、倒れそうになった老婆の身体を支えた。
「大丈夫ですか?」
ラビットはそう言いつつも、大丈夫なわけはないと思った。老婆の身体はひどく細く、そして冷たかった。
「……ああ、もうこの身体も、限界みたいですね」
つく息も荒かったが、声だけはやけに落ち着いていた。
「旅の方、どうか、上の階に連れて行っていただけないでしょうか? 上にベッドがあるので」
ラビットはすぐに老婆の軽い身体を抱き上げる。老婆の肩に触れると、少しの違和感を覚えたが、ラビットは何も言わず今にも崩れそうな階段を上った。小さな部屋の隅に、やはり小さな、綺麗とは言いがたいベッドがあった。そこに老婆を横たえる。
「貴女は、自分がいつこうなるのか、何となくわかっていたのですね」
ラビットの声は静かだったが、少しだけ悲しげな響きが混じっていた。老婆は頷く。
「ええ。……だからその前に、貴方方に会えてよかった。ほんの少しの間でしたが、最後にいい思い出ができました」
あくまで優しく、落ち着いた声で、ラビットは余計に悲しかった。熱い何かがこみ上げてくるようにも思えた。
お互いに何も言わなかった。老婆の息の音だけが聞こえる。
「……あの」
「ええ、わかっています……これのことですね」
老婆は言って、服をすこしずらして肩を見せた。肩に、親指くらいの大きさの黄色い石が見えた。それは、まるでオパールのような輝きを持っていた。さっきラビットが感じた違和感の正体が、これだった。
『あと、無限色彩を持っている人は、身体に「ジュエル」がついているの』
『ジュエル……?』
『うん。色のついた宝石みたいなもの。そのジュエルの色によってその人の無限色彩の強さが決まるの。「青」が一番強くて、「赤」が一番弱い』
トワが前、言っていたこと。それが、ラビットの脳裏に蘇った。
「……無限色彩」
ラビットの呟きに、老婆は悲しげな微笑で返した。
「そうです。私が、この街の『イメージ』を形にできたのも、すべて無限色彩の力。私は『黄』。決して強い力ではないけれど……私に夢を与えてくれました」
ラビットは何も言えず、ただうつむくことしかできなかった。老婆はそんなラビットをじっと見ていた。
「もう、時間がありませんね……最後に、貴方の名前を聞かせてはくれませんか?」
老婆は言った。ラビットは躊躇したが、すっと老婆の前に跪き、老婆の冷たい手を片手で握って目を閉じた。
それだけで、何も言わなかった。
沈黙が、流れた。
ラビットが目を開けたとき、老婆は、微笑んでいた。
「そう、ですか……貴方が」
その瞬間、ラビットの目から涙がこぼれた。自分でも何が起こったのかわからなかった。何故涙がこぼれるのかわからなかった。老婆の手を握っていない方の手で、目を乱暴にこすったが、涙は止まらなかった。
「貴方は」
老婆の声。
「とても、悲しいけど、優しい人ですね」
「何故、そう……思う?」
くぐもった声でラビットはそう返すことしかできなかった。止めどなく流れる涙をどうすることもできない。
「貴方は、人の『痛み』を理解できてしまう人だから……その涙がそう、言っています」
歌うように、老婆は言う。ラビットは顔を上げた。
「どうか、泣かないで。私は今、とても幸せです」
老婆は満面の笑みをたたえて、そう言った。
「それを、あの女の子にも伝えてあげてくださいな。あの子も、私のこと、心配してくれていましたから」
それが、トワのことであるというのはすぐにわかった。ラビットは、頬をつたう涙の熱さを感じながらもゆっくりと頷いた。
「ありがとう……優しき方。これで私も、ゆっくりと眠れます」
「はい……どうか、安らかに」
ラビットは老婆を見て、微笑みを形作る。涙はまだ止まっていなかったし、元より歪んだ微笑みとも言えないものにしかならなかったが。
それでも、老婆は嬉しそうに頷き、そのまま天井を向いて目を閉じた。
そして、息の音がどんどん微かになり、最後には止まった。
その瞬間、老婆の肩にある黄色いジュエルから黄金色の光が放たれ、部屋の中を照らし出した。ラビットはそれに気付き、はっと周囲を見渡す。
それは、花畑の『イメージ』だった。
黄金色の、どこまでも続く花畑。そこを、一人の少女が駆け抜けていくのを見た。その少女は、一瞬ラビットを見て、楽しそうに笑った。
多分、それは老婆の昔の姿なのだろう、とラビットは思った。
少女の幻は花畑の向こうへと駆けていき、揺らめいて消えた。花畑の『イメージ』も同時に揺らめいて、すぐにラビットの見ているものは灰色の部屋に戻る。
ただ、ラビットの、老婆の手をずっと握り締めていたはずの左手はいつの間にか老婆の手を放し、金色の小さな花を握り締めていた。
幻のはずのそれは、瑞々しい質感もそのままで、完全に『実体』を伴っていた。
ラビットは、直感的に理解した。
「ああ……これは、『私のもの』なのですね」
無意識ながらも声に出して言った。老婆はもう頷かなかった。
また、涙があふれてきた。金色の花を握ったまま、ラビットはそのまま老婆の眠っているベッドに頭を埋め、止めどなく流れる涙にまかせることにした。
だから、ラビットは気付いていなかった。
ずっとその様子を見ていた人影にも、その人影がゆっくりとその場を去ったことも。
「……帰還する」
灰色の小さな家から出てきた真紅の服の軍人、レイ・セプターは家の前で待っていた黒髪の女軍人、ルーナ・セイントに言った。
「よいのですか? 今が『青』を捕らえるよい機会ですよ」
「いや、いいんだ……こっちもこれだけやられてるしな。それに」
――あんなの見せられたら、戦る気だって失せるさ。
セプターはそう思い、冷たい風を感じながら、さっき家の中で見た、あの不思議な情景を思い出していた。幻の金色の花畑。無防備に、ただただ涙を流すだけの白兎。
その思いを振り払うように頭を振り、セプターは気を取り直して言った。
「……行くぞ、少尉。本部に報告だ」
「 『黄』の人」
目を開けたトワが、呟いた。不思議なことに、急に涙がこぼれてきた。
「よかった……あの人は、それで幸せだったんだね」
Planet-BLUE