ラビットは車を降りて、目の前に広がる光景を呆けた表情で見ていた。
荒野の中に忽然と現れた、不思議な街。今まで灰色の世界が広がっていた中、ここだけが黄金色に輝いているように見えた。
立ち並ぶ家々、にぎやかな通り、幸せそうな表情の人々。それら全て、ラビットが今までの旅の中で見たことないものだった。
「何よ、こんな辺鄙な所にこんなにぎやかな街があったの?」
街の門の前に止めた車の助手席に乗っているマーチ・ヘアが窓から顔を出して言った。
「……いや、確かここは」
ラビットが何かを言う前に、誰かがこちらに近づいてきているのが見えて、そちらを向く。それは、一人の老婆だった。やけに小柄だな、とラビットは思った。
「こんにちは、旅の方」
老婆はにっこりと笑って言った。ラビットも慌てて礼をする。
「私はこの街の長です。旅人さんがいらっしゃるなんて何年ぶりのことでしょう。……どうぞ、楽しんで行ってくださいね。何も無いところですが」
「はい……ありがとうございます」
ラビットの言葉を聞き、老婆は満足そうに笑み、その場を去った。何が何だかわからないという表情でその場に立ち尽くしていたラビットだったが、マーチ・ヘアの言葉で我に返った。
「ねえ、せっかくだから泊まってかない? あたし野宿ばっかりで疲れてるのよ」
「……あ、ああ」
気のせいだろうか、とラビットは思った。老婆と対したとき、感じた不思議な感覚。車に乗り込みながら、それを考えていた。
「ラビット」
後ろの席に座っていたトワが、ラビットを呼んだ。
「行こう、大丈夫だから」
「………?」
トワは薄く笑っているようにも見えた。ラビットは妙な感覚に囚われながらも車のアクセルを踏んだ。
トワはじっと、窓の外を見ていた。煉瓦造りの家。駆け回る子供達、仕事をする大人。
マーチ・ヘアは大きく欠伸をしながら呆れたように言った。
「トワ、そんなの見てて楽しい?」
「……うん」
トワの声は小さかった。実際、トワはマーチ・ヘアのことが少々苦手らしく、どこか萎縮した態度を見せることが多いのだが、今度の場合は少し違うように思えた。
ラビットはハンドルを握りながらも、この街の様子についてずっと考えていた。
突然現れた街。荒野の中にただ一つだけある街。龍飛に確認してもらったのだが最新の衛星発信地図には載っていない。それに、こんな街がこの地球上に存在しているということ自体がどこか妙な気がした。
何が、妙なのだろう?
一番重要なところがわかっていない、そんな気がしてラビットは軽く頭を押さえた。その時、トワが声を上げる。
「あ、何かやってる」
トワの指した指先を追うと、何か祭りのようなものをやっているように見えた。不思議な格好をした人々がねり歩いている。ラビットはブレーキを踏み、車を止めた。それから、トワを見て言った。
「……見るか?」
「うん」
嬉しそうに頷くトワ。ラビットはゆっくりと車を道の端に停めると、トワとマーチ・ヘアとともに車を降りた。
弾むような旋律とともに、黄色や金色の装束に身を包んだ人々が踊りながら道を進んでいる。黄色い風船が舞い、花火が鳴る。
あまりに華やかで楽しげな様子に、トワが目を輝かせてそちらに駆けていき、マーチ・ヘアがそれを追う。ラビットはその後をゆっくり付いていき、パレードの近くまで来た。
近くで見ると迫力が違う。ラビットですら、その様子に目を奪われるほどだった。
「今、ちょうど祭りの時期なんですよ」
横で声がした。すると、ラビットの横にいつの間にかさっき門の所で会ったこの街の長である老婆が立っていた。優しげな微笑をたたえたまま、彼女は続ける。
「皆楽しそうでしょう? こんな場所だからこれくらいしか楽しみが無くて」
確かに、踊っている人々も見ている人々もとても楽しそうだ。
ラビットはその様子をしばらくは黙って見ていたが、ふと老婆に目を向けて言った。
「一つ聞かせていただけませんか? こちらの興味本位なので答えてくれなくても構いません」
「ええ、どうぞ」
頷く老婆。ラビットは少し沈黙して、それから口を開いた。
「この街は、貴女が創ったのですか?」
老婆の表情が、一瞬困惑したものに変わった気がした。ラビットは、その表情が質問の意味がわからないという困惑ではないということを察知した。
再び、お互いに沈黙する。トワもマーチ・ヘアも金色のパレードに目を奪われていて、ラビットと老婆には気付いた様子がない。
「すみません、変な質問をしてしまいましたね」
老婆の沈黙があまりに長かったので、ラビットは少々気まずくなって頭を下げる。しかし老婆は首を横に振った。その表情は、微笑みに戻っていた。
「いいえ、そんなことはありませんよ。貴方はとても鋭い方なのですね。そうですね、私の家に来ていただけますか? この街には宿が無いので、ぜひ泊まって行って下さい。……この街についての話は、その時にでも」
「……ありがとうございます」
ラビットは深々と礼をした。
「家で料理を作って待っています。せっかく来てくださったのですから精一杯おもてなしをしたいの。そうそう、私の家は街の真ん中にあるからすぐにわかりますよ。それでは、また後で」
老婆は笑み、その場を去った。
ラビットは老婆の小さな背を見ながら、自分が感じた妙な感覚の正体を掴んだ気がした。
ここは、この街はおそらく。
夕方まで祭りの喧騒の中にいたラビットたちは、暗くなる前に老婆の家を訪れた。老婆の家はこの街の長が住むには小さいものと思ったが、老婆が住むにしては大きなもののように見えた。
「どうぞ、お待ちしておりました」
老婆は三人を笑顔で出迎えた。家の中には小さくかわいらしい家具が並べられていて、トワは珍しそうにそれを眺めていた。
そしてテーブルの上にはすでに美味しそうな料理も並べられていた。中には今の地球ではなかなか手に入らないような高級な食材も見て取れたが、ラビットはそれについて気付いていながら何も言わなかった。
「腕によりをかけて作ったんです。遠慮なく食べてくださいね」
老婆は言った。もちろん遠慮をするつもりはなかった。今まで街らしい街にも寄らず携帯食料だけで旅を続けていたのだから、まともな食事にありつけるということはほとんどなかったのだ。三人はすぐに食事に取り掛かった。その様子を老婆は嬉しそうに笑いながら見ていた。
「このスープ、すごくおいしい。どうやって作ったの?」
マーチ・ヘアは老婆に向かって言った。老婆は丁寧に答えたが、どうもマーチ・ヘアにはよくわからなかったらしく、首を傾げてまたスープを飲み始めた。
大人しくパンを食べていたトワは急にラビットの袖を軽く引いた。
「ラビット、もう食べないの?」
トワの言うとおり、ラビットは出された食事をほとんど口にしていなかった。同時にラビット本人もそれに今まで気付いていなかったようだった。ずっとあらぬ方向を見ていたラビットはやっと我に返りうつむいた。
「……いや、少し、食欲が無くてな」
「アンタね、だからそんなに虚弱なんじゃないの? 昔からそうだったわよね。もうそんな若くないんだから本当に身体壊すわよ」
ラビットの分のパンを自分の方に寄せながら言うマーチ・ヘア。ラビットは無言でマーチ・ヘアを一瞥したが臆することもなくマーチ・ヘアはラビットのパンを自分の口に運ぶ。
老婆は、やはり微笑みはそのままだったが、今度は一人だけを見ているということにラビットは気付いた。
相手は、トワ。
どうしてトワを見ているのだろう、とラビットは思った。老婆の表情はあくまで安らかで優しく、まるで孫を見ているかのような視線だった。普通なら「孫と同じくらいの年頃の娘だから」という説明でもよいのだろうが、ラビットは別の理由があるのではないかとも思った。
その時、ふと老婆が立ち上がった。今までの笑顔が消え、真剣な表情でどこか遠くを見据えた。
「……どうしました?」
ラビットは聞いた。老婆は遠くを見据えたまま目を細める。
「ごめんなさい、私、今まで気付きませんでした」
「どういう」
ラビットが言葉を言い終わる前に、トワがラビットの袖を、今度は強く引いた。その目は恐怖の色を見せていた。
「来る……」
ラビットも立ち上がり、窓の外を見る。すでに暗くなっている窓の外に、光が灯っている。街灯ではない。ゆらゆらと、人が掲げているらしい光。それも一つではなく、無数に見える。こちらに向かってきているようにも見える。
まさか、と思った。
老婆は、あくまで静かにラビットに言った。
「もう、間に合わないわ。私が、もっと早くに気付いていれば」
全てを理解したラビットは椅子にかけていた黒いコートを着込むと、マーチ・ヘアに向かって鋭く言った。
「マーチ・ヘア、トワと一緒にそこにいろ!」
「ま、待ちなさいよ、ラビットっ!」
後ろから聞こえてくるマーチ・ヘアの声は無視し、ラビットは扉を乱暴に開けて、外に出た。
その瞬間、強烈な光がラビットに向けられた。目を腕で覆いながら、ラビットは舌打ちする。
「やっと、追いついたな」
朗々とした、聞き覚えのある声。そしてラビットの見覚えのある男。
真紅の軍服を着込み、ライトを手にした軍人たちの前で男は言った。
「彼女を大人しく渡してもらおうか、ラビット」
「レイ・セプター……」
レイ・セプターは右腕の剣を突き出し、口端を上げてラビットを挑戦的に見据えていた。
Planet-BLUE