Planet-BLUE

020 魔王

 軍の情報管理中枢電脳が、何者かによってハッキングされた。
 その話を聞いた大佐シリウス・M・ヴァルキリーはすぐに軍本部の情報管理室に向かった。本部ビルの廊下ではあわただしく軍服姿の軍人が何人も駆け抜けていくのを見た。
「海原少尉、様子はどうだ?」
 情報管理室では、青い髪の青年がいくつものモニターを眺めていた。ヴァルキリーの訪問に気付くと、すぐにそちらの方を向く。その表情は憔悴しきっているようにも見えた。
「……大変なことになりましたよ、大佐」
 海原はやけにキーの多いキーボードを叩く。すると、モニターが全て黒く染まり、白い文字が無数に表示される。ヴァルキリーの目はその文字一つ一つを素早く、しかし丁寧に追った。
 それは『無限色彩』についての詳細データだった。
 だが、そのデータのほとんどは奇妙な文字や記号によって上から塗り潰されてしまっている。完全に改竄されているのだ。
「やられたな」
 ヴァルキリーは舌打ちした。海原は不安げな表情でヴァルキリーを見上げる。
「百六十七層プロテクトもかかっていましたし監視も万全なはずでした。誰も、こんなことになるなんて予測できていませんでした」
「ああ、わかってる。こんなことができる人間は私が知っている人間の中でも二人しかいない」
 二人もいるということ自体が問題な気もしないでもないがな、とヴァルキリーは内心で思う。
「……しかし、何故『無限色彩』のデータをあえて選んだのでしょう?」
 海原は呟く。
「この軍をおびやかすのが目的ならば不謹慎ながらもっと他のデータを選ぶべきなのではないかと思うのですが」
「 『青』を利用したがっているというのなら話は別だ」
「!」
 ヴァルキリーの言葉に硬直する海原。ヴァルキリーはそれに構わずキーボードに触れる。画面が一気にスクロールする。
「 『青』の力は一人でこの軍の軍事力に相当する。何せ能力を全解放すれば銀河が一つ崩壊するという話なのだからな。もし『青』が地球に逃亡しているということを知っている人間がいたとすれば、『青』の能力を欲する者がいても可笑しくはないだろう?」
 落ち着き払った声で恐ろしい事を言うヴァルキリー。
「だとすれば、一体誰が」
「海原中尉、貴方はこれに気付かなかったのか?」
 海原の言葉を遮り、ヴァルキリーがモニターを指差した。海原のマリンブルーの瞳がモニターに釘付けになる。
「ま、まさか」
 モニターに映った黒い画面には、こう書かれていた。
 
 >全てが捨て置かれた
   かつての青い星で
    白兎は青い少女に出会った
 
「 『魔王』の、三行詩」
「そうだ。知っているだろう? こんなものを好き好んで書く気違いは一人しかいない」
 海原はかくかくと頷く。その顔からは血の気が失せていた。
「し、しかし、あの人は死んだはずじゃ」
「ああ、だがこれができるのはあの男本人だけだ」
 ヴァルキリーも真剣な表情のまま頷く。ただ、海原はヴァルキリーの瞳に宿った挑戦的な光に気付いていなかった。
「十数年前に電脳界を震撼させた『魔王』ロキ……クレセント・クライウルフ」
 
 
「ついに動き出したわね」
 それと同時刻。狭く、暗い部屋。乱雑に並べられたコンピューターの中でトゥール・スティンガーは呟いた。モニターにはヴァルキリーと海原が見ているものと同じ文面が映し出されていた。
「 『青』を救えるのは、今となってはあいつだけだからね……あたしも、本当は『見てるだけ』のつもりだったけど」
 滑るようにトゥールの白い手がキーボードを叩く。暗号めいた数字を並べ、不可解な処理をする。
「ちょっとくらいは手を貸したげるわ」
 ふとトゥールの口端が歪んだ。
 
 
「まさか、『魔王』の三行詩だと?」
 その数分後。ヴァルキリーと海原の元に現れたのは巨漢の大佐バルバトス・スティンガーだった。スティンガーは海原の説明を聞いて、信じられないと言う表情になった。
「奴は五年前に死んだはずだろう? 模倣犯じゃないのか」
「いや、おそらく本人だ」
 スティンガーの言葉を、ヴァルキリーは即座に切り捨てた。
「どうしてそれがわかる!」
「ここまでのハッキング技術を持っていて、かつこの軍のプロテクトについて知り尽くしているのは『魔王』ロキと未だに正体はわかっていない『監視者』ヘイムダルだけだ。わざわざこんな馬鹿げた三行詩を残すのはロキくらいだろう。それに、ロキ本人ならば、『無限色彩』のデータだけを改竄することも決しておかしなことではないと思う」
 ヴァルキリーは言いながら、モニターの三行詩をじっと見つめていた。海原はふと気付いたように口を開いた。
「そういえば、ヴァルキリー大佐……ここのデータには、『青』の能力の説明しかありませんでしたよね? 三行詩から見ると、ロキは『青』の行動を知っているように思えるのですが、何故、ロキはこちらですらつかめていない『青』の行方まで知っているのですか?」
「……それも、ロキ本人であれば容易に想像が付くだろう?」
「ああ、最悪の事態だがな!」
 スティンガーは叫んだ。
「ロキ……『白の二番』クレセント・クライウルフがいまだ地球に生存していて、かつ『青』の行方を追っている。そう考えるのが一番妥当だろう」
 スティンガーとは対照的にヴァルキリーは静かに言い放った。
「クライウルフは『精神撹乱』の能力も持ち合わせている。今現在我々が『青』を追えないのも撹乱による妨害のせいだ。あれほどの範囲で撹乱を可能にしているのはクライウルフが持つ『白』の能力くらいだろうな」
「だが、何故奴が生きているのだ! 奴は『消滅事件』に巻き込まれてそのまま消滅したはずだろう!」
 スティンガーはばん、と強く側にあった台を叩く。ヴァルキリーもそれは説明が付かないとばかりに肩を竦める。
「……もし」
 そこに、海原がか細い声で割って入った。
「もしも、ですけど……あの、クライウルフさんが『消滅事件』に巻き込まれた瞬間、彼の『無限色彩』が防御方面に発動していたとしたら……?」
「何?」
「あの事件の元々の原因は『赤』の暴走でしたよね? それならば、『赤』より強力なはずの『白』の能力で相殺はできなかったのでしょうか?」
 ヴァルキリーは納得したように軽く頭を縦に振った。
「なるほど、そういう考えもあるな」
 スティンガーは苛立った様子でそのやり取りを見ていたが、痺れを切らして言った。
「ヴァルキリー、一つ聞かせてくれ」
「何だ?」
「……奴が生きているかどうかは関係ない。私が知りたいのはあの男が一体何を考えているのか、だ」
 ヴァルキリーは微笑した。この場に似つかわしくない、穏やかな笑みだった。
「何、そんなもの私の理解の範疇外だ」
「……っ!」
「私は確かにあれの親だが、本人ではない。今では、予測も付かないな」
 スティンガーは何かを言おうとした。しかしその瞬間、三行詩を映し出していた画面が自動的にスクロールして、他の文章を映し出した。
 
 >私は白兎に出会った
   白兎は青い少女に出会った
    青い少女は私を求めている
 
 一瞬、そんな文章が浮かび上がったかと思うと、モニターが激しい光を発して、画面に映し出されていた全ての文字が消えた。海原は呆けた表情で暗いモニターを見ていたが、すぐに異変に気付きキーボードを叩く。応答はない。回線を無理やり切られたのだ。
 スティンガーも画面を見ながら、一瞬だけ映し出された詩を思い出すことしかできなかった。
「青い少女は、『私』を、求めている……?」
 
 
 ただ一人、ヴァルキリーだけはその詩の意味を理解していた。
 スティンガーと海原には背を向け、くつくつと笑いながら呟いた。
「 『青』は『白の二番』を求めている……さあ、お前は一体どうするつもりだ、クレセント?」