Planet-BLUE

016 三月兎と白兎

 正直に言えば、何が起こっているのか理解できなかった。
 近頃そんなことが多いような気もするが、とラビットは思いつつ、目の前にある女の顔をほとんど見えない目でじっと見据えていた。
「噂には聞いてたけど、本当に真っ白だね。ここまで来ると綺麗ね、羨ましい」
 女は片手でラビットの真っ白な髪をいじりながら笑って言った。女にしてはかなりの長身だ。ラビットと同じくらいの背丈だろう。年齢もラビットとさほど変わりないように見える。だが、ラビットにはそれを気にするほどの余裕がなかった。
 何せ、女はベッドの上に横になっているラビットの身体の上に馬乗りになり、髪を触っていない方の手でラビットの眉間に拳銃を突きつけているのだから。
 どうしてこういう経緯に至ったのかはラビットにもよくわからない。
 大陸横断橋で気絶し、自分が目覚めてから数日が経過したが、トワが未だに目覚めようとしないため、仕方なしにこの小さな町に宿を借りて、トワが目を覚ますまでしばらく滞在していたところだったのだ。そして、滞在を始めてから三日目の夜、ふと目を覚ましたらこのような状況になっていたのだ。
「……誰だ?」
 ラビットに言えるのはそれが精一杯だった。女はきゃらきゃらと笑う。長い二つの三つ編みが女の頭で揺れる。
「ああ、あたし? あたしは、『マーチ・ヘア』。こう見えても一応プロの賞金稼ぎよ。でもお兄さん、案外図太いね。この状態でそうやって聞いてきた人お兄さんが初めてだよ」
 マーチ・ヘア。その名前はラビットも軍時代に聞いたことがあった。太陽系を中心に暗躍する女賞金稼ぎ。賞金稼ぎとしての腕は高いが、行動はいたって無軌道で裏では暗殺者として殺人の仕事すらこなすことから、気違いじみた存在……『三月兎』と称されるようになったと聞く。
「兎が兎に狙われているとは奇遇だな」
 ラビットは堅い表情のまま、皮肉げに言う。マーチ・ヘアは「面白いこと言うんだね」と笑い、ラビットの顔に自分の顔を近づける。眉間に当てられていた銃の狙いはずれたが、どちらにしろすぐにラビットの右頭に押し当てられる。
 今にも唇が触れてしまいそうな位置まで顔を近づけ、マーチ・ヘアは言う。
「何も知らないで死ぬのも何だし、一応教えとくよ。あたし、あるお偉いさんに頼まれて、貴方の連れてる女の子を連れてこいって言われたのさ」
 予想はできたことだな、とラビットは思った。
 だが今回だけは様子が違う。この女にトワの捕縛を頼んだのは軍の指示ではない。軍ならばこんな賞金稼ぎに頼らずとも自分たちで行動を起こすだろう。
 特にトワの件の主導権を握っているのがあのレイ・セプターである限りこのような回りくどい手を使わずに自分で指揮を執るだろうことは、今までの行動からも十分予測できる。
 もちろん、この女にその依頼人が誰かを聞くのは無駄だということも理解している。いくらふざけた様相をしていても相手はプロだ。依頼人についての情報を漏らすことは信用問題にも繋がるため、絶対に避けるはずだ。
 ラビットは思案する。この状況から考えるに、女に仲間はいないだろう。マーチ・ヘアはすぐにでもラビットを殺し、眠ったままのトワを連れ去る気なのだ。
「よく見れば、貴方綺麗な顔してるじゃん。女の人みたい。勿体ないね、あたしに狙われなければ死なずに済んだかもしれないのに」
 マーチ・ヘアはにこりと笑みを浮かべるが、ラビットはとっくに気付いていた。この女に隙はない。自分が妙な動きを少しでもしようものなら問答無用で自分を射殺するであろうことも。
 どうするか。
 ラビットは考え続ける。この体勢では魔法を放つのも難しい。狙いをつけている間にこちらが撃たれる。成功したとしても一発で決めなければ後はない。
 実はこの窮地を脱する方法がないわけでもなかった。少なくとも確実に相手に一瞬の隙を与えることくらいはできる。絶対に、取りたくない方法だが。
 しかし、この状況で四の五の言っていられないと言うことはわかっていた。
 ――どうしようもない、のか。
 ラビットは目を閉じ、長く、長く息を吐いた。
「さて、と、長話もなんだし、覚悟できた?」
 マーチ・ヘアは言う。ラビットは薄く目を開け、目の前のマーチ・ヘアに囁くように言う。
「……いや、一つだけ聞かせてくれ」
「何?」
 深呼吸を一つ。覚悟は、決まった。それもマーチ・ヘアの言ったこととは別の意味での覚悟。
 ラビットは口端を歪めた。左右不釣合いのひどく不恰好なシニカルな表情とともに、妙にはっきりとした声で言った。
「果たして貴方はそれだけで満足か? ティア・パルセイト」
「なっ!」
 マーチ・ヘアの茶色の目が、大きく見開かれる。驚きと恐怖と怒りとが混ざったような表情。そこに、隙が生じた。ラビットは力任せにマーチ・ヘアの細長い身体を突き飛ばし、自分はその勢いでベッドから転がり落ち、床の上で体勢を整える。
 そして一息で間合いを取り、右手の紋章を体勢を崩したマーチ・ヘアに向けた。
「何で……何でアンタがあたしの名前を知ってんのよっ!」
 マーチ・ヘアは叫んだ。すでに銃口はラビットに向けられている。ラビットは表情一つ変えずに、続ける。
「何も、知っているのは名前だけではない。貴女の兄『いかれ帽子屋』、リュート・パルセイトは、何故死んだと思う?」
「五月蝿い! やめて!」
「貴女は何が原因だと思う。リュートを殺した者? リュートに殺しの依頼をした者? それとも」
「やめろっ!」
 マーチ・ヘアは狂ったようにラビットに向かって銃を三発発砲した。だがまともに狙いも定められていない状態では当たるはずも無い。弾はラビットの横をすり抜け、壁に穴を開ける。
「アンタ、一体何なの? どうして!」
「そうだ……リュートが最後に言った言葉はこうだったな」
 ラビットは目を半分閉じ、静かに言った。
「 『ティア、俺は間違っていないよな?』 」
「いやあぁぁっ!」
 恐怖に満ちた表情で、マーチ・ヘアは叫んだ。その瞬間、マーチ・ヘアの身体を青い光の槍が貫いた。ラビットが最大出力で放った紋章魔法、『死呼ぶ神の槍』だ。静かに、マーチ・ヘアの身体が床の上に崩れ落ちる。ラビットはマーチ・ヘアをゆっくりベッドに乗せると、長く溜息をつき、壁に寄りかかる。
 頭が、割れるように痛い。
「だから、嫌だったんだ」
 マーチ・ヘアは苦しげな表情で気を失っていた。元々『死呼ぶ神の槍』は生物の『精神』に直接ダメージを与える能力であり、外傷は作らない。よほどのことがないかぎり相手を殺すようなこともない。最大出力で放ったため二、三日は目覚めることもないだろうが。
「すまない、不本意なやり方だったが、私も命が大切だ」
 そう呟くと、ドアを開け、隣の部屋に向かった。
 隣の部屋には、いまだ目覚めないトワが眠っている。ラビットはトワの無事な姿を確認すると、トワのベッドの前に座る。
「……よかった」
 心からの声を漏らす。その表情はさっきまでの鬼気迫った表情とは対照的な、完全な安堵の表情だった。頭の痛みは治まらなかったがそれでもトワの顔を見ただけで楽になった。
 ラビットはトワの眠るベッドの上に頭を乗せる。頭の鈍い痛みは、ほどなく重みとなってラビットを眠りへ誘う。
 ――ああ、私はいつもそうだ。
 朦朧とする頭で、ラビットは思った。
 ――私には、相手の恐怖を煽り、狂わせることしかできない。
 マーチ・ヘアの恐怖の表情が脳裏に蘇る。得体の知れない相手に対しての恐怖。誰も知らないはずの事を知られてしまっていることの恐怖。その狂気にも似た感情が、ラビットには「痛いほど」伝わっていた。
 ――結局、私は……
 闇が、ゆっくりと頭の中に広がってゆく。
 そのまま、深い眠りについてしまいそうになったラビットは、すぐに覚醒に引き戻されることになる。
「ラビット? どうしたの?」
「え……」
 トワが、大きな青い目でラビットを見ていた。ラビットは驚く。
「目が、覚めたのか?」
「うん」
 トワは少々不安げな表情ながらも頷く。おそらく顔色が悪いラビットを見て心配になったのだろう。ラビットはなるべく辛さを顔に出さないようにしながら口端を歪めた。このまま目覚めないかもしれないという思いもほんの少しあったため、ひどく安心した。
「あのね、わたし……夢を見てたの」
「夢?」
 トワの言葉に、ラビットは首をかしげた。
「わたしは広い、広い海の上に立ってたの。ラビットが教えてくれた、青い海。わたし、そこに一人だった。だけど海の上を歩いていると、一人の男の人に会ったの。長い黒い髪の男の人。わたし、その人を探さなきゃいけない」
「男の人?」
「その人がわたしの探してる『白』なの」
 『白』。ラビットは前にトワに聞いたことを思い出した。不思議な能力を持つ者、『無限色彩保持者』。その中でもトワがこの地球で探しているのは最高ランクである『青』に匹敵する特殊能力を持つ『白』――
 ラビットは、無意識に唾を飲んでいた。
「 『白』はやっぱりこの星のどこかにいるの。それで、わたしに助けを求めてるの。だから、助けに行かなきゃいけない」
 トワが言っていることは、ラビットにはよく理解できなかった。夢に出てきた人間が『白』でそれを探しに行くなど、あまりに不可解すぎた。だがトワの真剣な表情を見ていると、それに水を差すような言葉をかけるわけにもいかず、ただ頷くことしかできなかった。
 ただ一つだけ、トワが言っているのとは違う部分で気になることがあった。
「聞いていいか?」
 ラビットは言った。トワは頷く。
「その『白』が見つかったら、貴女はどうするんだ?」
 トワは少しだけ考え込んだ。それから、少し悲しげな表情になって言う。
「わからない。きっと……ううん、何でもない。ごめんなさい、今はまだ話したくないの」
「そうか」
 ラビットもそれ以上は聞かなかった。窓の外を見やると漆黒の闇に包まれていた。まだ夜は明けそうに無い。
 しばらく、二人とも黙り込んだ。ラビットは隣の部屋にまだ寝かせてあるマーチ・ヘアのことも気になったが、とりあえず今はその話題には触れないでおいた。目覚めたばかりのトワにその話を聞かせるのも刺激が強すぎる。
 その時、部屋の外で何か物音が聞こえた。
 二人とも、すぐにはその音に気付けなかった。
 それは、足音だった。ゆっくりと二人のいる部屋に向かってくる足音。
 そして、ラビットがそれに気付いたのは部屋の扉が開く直前だった。
 部屋の扉が、ゆっくりと開く。ラビットは扉の方に向き直り、さっきのマーチ・ヘアのこともあり、ぐっと紋章の刻まれた右手を握り締め、緊張した面持ちで言った。
「……誰、だ?」
 暗闇の中、扉を開けた人影は、朗々とした声で言った。
「聞くまでもないだろう? 白兎」
 
 
 目は見えなくとも、声でわかる。
 シリウス・M・ヴァルキリー。
 何故こんなところにいるのだと思いつつ、ラビットは小さく舌打ちした。