Planet-BLUE

013 聖

 ラビットは淀んだ意識の中、思った。
 ――私は、何をしている?
 段々と意識が戻ってくる。それと同時に、あの時何が起こったのかが鮮明に思い出されてきた。
 軍の待ち伏せ。レイ・セプターとの再会、撃たれた自分の両足、そして。
 ――トワ。
 ラビットはその名前を頭の中で何度も何度も繰り返し呼んだ。トワはどうしたのだろうか。自分は彼女を守れないと思った。その瞬間、視界が青く染まったのは覚えている。それからの記憶が全て飛んでいた。どのくらいの間意識を失っていたのかもわからない。
 ――目覚めなくては。トワを、探さなくては。
 ラビットは目を開こうとした。硬く強張った身体を何とか動かそうとした。その時、声が聞こえた。
「……が……みたいだな」
「……?」
 ラビットは目を開いた。ちょうどいいことに時刻は夜だったため、目を焼かずにはすんだ。同時に、誰かが自分の顔を覗き込んでいるということにも気付いた。さすがに相手がどんな顔をしているかということまでは分からない。そこまでラビットの視力は低いのだ。
「気がついたみたいだな。大丈夫か? 何かおかしいところあるか?」
 自分の顔を覗き込んでいる相手からいきなり問われて戸惑うラビット。だが、とりあえず頭と足が鈍く痛むこと以外には、とりたてて変化はないように思えた。
「いや、特には」
 そう言ったつもりだったが、掠れてしまってひどく聞き取りにくい声になってしまった。だが、相手は自分の言いたい事を理解はしてくれたらしい。
「そうか、良かった。アンタ、何せ二日近く眠ってたからな」
「二日も?」
 ラビットはゆっくりと上半身を起こす。起き上がりながら、さっきまで自分の顔を覗き込んでいた人間に向かって言う。
「そうだ、トワは……」
「トワ? ああ、あの女の子か。その子ならあっちに寝かせてあるよ。アンタの車だろ? あれ」
 そう言われて指差された方向を見る。しかし自分の目の前にあるものすらまともに見ることができないラビットに、この暗闇の中の物を判別するなどできるわけがない。相手もそれに気付いたらしく、ラビットに向かって苦笑しながら何かを手渡した。
「悪い、アンタ、すげえ目悪いんだな。こんな精巧な視力補助装置初めて見たぜ」
 ラビットは渡された視力補助装置を手馴れた様子で右の側頭部に取り付け、視力を取り戻したことを確認すると、再び指差された方向を見た。そこには自分が今まで乗ってきた車が置かれていて、後部座席に横たわり、眠っているトワが見えた。それを見て、ラビットは少し安心し、改めて周囲を見回した。
 廃墟。暗闇の中ではよくは判断できないが、おそらく過去は大きな町だったらしく、高い建造物の鉄骨のみが見える。自分が寝かされていたのはかつて広い道路だったと思しき、白線の引かれた多少の隆起があるコンクリートの上。とはいえそのまま寝かされていたわけではなく、少々堅いマットが下に引かれてはいた。
 ――ここはどこだ。
 ラビットは考えた。
 明らかに、自分が軍の連中と鉢合わせになった橋の上とは違う場所だ。だからと言って今まで自分が訪れたどの場所とも違った。
「ん? どうした?」
「いや、今は何月の何日だ? ここは……どこだ?」
「今日は子午線時間で四月の六日。あ、もう七日か。ここは、そうだなあ……惑星座標法で言うと一六九九-二六三二Aってところだな。わかるか?」
 腕にはめた時計のような機械の文字盤を見ながら相手は言う。ラビットは驚き、目を大きく見開いた。
「一六九九? まさか。ありえない。大陸横断橋から離れすぎている」
「大陸横断橋? 何言ってんだよ。あれは座標四○○○台の海上橋だろ。アンタ一体どこから来たんだよ」
「それがわからない。気を失うまでは、大陸横断橋の上にいた、それだけしかわからない。だが、確かに四日には橋の上にいた、はずだ」
 頭が混乱する。何故今、自分はこんな場所にいるのだろう? 普通に考えて、たかが一日や二日でこの距離を移動できるとは思わない。どうやって移動したのかすらもわからない。だが、何かが引っかかる。気を失う前に自分はどうしていたのだろう? 何が、あの時起こったのだろう? まだ朦朧とする頭でそれを何とか思い出そうとする。
 ――視界が、青く、染まった?
 それを思い出した瞬間、胸が、大きな音を立てたような気がした。その時、片手に持ったランプに火をつけた相手が半分冗談を言うような口調で言った。
「何だよ、瞬間移動でもしちまったのか?」
「それだ」
 ラビットは小さく呟くように口の中で言った。相手は「何だよ」と首をかしげる。
「瞬間長距離移動……増幅装置無しで可能なのか? それともそのような能力……いや、そうだとしても」
 ラビットの言葉は不鮮明な上に元々かなり混乱しているため内容すらもよくわからないものになっていた。小さく溜息をついた相手はランプを側に落ちていた鉄骨の上に置き、少々強くラビットの肩を引いた。
「!」
「少しは落ち着けよ。考えても煮詰まっちまう事だってあるさ。とりあえずそれは後で考えようぜ。アンタだってまだ目が覚めたばっかりなんだし、な?」
 突然そう言われて、ラビットは相手の方を見た。そう、初めて相手を正面から見た。
 相手は青年だった。いや、まだ少年と言った方が正しいかもしれない。ランプの光に照らし出された猫を思わせる瞳に、少々はね癖のある髪。しかも、その髪は見事なまでの緑に染められていて少し滑稽にすら思える。
「……すまない」
 ラビットはやっと落ち着きを取り戻し、目を細めた。同時に、自分より明らかに年下の青年にたしなめられる自分を少々情けないと思った。青年は苦笑する。
「あ、そうだ、ちょっと待ってな」
 青年はそう言って、少し離れたところにとめてある、たくさんの荷物を積んだホバー・モーター(浮遊式のバイク)の方に向かって歩いていった。ラビットはしばらく呆けた表情でその背を見ていたが、ふと忘れていたことを思い出し、自分の身体にかけてあった毛布を軽く除けた。
 ブーツの甲の中心、そして裏に正確に開いた穴。ブーツはラビット自身の血で黒ずんでしまっていた。だが、何かがおかしい。
 恐る恐るブーツを脱ぎ、その異常の正体を知る。
 その両足には、確かに撃たれた痕があった。が、それは「痕」だけだった。傷口は完全に塞がっていた。足も多少鈍い痛みを感じるが普通に動かせる。おかしい。二日前に撃たれた傷がこんな簡単に塞がるとは思えない。
 ――あの瞬間、何が起こったんだ?
 自分の視界が青く染まった瞬間に何かが起きたのだ。そこまでは推測できた。だが、そこから先は何もわからない。とりあえず今考えてもきっと答えは出ないだろうと思ったラビットは、こちらに戻ってきた青年を見た。青年は、両手に茶の入った紙コップを持ってきた。そして、その片方をラビットに手渡す。
「飲んだ方がいいぜ。いっぺんに飲むのは良くないけどな」
「……ああ。ありがとう」
 素直に受け取り、ほんの少しだけ茶を口に含む。少し、苦い。青年も近くの瓦礫の上に腰かけ、自分の紙コップの中身を飲む。それからしばらく二人とも何も話さなかった。時折冷たい風が二人の間を駆け抜ける。
「そうだ、アンタ、まだ名前聞いてなかったな。俺は聖。鳳凰 聖(ホウオウ・ヒジリ)。星間行商人だ。アンタは?」
「……ラビット、と呼ばれている」
「ふうん」
 青年、聖は立ち上がって、ランプを手に取った。そして、ラビットのすぐ横に顔を寄せて、小さく……ほとんど聞こえないような声でささやいた。
「アンタ、もしかして――じゃねえ?」
「!」
 ラビットははっとして聖を鋭く睨みつけるが、聖はすでにラビットに背を向けて、自分のホバーの方に歩き出していた。
「どこへ行く?」
 意識はせずとも語気が荒くなる。聖は一瞬だけ立ち止まり、ラビットを見やった。その表情は、まるで自分にぴったりの玩具を見つけた子供のような……そんな顔に見えた。
「ん? もう俺がいなくても平気だと思ってさ。それだけ元気なら大丈夫だろ? それに俺、とばっちり受けるの嫌だし。気をつけな、兎のおっさん。軍の連中はご立腹だ」
 聖は、それだけ言うと自分の大きな荷物を積んだホバーに乗った。ラビットは叫ぶ。
「待て! 鳳凰 聖と言ったな! まさか、貴方は鳳凰少佐の」
「じゃあな、おっさん。きっとまた会えるぜ。殺されていなければな」
 そういい残し、聖はホバーを走らせた。ラビットは立ち上がろうとしたが、まだ完全に治りきっていない足に痛みが走りその場に膝をついてしまう。息を荒げて、ラビットはすでに見えなくなってしまった聖の行く方向を見た。
「鳳凰 聖、か」
 ラビットは瓦礫にもたれかかり、手で目を覆い隠す。自分の手はひどく冷たかった。
 ――アンタ、もしかして――じゃねえ?
 聖の言葉。ただその一言だけが、ラビットの冷静さを失わせた。聞き取りにくかった、しかし何を言われているのかわかってしまったその一部分だけが、彼の心を刺した。
「私は違う」
 ラビットは熱に浮かされたような、そんな声で言った。
「違う、もうあれは居ない」
 
 
「居ない……」
 
 
 そのころ、聖はホバーに取り付けた薄い液晶画面を持つ通信機を見ていた。そこには、一人の女性の姿が映し出されていた。黒い髪をポニーテールにした女。その顔は、聖とよく似ていた。
『聖、どうだった? 私の言うことは間違っていなかっただろう?』
「ああ。姉貴の言うとおりだ。けど、本当にあんな奴に任せていいのか?」
『さあな。それは大佐が考えることだ。とにかく』
「うん、俺はあの兎のおっさんの『監視』をしてればいいんだろ?」
『そう。だが、くれぐれも気をつけろ。私の考えが合っていたのだから、あの男は……』
「そんな心配するなって。俺を誰だと思ってるんだよ」
『お前だから心配するんだ』
「言えてる」
『じゃあな、聖』
「姉貴も元気で」
 聖は笑って、通信機の電源を切った。そして、だんだん明るくなってきている空を見つめた。
「さあて、兎さんはこれからどう動く?」
 楽しげにそう言って、また笑った。