「ハロルド、頼みがある」
突然の言葉に、ハロルドは目を丸くして正面に立つランディを見やる。
ランディ――ランドルフ・ケネットはこの辺りでは珍しい燃えるような赤毛の少年であり、ハロルドの親友であり、そして次期王配たるハロルド・マスデヴァリアにとっての「騎士」である。もちろん言葉通りの騎士ではないが、ハロルドの右腕になるべき存在、と言えばほとんど差し支えはないだろう。ただしハロルドは左利きなのだが。
ともあれ、ランディは意志の強そうな橄欖石色の瞳でハロルドを見据えて、言った。
「クライヴと剣術の勝負をさせてくれないか」
「クライヴと?」
ハロルドはちらり、と横に視線をやる。ハロルドの影が落ちる位置、そこには極めて存在感の希薄な少年が立っている。クライヴ・チェンバーズ。ハロルドが物心ついたころからの従者だ。やがて王配となるハロルドを、影から支える者。
特徴らしい特徴が見出せないその面を微かに歪めたクライヴは、低い声で言う。
「俺は嫌だ」
「だそうだけど」
「頼む、クライヴ。君が剣の使い手だということはわかっているんだ、一度でいいから手合わせをさせてもらいたい」
「断る。これはハロルドのためのものだ」
言外に「お前に披露するものではない」という意味合いをこめて、クライヴはランディの言葉を一刀両断する。これにはハロルドも苦笑いを浮かべるしかない。
「僕は命令はしたくないからね。クライヴが嫌だというなら仕方ない」
ランディは「くっ」と悔しそうに歯噛みして、ひとまずのところは引き下がった。ひとまずのところ、というのは、ランディが案外諦めが悪い男で、これが最後にならないであろうことをハロルドはよく知っているからだ。そして、多分クライヴもわかっているのだろう、嫌そうな顔を隠そうともしない。
ただ、不意にクライヴが薄い唇を開く。
「そもそもお前の剣と俺の剣は違う。比べるものでもない」
「……そういうもの、だろうか?」
「そういうものだ」
不思議そうな顔をするランディに対して、クライヴはそれだけを言って顔を背けた。
果たして、ハロルドもその意味をきちんと理解できたわけではない、が――ランディとクライヴは違うのだということは、わかる。それは握る剣そのものというよりも、切っ先を向ける対象というべきか。
ランディはハロルドの行く道を照らす騎士であり、クライヴはハロルドを守り抜く影である。在り方からしてまるで異なる以上、剣の向き先は異なってしかるべきで、しかしランディはまだそれをよく理解していないとみえる。そして、それでも構わないとハロルドは思っている。クライヴは鬱陶しいと思っているだろうが。
「それならば他流試合ということでひとつ」
「断る。お前、俺の言ってること絶対理解してないだろ」
そんなやり取りがいやに愉快でくつくつと笑いを漏らしながら、ハロルドは二人を引き連れ今日も学び舎を行く。
霧世界報告