珍しいこともあるもんだ、と貧乏学生小林巽は高級なティーカップを片手に思う。目を周囲に向ければ、自分がいるのがやけに立派な調度品が目に付く、派手さこそないが明らかに金が掛かっている客間であることに思い知らされる。
そう、ここは住宅街の中でも一際目を引く大豪邸、秋谷邸。
あの能天気作家先生秋谷飛鳥の、自宅である。
正直に言えば、飛鳥は婿養子で元々この豪邸は父親の遺産を相続している妻、静のものらしいのだが、現在は建前上ここの家主は飛鳥ということになっている。
というわけで、巽は「いつもお世話になっているお礼」として珍しく秋谷邸に招かれ、飛鳥が趣味で集めている珍しい紅茶を振舞われていたりするわけで。
普段が普段なだけに、巽はどうも飛鳥が何かを企んでいるのではないか、と疑いたくもなる。ただ、飛鳥としては本当に巽をもてなしたいだけだ、ということは何となく理解できた。
飛鳥は、何かを企めるほど複雑な思考をしていない。
失礼ながら、そう断定することにした。
巽は改めて目線を下に戻す。客間のテーブルでは、秋谷家の末娘である小学二年生の美佳が、大きなスケッチブックに向かって一心不乱に何かを描いていた。
「何描いてるの?」
巽はひょいとスケッチブックを覗き込もうとした。すると、美佳は「まだ駄目なの」とスケッチブックを隠した。「はいはい」と苦笑しながら、巽は文句なしに美味い紅茶を楽しむことにした。
この姉妹は皆かなり可愛らしい顔立ちをしている、と巽は思っている。親が二人とも垂れ目なのでやっぱり垂れ目をしているのだが、それもまた柔和な可愛らし さになっているのがよい。特に、この三女は姉妹の中でも一番温厚そうな顔立ちと、実際に温厚な性格をしているように見えた。ついでに、一番顔立ちが父親で ある飛鳥に似ているかもしれない。
まあ、飛鳥は元々美形だからな。
巽はちょっとだけ心の中でひがんでみせた。事実、日英ハーフの飛鳥はあれでかなりの美男である。単に普段身だしなみに気を遣わないだけで。それが一番致命的だが。
ちなみに、その飛鳥はピアノのレッスンに行った美佳の双子の姉、由佳と理佳を迎えに行っている。いつも巽の家でだらけているような印象があるが、実際には飛鳥もきちんと家の仕事はこなしているのだ。
本職の作家はどうした。
その突っ込みは、本人が目の前にいないので飲み込んでおくことにした。
美佳は黄色いクレヨンを手にして、スケッチブックに描かれた何かに色をつけている。丁度巽からは見えないため、何を描いているのかはさっぱりわからない。ただ、時折、美佳がちらちらとこちらの様子を窺っているのが気になる限りである。
本当に何を描いているのやら、と考えながら巽はカップに残った紅茶を飲み干そうとした。その時、ふと自分自身の腕が目に入った。
そういえば、今日は黄色いトレーナーを着ている。正確に言えば、巽は普段から黄色などの明るい色の服を着ていることが多い。
なるほど、と思って巽は美佳を見た。ふと顔を上げた美佳と目が合って、美佳は恥ずかしそうに俯く。そういう仕草もどちらかといえば父親似だった。
「……描けた」
ぽつり、と俯いたまま言って、美佳は手にしていたスケッチブックを巽に示してみせた。
画用紙の中からこちらを見ているのは、金茶の髪に緑と青のオッド・アイをした、黄色いトレーナーの青年。小学二年生の絵である。決して上手とは言えなかったが、最低でも美術センスは壊滅的な父親の数十倍は上手な、巽の似顔絵だった。
「タツミお兄ちゃん。似てる?」
「……うん、上手だ」
言って、巽は笑顔で手を伸ばし、美佳の頭を撫でた。美佳はほんの少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに巽を見上げて笑う。
画用紙の中の巽も、やっぱり笑顔だった。
元神様と放浪作家のイビツな関係