――拝啓 涼やかな風に蟋蟀の声が聞こえてくる季節になりました。
「何打ってんだ? 原稿?」
ぱたぱたとキーボードを打つ音だけが響く部屋の中、部屋の主、小林巽は今日もまた「妻に構ってもらえないから」というアホな理由で家出してきた作家先生、秋谷飛鳥のノートパソコンを覗き込んだ。
飛鳥は「ぎゃっ」と年甲斐も無い……巽からすれば飛鳥は二十近く年上だ……叫び声を上げてディスプレイを隠す。
「見るなよ、ただのメール!」
「へえ、飛鳥ってメール嫌いじゃなかったっけ。誰に?」
「と、友達、だよ?」
飛鳥は伊達眼鏡の下の目を激しく瞬きさせ、口の中でごにょごにょと言った。
何だか、怪しい。
「飛鳥、友達いたっけ?」
まず徹底的な人間嫌いで、極度の人見知りで、しかも微妙に強面なものだからいろいろ勘違いされがちな作家先生の口から「友達」という言葉が出るところからおかしいのだ。
それにしても、巽の言い分だっていい加減失礼だが。
「うるさいなあ、俺にも友達くらいいるよ。メール友達ってやつだけど」
普段から人の目を見て喋ることもできない飛鳥らしい答えだが、何となく引っかかる。巽はひょいと飛鳥の背中に回って言った。
「なあ、ちょっとその友達からのメールとやらを見せろよ」
「な、何で巽くんに見せなきゃいけないの?」
「いいからいいから」
巽は半ば無理やりに飛鳥をちゃぶ台の前からどかし、ノートパソコンの前に陣取る。受信したメールのリストを手早く開き、担当編集者の名前ではないメールを一つ、試しに開いてみた。
プライバシーの侵害と言うなかれ。
普段から厳重に鍵をかけていても不思議と部屋に上がりこんでいる飛鳥こそ、巽のプライバシーを思いきり侵害しているのだから。
開かれたのは、顔文字とよくわからない言葉ばかりが並べられた、明らかに「ギャル」なメール。
そこに書かれた文面は、巽が要約するところによればこうだ。
今度でぇとしませんか?
あなたの好きなことなぁんでもします。
お返事はこちら→以下怪しげなメアド
巽は深々と溜息をついて、飛鳥を見た。飛鳥も、神妙な顔でその場に正座していた。
「飛鳥あ、絶対騙されてるだろ、これ」
「俺もそう思う」
「気づいてるんだったらメール返そうとかバカなこと考えんじゃねえよ」
「……だって」
最近誰も相手してくれなくて、寂しかったから。
子供みたいなことを呟く四十路男の後ろ頭を、巽は容赦なく引っぱたいた。
元神様と放浪作家のイビツな関係