レベンタートの妖精使い

海の章/アクアマリン

 ユーリス神聖国東端の港町、レベンタート。
 そこまで大きな町ではないが、穏やかな気候と豊かな自然が育んだこの場所は、常に人々の活気で満ちている。自然と人々の気持ちも明るくさせる、そんな土地柄なのだ。
 が、そんな人々の中で、場違いに不穏な表情を浮かべて歩く一人の男がいた。いや、男というよりは「少年」と言った方が正しいかもしれない。ドワーフ特有の小さな体を更に丸め、その瞳には奇妙なぎらついた光が宿っている。
 彼の名は、バジル・エーベル。
 自らを『オグルクの妖精使い』と称する精霊魔道士だ。彼はここレベンタート出身である楽園最強と名高い妖精使い――所謂『レベンタートの妖精使い』をこてんぱんに叩きのめし、妖精使いの頂点に立つことを夢見る、夢見がちな少年であった。
 が、当のレベンタートの妖精使いはバジルを鬱陶しく思いこそすれ、その目的に興味は無い。そもそも妖精使いからすれば、「最強」などという称号は周囲が勝手につけたものであり、静かに旅をしたい彼にしてみれば迷惑なだけの称号なのだから勝手に持って行け、というのが彼の主張。
 もちろん、勝手に最強を名乗って満足するはずもないバジルは、卑怯な手も用いて何度もレベンタートの妖精使いとやり合い、妖精使いは妖精使いで勝負となれば負けず嫌いなものだから、その度に逆にバジルをこてんぱんにのしてきた。そして、バジルはその度に再戦を誓い、レベンタートの妖精使いを追い回すわけである。
 そんな、子供の喧嘩さながらの不毛なやり取りは、既に数ヶ月に渡って続いている。バジルも、このままでは埒が明かないと思い――相棒の妖精ヘルガを伴って、ここレベンタートにやってきた。
「ふふふ……ここで奴の弱点を聞き出し、今度こそ奴をやり込めてやる……」
 基本的に正攻法で勝とうとは思わない辺りがバジルのバジルたる所以である。奇妙な策を弄するが故にレベンタートの妖精使いの逆鱗に触れて勝負そっちのけでぼこぼこにされた経験もあるのだが、懲りることはない。
 懲りたら、それはバジルではない。
 とりあえず、バジルはレベンタートの妖精使いについて情報を収集しようと試みた。相手は傍若無人にして傲岸不遜なチンピラ妖精使い、きっととんでもない評判が聞けるに違いない。そう信じて商店街で聞きこみを始めたバジルだったが、
 果たして、「とんでもない」評判を聞くこととなった。
「ああ、カイル君のお友達かい? カイル君は元気でやってるのかね。フローウェンさんが心配してたよ」
「あの子は、風を読むのが得意でね。あの子のおかげで皆も安心して漁に行けたんだよ」
「遠くの町で悪い人たちを懲らしめたって噂も流れてるよ。流石だなあ、フローウェンさんちの子は」
「カイルお兄ちゃんは、何でも知ってて、僕らに色んな話してくれるんだ! 今度帰ってきたら、蜃気楼のお城の話をしてくれるって言ってた!」
 ――そう、『レベンタートの妖精使い』カイル・フローウェンは、地元では「とんでもない」人気者だった。
 バジルは、話すだけ話して去っていく町の人々を呆然と見送って、ぽつりと呟いた。
「……奴、カイルというのか」
 実は、妖精使いの名前すらここに至るまで知らなかった。レベンタートの妖精使いはレベンタートの妖精使い。それ以外のことは何一つ知らなかったのだ、と今更ながらに気づいた。
 バジルの腕に巻きつくような形で寄り添うヘルガも、きょとんとした表情で首を傾げている。
 だが……これでは、駄目だ。レベンタートの妖精使いの鼻を明かすためには、何としてでも彼の弱みを握らなくてはならない。
 ありがたいことに、先ほどの人々から「フローウェンさんの家」を聞き出すことは出来ていた。代々この町の漁師であるフローウェン氏の住む家は、海沿いの白い壁の家だった。庭は広く、ユーリス神聖国特有の色とりどりの花が咲き乱れている。樹木の妖精であるヘルガがぱっと顔を輝かせたことからも、豊かな土地であることはわかる。
 そして、花に水をやっていた、初老の女性がふとバジルに気づいたのか顔を上げた。バジルが軽く挨拶をして名乗り、カイル・フローウェンの知り合いだというと、女性はすぐにバジルを家に上げてくれた。どうやら、この女性が妖精使いの母、フローウェン夫人のようだった。
 通された客間は、窓から差し込む光に満ちて、とても明るかった。普段、光も差さないような森の中で修行を繰り返してきたバジルには、微妙に居心地が悪い。フローウェン夫人は茶を淹れると台所に下がってしまったため、身を竦めて椅子の上に座っているしかない。
 その時、ふと、小さな棚の上に置かれた写真立てに視線が行った。そこに写っていたのは、フローウェン夫人と体格のよい初老の男性、おそらくはフローウェン氏。そして、二人の間にいるのが、車椅子に乗った一人の青年、今とさほど変わらぬ見た目のレベンタートの妖精使いだった。
 風の妖精を連れて楽園を飛び回る今の妖精使いしか知らないバジルには、車椅子の上で曖昧な笑みを浮かべる妖精使いの姿が奇妙なものとして映った。怪我でもしていたのだろうか、それとも病でも抱えていたのだろうか。
 それに、もう一つ気になることがある。
 この他にもいくつか写真立てが置かれているが、どれも今より少し前か、今の妖精使いを写したもので、「子供時代」の写真が一つも無いのだ。普通の家ならば、今の写真はなくとも無邪気で可愛かった頃の――同時に、その当人にとっては羞恥以外の何でもない――写真をまるで遺産のように飾り続けるものではないだろうか。
 最低でも、バジルの家はそうだ。
 自分の家のことを思い出してちょっぴり落ち込んでいると、フローウェン夫人が湯気を立てるセディニム花茶を持ってきた。淡い赤色の水面から、爽やかな香りの湯気が立つ。
「ごめんなさいね、大したおもてなしも出来ませんで」
「い、いえ、こちらも突然訪ねてしまって申し訳ありません」
 何処までも丁重なもてなしに、バジルは少しだけ後悔し始めていた。これでは、レベンタートの妖精使いの弱点など、聞きだせそうにもない。反面、ここで退けるかという気持ちも決して消えることは無く、そんな平行線の思考に折り合いをつけるためにも、一番気になっていることを聞いてみることにした。
「あの……写真、なんですけど」
「ああ、あれは、カイルがうちに来た頃の写真ですよ」
 うちに、来た。
 とすると、妖精使いはこの家の子供というわけではないのか。バジルは自然と不思議な顔をしてしまっていたのだろう、フローウェン夫人は「カイルからは聞いていないのですね」と微笑んだ。
「あの子は、四年ほど前に港に流れ着いてきたのです。目を背けたくなるほどに傷だらけで、いつ死んでもおかしくない、とお医者様は仰っていました」
「そんな中で奇跡的に一命を取り留めた、と」
「ええ。けれど、目が覚めた時には、自分の名前も、何処から来たのかもわかりませんでした。それに言葉もすっかり忘れてしまっていて、初めはあの子も私たちもお互いの気持ちを伝えるのにとても苦労しましたよ」
「忘れ……記憶喪失、ってことですか?」
 それこそ、「まさか」というやつだ。唖然とするバジルに向けて、フローウェン夫人は小さく頷いて言葉を重ねる。
「結局、あの子が何処から来たのかはわからないままで。ですから、私たちが養子としてあの子を引き取ったのです」
 カイル、という名前もその時につけたものです、と柔和に夫人は微笑んだ。
 初めはただ全てに戸惑うばかりだった記憶喪失の青年が、やがてフローウェン夫妻を「親」として慕うようになって。そうして今はフローウェン家の一員として、町の人々からも認められるようになった――その様子を想像して、バジルは何故か、小さく胸が痛むのを感じる。
「無愛想なところもありますが、本当は心の優しい子ですから。是非、これからも仲良くしてあげてくださいね、バジルさん」
「は、はあ……」
 仲良くする気なんて本当はさらさら無いのだけれど、息子のことを嬉しそうに話しながら微笑む夫人を見ていると、頷かざるを得ないではないか。
 それにしても、レベンタートの妖精使いにそんな過去があるとは、思いもしなかった。いや、この場合過去が「無い」、と言い換えた方がいいのかもしれないが。毎日を気楽にふらふら過ごしているだけに見えるあの男にも、何かしら、思うところがあったりするのだろうか。
 例えば、記憶の彼方に消えてしまった「家族」を思うことは、あるのだろうか。
 そんな風に思っていると、ぱっとフローウェン夫人が笑顔を深めた。
「そうそう、奇遇ですね。今日、そろそろカイルが帰ってくるんですよ。バジルさんも是非挨拶してやってくださいな」
「えっ!」
 何と間が悪い。時にはバジルが血眼になっても見つからない妖精使いだというのに、何故こんな時に限って顔を合わせないとならないのか。
 いつものバジルなら、顔を合わせざま挑戦状を突きつけるところだが……フローウェン夫人の前でどんぱちするわけにもいかないし、何よりこんな話を聞かされた直後に、妖精使いにどんな顔を見せればいいかなんて、わかるはずもない。
「す、すみません、ちょっと急ぎの用事を思い出しまして!」
 バジルは慌てて花茶を飲み干すと、ちょっと名残惜しそうにしているヘルガを引き連れて、別れの挨拶もそこそこにフローウェン家を飛び出した。
「って、おい、お前?」
 声をかけられた気がしたが、構わず首を引っ込めて駆け出す。次こそは、次こそは、と妖精使いに叩きつける言葉を考えながら、それが考える側から溶けて消えてしまうような、そんな不可解な感情を抱えて。
 
 見覚えのある姿が自分の家から飛び出してくるのを見て声をかけたのだが、どうやら声は届かなかったらしい。母がひょいと顔を出して、「おかえりなさい」と柔らかな声を投げかけてくれたことで、やっと「帰ってきた」という実感が湧いてきた。
 被った帽子を外し、「ただいま」と微笑む。
 それから、先ほど走っていった影について聞いてみると、母が「何だか、用事があるんですって。もう少しのんびりしていけばいいのに」と不思議そうな顔をした。
 流石に望む望まないに関わらず長い付き合いである彼には、それがあのオグルクの妖精使いの「言い訳」であることくらいはわかったけれど。
「全く……相変わらず変な奴だな」
 カイル・フローウェンは呆れた声を上げて――
 彼を「生み出した」海と同じ色の瞳で、去り行くバジルの後姿を見つめていた。