レベンタートの妖精使い

海の章/羅針盤

「頼む、『風』!」
「はいなっ」
 レベンタートの妖精使いは腕を伸ばし、『風』の手を掴む。実体の無い妖精の腕を掴む、というのは正しい表現ではないが、まさしく妖精使いは『風』の手を取るような形で跳躍した。『風』は妖精使いを抱くようにして、その体を風の海へと巻き上げる。
 そして、次の瞬間。
 巨大な腕が、一瞬前まで妖精使いが立っていた地面に叩きつけられた。
「うわー、あれ当たったら挽肉じゃん」
「うるせえ、怖いこと言うな」
 実体が無いからこその『風』ののんきな言葉に、妖精使いは頭を抱える。
 眼下の岩場に立つのは、巨大なゴーレムだ。どのくらい巨大かといえば、妖精使いを三人縦に並べてやっと同じくらい、といったところだろうか。
 そして――節々から魔力の煙を吐くそれは、明らかに禁忌の技術をもって作られた、機巧人形であった。
 『魔道機兵』と呼ばれるもので、古くは大戦時にレクス帝国が使用したと記録されている。ただ、その時に使われた魔道機兵は、どちらかといえば機巧というよりは初歩的な魔道機関に近いものであったようだ。当時は、それですら禁忌とされていたのだが。
 現在の『魔道機兵』は、それこそ全てが精緻な機巧によって作られ、その動力源が魔力によるものを指すことがほとんどだ。妖精使いの目の前に立ちはだかるこれも、「存在しない」筈の禁忌の技術で作られたものの一つであることは、間違いない。
「こんなデカブツ作ってる暇があんなら、もうちょっと世界に貢献出来るものを作れ、っつの」
 妖精使いは毒づきながらも、空の上から目を凝らす。彼の瞳には、人には見えぬ妖精や精霊の姿が見える。だが、彼らは金属、ことに機巧に多く使われる鋼を嫌うため、ゴーレムの周囲には妖精たちの姿がすっかり見えなくなってしまっていた。
「っつあー、不利すぎだろ、俺! わかってたけど!」
 彼の「魔法」は、特定の妖精と契約しない代わりに周囲の妖精に協力を求めることで初めて「魔法」として成立する。逆に言えば、妖精がいなければただの人、ということでもある。
「わかってたなら、どうして戦う気になったのさー」
 唯一、禁忌機巧を前にしてもけろっとしている『風』が、呆れ顔になる。
「逃げちゃった方が早いって。今からでも逃がしたげよっか?」
 ひゅう、と。風が耳元で鳴る。微かに草の香りを含んだ温かな南風。『風』は見た目こそ少女のような姿をしているが、風の妖精の中では格別の力を持つ。「空飛ぶ魔法」が存在しない楽園において軽々と妖精使いを空に舞わせていることからも、『風』が特別な妖精であることはわかる。
 そんな『風』にかかれば、もちろんこの場から逃げることは簡単だろう。風は決して掴めないもの。「掴ませない」ことにかけては右に出るものはいない。
 だが、妖精使いは小さく首を横に振った。
「や、見つけちまったんだ、ついでに仕留めちまいたい。それに、放っておきゃ無駄な被害も出るだろ」
 妖精使いはついと視線を麓の村へと走らせる。それなりに村からは距離があるものの、これだけ素早い動きをするゴーレムだ。下手をすれば、このまま一気に村に攻め込まれ、取り返しの付かない被害をもたらす可能性がある。
 禁忌機巧に正しく対処出来る者など、それこそ神殿の異端審問官、影追いくらいなのだから。
「それにしたってさあ、アンタが戦う義理は無いんじゃないの」
「義理はねえな。ただ、鬱陶しいことに『因縁』はあんだよ」
 含みのある言葉を呟いて、妖精使いは視線をゴーレムに戻した。今まではあえて華麗に無視していたが、ゴーレムの頭には人が乗っていた。元々人が乗るために設計されているのだろう、さながら飛空艇の操縦席のごとく、仰々しい計器が所狭しと置かれている。
 そして、ゴーレムの操縦桿を握った男は、空を舞う妖精使いを見上げ、高笑いを上げていた。そりゃあもう、景気よく。
「はーっはっはっは、怖気づいたか、愚かな女神の僕! 我ら『エメス』が造り上げた機兵こそ、最も美しく、最も気高く、最も力強い! まさしく、楽園の頂点に立つ存在なのだ!」
「因縁って……あれと?」
 『風』は高笑いを上げる男を遠慮なく指差して、問うた。妖精使いは重苦しい表情で「遺憾ながら」と首を縦に振った。
 『エメス』とは、禁忌の担い手、異端研究者で構成される秘密結社だ。もちろんこの機兵にも、『エメス』の歯車と剣と杖を重ね合わせた紋章が刻まれている。
 要するに、この高笑い野郎は『エメス』の一員であり……誠に遺憾ながら、妖精使いはこの男を一方的によく知っていた。
 妖精使いは小さく舌打ちをして、声を張り上げる。そうしなければ、『風』が纏う風に流されて、声が届かないのだ。
「怖気づいたんじゃねえ、呆れただけだ! それに、頭がいねえ『エメス』なんざ、単なる烏合の衆じゃねえか! 何が楽園の頂点だ!」
 その瞬間、遠目にもわかるくらい、男が表情を歪めた。だが、何も怒りに歪んだわけではない、大切な螺子が完全に吹き飛んでしまったかのような、更なる笑みに顔を歪めたのだ。
「ははは、そう、その通りだよ! だからこそ、我々は待ち続けるのだ! 『機巧の賢者』ノーグ・カーティスが我らの元に戻ってくる、その素晴らしき日を! そしていつか我らの前に現れる『賢者』のためにも、歩みを止めることは、出来ないのだっ!」
 灰色の髪を振り乱し、狂ったように笑う男の手が、操縦桿の横にある大きなボタンを押した。その瞬間、ゴーレムの目に当たる部分から真紅の光線が放たれ、妖精使いの浮かぶすれすれを掠めた。
「……っぶねえ!」
 くるり、と妖精使いは空の上で宙返りをして、『風』に言う。
「行くぜ、『風』。でっかい一撃、ぶちかましてやれ」
「りょーかい。それにしても、あの人、完全にぶっ飛んじゃってるねえ。目がまともじゃないよ」
 『風』の言うとおり、男はもはや妖精使いを見てはいなかった。ゴーレムがもたらす破壊の力に感涙し、そして『機巧の賢者』の名を何度も、何度も呼ぶ。そこに『賢者』はいない、どこにもいないというのに、男は何処までも楽しげに見えない『賢者』を呼び続ける。
 妖精使いはほんの少しだけ苦笑する。呆れたように、もしくは「哀れむように」。
「指針を失うってことは、こういうことなんだろうな」
 必ず北を指す禁忌の磁針のごとく、『エメス』のみならず全ての異端に歩むべき道を示してみせた『機巧の賢者』――ノーグ・カーティスが完全に消息を絶ってから、数年。
 取り残されたある者は『賢者』の不在を嘆き、ある者は一転して『賢者』を罵倒し、そして。
「こいつは、現実を認められないあまりに、頭ん中が愉快になっちまったんだ」
 皮肉交じりにそう呟いて、暴風を纏った妖精使いは短刀を手に空を蹴る。暴風は彼の体を中心にして収束し、全てを貫く一振りの槍と化す。
 おおおう、と、男とゴーレムが吼える。
 その声を遠くに聞きながら、妖精使いは空を蹴った勢いそのままに、風の槍をゴーレムのどてっ腹に叩き込む。
 腹に響く鈍い音と共に、金属で出来ているはずの巨体に穴が開く。次の瞬間、その穴から爆発的に魔力があふれ出した。その巨体を満たす魔力が抜けてしまえば、どんな凶悪な機兵もただの人形だ。緑の煙に巻かれながら膝を突くゴーレムの前に、妖精使いはゆっくり降り立つ。
 槍を形作っていた『風』が、元の少女の姿に戻ってにっこりと笑う。流石相棒、と軽く腕を上げて妖精使いもそれに応える。
 すると、頭上からばらばらばら、という奇妙な音が聞こえてきた。見上げてみると、ゴーレムの頭が胴体から切り離され、いつの間にかその頂点からはプロペラが伸び、空に浮かび上がっていた。
「はーっはっはっは!」
 たがの外れた笑い声が響き渡る。
「それで我らの希望が潰えたと思うなよ、女神の狗よ! 『エメス』は滅びぬ、楽園が女神の嘘に満ちている限り、『機巧の賢者』の下に、我ら『エメス』は嘘を暴くことを止めないだろう!」
 何かどっかで聞いた悪役の台詞だな、と思いながら、妖精使いは高笑いを上げながら飛び去っていく男を見送る。きっとまた厄介なものを作って人に迷惑をかけるのだろうなあ、と思うとちょっと重たい気分になるが。
「ま、どんな形であれ、愉快なことはいいことかもな」
 それが、たとえ狂気から来るものであろうとも……当人が愉快なら、それはそれでいいのかもしれない。あくまで、それは当人だけに限った場合、だが。
 何となく割り切れない気持ちを抱えて空を見上げていた妖精使いだったが、不意に『風』がつんつんと袖を引いたことで我に返る。
「ねえ、ちょっと」
「あん?」
「これ、やばくない?」
 『風』がそっと、倒れたゴーレムを指す。何やら、ぱちぱちと爆ぜる音がする。内部の回線が切れて、電気が漏れているのだろう。ぱちり、と音がするたびに、周囲の魔力が反応し、小さな炎を生み出している――
 
 その瞬間、ゴーレムの残骸が、盛大に爆発した。