サツキは、本当にバカな奴なんだ。
いつも楽しそうに笑ってて、俺がいなくちゃ何もできなくて、だから俺の服の裾を掴んで回る。そんな奴。俺がこんなんになっても、ずっと変わらなかったたった一人。
バカだよな。
俺って、こんなにダメでどうしようもない奴じゃないか。そんなのについて回って何の得があるのさ。アイツは俺じゃないのに、何で俺なのさ。俺じゃアイツを幸せにできないのに、アイツはいつもいつも、笑うんだ。俺に向かって。
わかんねえよ。
頭の中がぐるぐるするんだ。アイツの笑顔を見てると時々すごく気持ち悪くなって、酷いことを言って、後でものすごく後悔するんだ。だってアイツ、世界が終わるような哀しい顔するんだぜ。シニガミさんにはきっとわかんねえよ、俺がそれを見てどう思うかなんて。
別にな、俺はサツキを傷つけたいわけじゃねえんだ。
傷つけようと思えば、睨んだだけで形も残さないくらいに潰せる俺が、だよ。そんな、俺にも許せないような方法でアイツを傷つけるなんて、やりたくないに決まってるじゃないか。
だけど、傷つけるんだ。身体じゃなくて心を傷つけてるのが、わかるんだ。俺も心が傷だらけだから。
わかりたくないよ、そんなの。何もかもわからなくなっちゃった方が楽だって何度も思ったのに、それだけははっきりわかっちまう。名前も思い出せない俺が、それだけは忘れられないんだ。
何度も何度もそれを繰り返して、だけど次の日には笑ってる。サツキはいつもそうだった。
理解できねえよ!
違う、理解はしてるんだ、認められないんだ。
俺は、サツキみたいに笑えないから。素直に哀しいって言えなかったから。
バカなのはアイツ? それとも俺? どっちも?
ぐるぐるぐるぐる考えて。そのまま時間が過ぎて、ある時ふと気づいたんだ。
サツキがいない。
サツキが、いない。
今まで、ずっと俺の横で笑ってたサツキが、どこにもいないんだ。周りのどこを探しても、いないんだ。俺、何も言えてないよ。何もできてないよ。謝ることすら、してねえよ。
俺があまりにダメだから、ついにサツキも見捨てたのかな。それならそれでいいんだ。それがアイツのためだってのはわかってる。でも最後に、ごめんなさいって言わせて欲しかった。さよならくらいは、言わせて欲しかった。
だから俺、サツキを探しに出かけたんだ。どこにいるかなんてわからないけど、迷惑かもしれないけど、このままじゃ俺が自分で自分を許せないままじゃないか。
自己満足? 上等だ!
親父は俺を止めようとしたけど、どうやって俺を止めるっていうんだ? 俺は何だってできるんだ、サツキを見つけるくらい何でもねえよ。どんなに遠くにいたって、絶対に見つかるって信じてた。
だって、俺は何だってできるんだから。
何でもできるはずの力は自分と人を傷つけるばかりで、大好きだけど大嫌い。でも、この時初めて、何で自分にこの力があるのかってわかった気がしたんだ。
俺には、サツキしかいない。
ああそうだ、俺がサツキを必要としてたんだ。最後の最後で、消えたかった俺をこの世界に留めてくれたのが、アイツだったんだ。
笑って欲しかった。
最後にもう一度だけ、笑って別れたかった。
俺も、笑って、別れの言葉を言いたかったんだ。
俺は飛んだ。あの青い空の上を、飛んだ。どこまでも、どこまでも、高く。このまま空に溶けて消えたら気持ちいいかなって思ったけど、その前にサツキに会わなくちゃ。サツキの前で笑わなきゃ。
なあ、シニガミさん。
わかってくれなくてもいい、でもアンタならきっとわかってくれると思うんだ。
男なら、好きな奴の前で、かっこつけたいって思うじゃねえか!
* * *
深沢智哉はふらりと事務所の外に出た。
何ら目的があったわけではない。秋谷静は事務所に残って何やらまた調べ物に戻っていたし、今回は何を言われたわけでもない。だが、気づけば傘を片手に外を歩いていた。
頭を冷やそうと、思ったのかも、しれない。
自分で自分がわからない。『ホワイトフェザー』の話を聞いてから、ずっと。
今日も空は薄く灰色がかった白い雲に覆われている。昨日は何だかんだで降らなかったから、今日にでも降るのだろうか。気圧の変化に弱い深沢は、重たい頭を抱えて思う。
『異能』など、今まで何人も会ってきたではないか。いちいち考えていたら、この頭痛が増していくだけではないかと思う。それでも『異能』に触れる度に考える事を止められないのは……
深く沈みがちになる思考は、急に身体に走った衝撃によって遮られた。深沢が我に返ってそちらを見ると、小柄な女が「すみません」と頭を下げているのがわかった。どうやらぼうっとしていた深沢に正面からぶつかってしまったようだった。深沢も苦笑して頭を下げる。
「いえ、こちらこそ。ぼうっとしていたもので」
女は顔を上げ、深沢を見た。長身な深沢とは頭二つ分くらい違うせいで、完全に「見上げる」形になっているが。女はかっちりとした灰色のスーツに身を包み、走りづらそうな靴を履いていた。
深沢はその出で立ちを見て、嫌な予感がした。
女はしばしじっと深沢を見上げた後に呟く。
「……あの、あなた」
「遅れるな」
「あ、はい!」
深沢の後ろから声がかかる。深沢がそちらを見れば、女と同じ灰色のスーツを着た男が女を呼んでいた。深沢が軽く会釈すると、男も会釈を返して言った。
「フカザワ・トモヤ……そういえばお前はこの事務所の居候だったか」
「ああ」
深沢は軽く肩を竦めて返す。大げさな身振りは秋谷のものがうつったかもしれないと思いつつ。灰色の男はそんな深沢を見て目を細めた。
「フカザワ、今回お前には用はないが、一つ聞かせて欲しい」
「それが人にものを聞く時の態度か? まあ、聞かれれば答えるが」
別に、深沢とてこの男には恨みはない。態度が大きいのは、この灰色の集団にはいつものことだ。灰色の男は言葉を慎重に選びながら、言った。
「我々は、この近辺で起こっている事件の調査をしている。容疑者がこの近くに潜伏しているらしいのだが……病人服を着た、背の高い男だ。知っているか?」
「知らないが……背が高いというのは、俺と同じくらいか?」
自分が昨日見たもの、秋谷から聞いたことは何も知らない風に、深沢は問い返す。灰色の男は深沢を見上げた後、小さく首を横に振る。
「いや、それほどではない。だが、目撃情報によれば服を着替えているわけではないため、目立つという話だ」
「わかった。見つけたらその辺にいる灰色を捕まえるよ。お勤めご苦労様」
「ああ。よろしく頼む」
男は一礼すると、女を連れて早足に歩き始めた。女もぺこりと頭を下げると小走りに男に続く。遠ざかる二人の会話が、冷たい風に乗せて微かに深沢の耳に届く。
「……あの方、どこかで見たことがあるのですが」
「ああ、あの男は……」
聞こえなかったことにしよう、と思う。
今の二人は、間違いなく組織の人間だ。灰色のスーツと、深沢の名を知っていたのが何よりの証拠だ。深沢にとってはあまり関わり合いにはなりたくないし、二人にとってもそうだろう。ただ、組織が『ホワイトフェザー』を探しているというのは間違いないことのようだ。
深沢は灰色の二人が去っていった方向とは逆の方向に歩き出した。別に、自分は『ホワイトフェザー』を探しに行くつもりはない。この、もやもやした気分をどうにかして自分の中から追い出したい、ただそれだけ。
――本当に?
冷えた空気の中に、当てもなくアスファルトを踏む音が響き渡る。初めはゆっくり、やがては少しずつ速さを増して。彼の中の焦燥をそのまま表すかのように。
――本当は、知りたいんじゃないのか?
深沢の脳裏に、閃く言葉。
そう、知りたいのだ。『ホワイトフェザー』が何を思うのか。
そう、知りたいのだ。彼が、何を思って、力を振るうのか。
決して同じではないとわかっていても。
――知ることができれば、俺は。
思索の闇に溺れる深沢がふらりと、開けた場所に踏み出した時だった。
甲高い悲鳴が、響き渡った。
遠雷と白昼夢