あら、また話が逸れまくっちゃったじゃねえか。シニガミさんも、聞いてるんだったら早く気づいてよ。
気づいてたけど話に割り込めなかった? そりゃごめんなさいね。
それで……そう、俺様がハッピーな理由。これを聞いたらシニガミさんも絶対に嬉しくなって笑えると思うぜ。そのくらい、ステキな出来事さ。
俺ね、大きな声じゃ言えないんだけど、ちょっぴり不思議な力があるの。
知ってる? さっき言ったっけ、覚えてねえなあ。何だかハイになりすぎて、何言ってるのか自分でもよくわかってないんだよな。すまんすまん。
何でもできる便利な力さ。空も飛べりゃ好きな場所にも行ける。いちいち手を動かさなくても遠くのものが取れるし、ちょっと睨んだだけで何かを殺すことだってできる。
なーんか変な顔してるな、シニガミさん。
皆そう、俺がこんなこと言うと、馬鹿なことを言うなって笑うか、同情するような目つきで見てくるんだ。本当なのに、信じてくれやしない。今、俺がそこに転がってる石をちょちょいと動かしたら信じてくれる?
……そんなことしなくても信じるって?
信じられねえなあ、って俺がアンタの言葉を信じなかったら不信の連鎖? それはそれで嫌な話。アンタが本当に信じてくれているかは別としても、そんなことを言ってくれるなんて、やっぱりイイヒトだな、アンタ。
だけどアンタみたいにイイヒトなんて、本当に少ないんだよ。俺の声を聞いただけで嫌な顔をする奴もいるくらいなんだ。昔からそうで、この力を手に入れてからはもっとそう。こっちを見てくれる奴なんていなかった。
この力をどうやって手に入れたのかって?
さあ、それは俺にもよくわからないんだよね。気づいたら俺は何でもできたから。
ただ……とっても、嫌なものが喉の奥に詰まってる感じがするけど、どうしてもそれが何だか思い出せない。名前が思い出せないのと同じくらい、引っかかってるんだけどさ。
おいおい駄目だろシニガミさん、青い鳥を追い払ったらハッピーにゃなれねえよ。邪魔だから? いいじゃねえか、どんどん幸せが集まってきてるってことさ。きっと俺のハッピーな気分につられてきたんだろ。大目に見てやれよ。
俺ってば、今まで何でもできたはずなのに、何もしてこなかったんだよ。幸せの青い鳥が傍にいるんだって気づいたみたいに、今日になって初めて気づいたんだ。だから今まで幸せもわからなかった。
自分は疎外されるもんだって勝手に思って、塞ぎこんで。皆に笑われて同情されて見下されるだけの、下らない存在と思い込んでたんだって気づいたんだ。
ああ、つまり俺、ハッピーになりたかったのか。
俺ってばハッピーになるやり方を忘れちゃってただけなんだ。
だってガキの頃は、不幸せだなんて考えたことなかったし。今までも実際のところいちいち不幸せって思ってたわけじゃねえけど、何となくハッピーじゃなかった。ハッピーじゃないことと不幸せなことって同じ? それとも違う? わっかんねえなあ。
とにかく俺がハッピーなのはね、シニガミさん。
俺が大好きで大嫌いなこの力で、アイツを守れたからなんだ。
アイツって誰かって? ほら、アイツだよ。いつも俺について回ってる、鬱陶しいんだけど愛しい、どうしようもない女。
そう、サツキ。さっきも言ってたじゃないか。
大丈夫、まだ覚えてる。
まだ、忘れてない……
* * *
「 『ホワイトフェザー』について、情報が入ったよ」
翌日。相変わらず事務所は休業中で、本来ここにいるはずの助手や事務は出かけている。そういえば、秋谷静も明日からは家族と旅行なのだと言っていた。自分はその間どうしようかと考えている矢先、秋谷がそう切り出したのだった。
「昨日言っていた、『異能』ですか」
言いながら、深沢智哉の頭の中には昨日大通りで見た白い影がまざまざと蘇る。唐突に現れ、唐突に消えた、幽霊のような影。その顔は見えなかったけれど、何故だろうか、深沢にはその影が「泣いている」ように見えたのだった。
そんな深沢の思考を覗けるわけではない秋谷は、普段どおりの笑顔で言い放つ。
「うん。まあ、詳しくはこれを見てくれるといいんだけど」
秋谷はデスクの上の書類を深沢に手渡した。深沢は多少渋い表情をしながら書類を受け取り、目を通す。
「 『異能』として組織に認定されたのは、大体三年前。それまでは特殊な能力なんて無かったんだけど、事故に遭って大怪我をして、それがきっかけで『異能』に目覚めちゃったらしいんだよね」
「事故、ですか」
「交通事故だって。かろうじて一命を取りとめはしたんだけど、事故の後遺症でろくに動けないし、ついでにちょっと精神の方も病んじゃったらしくてね。組織の息のかかった病院に軟禁状態だったんだってさ」
『異能』のほとんどが組織によって監視されているというのは深沢もよく知っている。
また、その中でも危険な『異能』は秘密裏に組織の施設に監禁することもある、ということは聞いたことがあった。
しかし、危険と認定される『異能』の内訳は、あまりに強大な力を秘めた者が半分、力そのものが脅威であるわけではなく、その力故に歪んでしまった心が危険と判断される者が半分だと言われている。
今回の『ホワイトフェザー』の場合は……
「力は強いし、頭はおかしいし、で組織の方でも最重要監視指定にしてたらしいんだけどね。そこをあっさり逃げられちゃうなんて、組織も相変わらず抜けてるなあ」
他人事のように、秋谷はへらへらと笑う。実際、他人事だ。深沢はじっと、書類に添付された白黒写真を見つめながら、言った。
「……それで、足取りはわかったのですか?」
「まだわかってないね。この近くで数件目撃報告はあったから、そう離れた場所にはいないと思うけど、組織も掴めてないみたい」
肩を竦める秋谷を見て、深沢も息をつく。添付されていた写真に写っていたのは、穏やかな表情をした一人の男だった。年のころは深沢よりも少し下くらいだろうか。ただ、その表情には何かが決定的に欠けているように見えた。機械で例えるならば、一番大切なネジが抜けてしまっている……そんな表情をしている。
「組織は何と言っているかわかりますか?」
「昨日起こった傷害事件の現場近くで『ホワイトフェザー』が目撃されたってのもあって、どうもそいつが事件を起こしたんじゃないか、っていう見解だね。調べによればかなり攻撃的な性質をしてるみたいだし」
「そう……ですか」
流石に、深沢の声が歯切れの悪いことに気づいたのだろう、秋谷が大げさに首を傾げる。
「どうしたんだい、トモヤくん」
「いえ、昨日ですね」
何となく、昨日のうちには靄がかかったようで、どうも現実味がなかった白い影の話を、深沢はぽつりぽつりと語った。車道に一人佇む、泣いているような男の姿。忽然と現れ、消えていったそれは……
「おそらく『ホワイトフェザー』だね」
黙って深沢の話を聞いていた秋谷は、彼の言葉が切れた地点で言った。やはりそうなのか、と思うと同時に何とも不思議な気分に襲われる。あの影が『ホワイトフェザー』である事を疑うわけではない。ただ、何かが引っかかる。
「私も実物を見たわけじゃないから、はっきりしたことは言えないけどね」
「それで、秋谷さんはどうするつもりですか?」
秋谷が『異能』を追いかける事を趣味にしているのは今に始まったことではない。特に、奇妙な能力を持っていたり、奇妙な遍歴を持っていたりする『異能』の行方を追うことは、彼女の楽しみとなっていた。
しかし、秋谷は深沢の予想に反して首を横に振った。
「今回はこれ以上の調査をする気はないよ。組織もかなり大掛かりに動いているし、下手に動くとこちらも目をつけられかねない。それに、『ホワイトフェザー』に接触して、怪我するのも嫌だしね」
対外的には「存在しない」ことになっている『異能』を隠蔽するための組織は、『異能』でなくともその存在を知り、調べる者に対してはしかるべき措置を与えるらしい。何とかその網の目を潜り抜け……その潜り抜けるという行動のスリルを楽しんでいるフシもある……秋谷だが、今回ばかりは進んでスリルを味わう気にはならないようだ。
深沢はそんな秋谷から目を逸らして、手元の書類にもう一度目を落とす。『ホワイトフェザー』の本名、年齢、経歴。これらを組織から知られることなく調べるだけでも、本来は不可能に近いことであるのだが。
写真の中の『ホワイトフェザー』がこちらに目を向けている。
どこにも焦点の合っていない、目を。
「そんなに、気になる?」
秋谷が言った。
近くにいるはずの秋谷の声が、何故か、遠い。すぐに自分の思索に篭って人の声が聞こえなくなるのは悪い癖だと思いつつ、深沢は目を上げないまま首をゆらりと振る。
「……それほどでも」
「嘘。気になるって顔してるじゃないか」
秋谷は常に人を食った笑顔を浮かべながらも、決して深沢の表情や言葉に含まれた逡巡を見逃したりはしない。
それが、彼女が探偵であり、危険な調査を繰り返しながら今もなおここで笑っていられる所以なのかもしれない、と深沢は思う。
書類の文面は、『ホワイトフェザー』の能力にまで及んでいる。姿を消し、物を壊し、人を傷つける。組織の定めた階級によれば能力は二級、危険度は一級。
『ホワイトフェザー』は何を思い、人知を超えた力を振るうのだろうか。
『ホワイトフェザー』ではない深沢にはわかるはずのないことだというのに、考えずにはいられない。
「本当、トモヤくんは優しいな」
黙りこくったままの深沢に向けて、秋谷は、ぽつりと言った。
「ただ、『ホワイトフェザー』は君じゃない。完全に、君とは別の存在だ」
「わかっていますよ」
深沢は言い放つ。それは当然のことだ。
だが、本当にわかっているのだろうか。
自問しても、答えは出ない。
遠雷と白昼夢