遠雷と白昼夢

シニガミと白い花/01:黒と白

 やあ、アンタ誰?
 こんなラッキーでハッピーな日に、辛気臭い真っ黒な服なんて着ちゃってさ。真っ白な俺とは正反対ってやつ?
 ほらほら何暗い顔してるのさ、暗い顔してたらカッコイイとか思ってるの? そりゃあ間違いだろう、確かに憂いのある男ってえのはちょっとカッコイイかもしれねえけど、憂いと暗いのとは全然違うだろうが。暗いってのはよくねえよ、見てる方も気分が沈むからな。
 だけど、俺には関係ねえか。俺は今最高にハッピー。俺の幸せ気分を暗いお顔のアンタにもちょっと分けてやりたいくらいなんだよ。
 ……うんともすんとも言わないんだな、アンタ。
 っていうかこんな温かい日に黒いコートだなんて、悪趣味もいいところじゃない? アンタの格好、まるでヴァンパイアとかアクマとか、シニガミの類みたいじゃねえか。どいつも、こんな綺麗な空の下を歩けるような奴らじゃねえとは思うけどさ。
 ああ、アンタが誰だろうと俺には関係ないよ。たださ、このどうしようもなくハッピーな気持ちを、誰かに話したくてたまらなかったんだよ。付き合ってくれよ、お兄さん。
 あれ、シニガミさんだっけか?
 まあいいや。
 シニガミさんはさ、自分がどうにも嫌になったことってないか? 俺はいつもそうよ。自分の頭の先から足の先まで、全部嫌いなの。息をしているだけで、誰かを傷つけるような奴だからさ、俺。
 嫌だったの、全部。自分も、そんな自分を取り巻いちゃってる世界も。
 俺のこと、この世界の皆が嫌いになってくれれば楽なのに、同情とか憐憫とかっていう感情を、どうして神様は人間に授けちゃったんだろうな。誰も俺のことを見てくれなければ静かにいなくなれたのに、誰かは必ず俺をじっと見つめていて、それじゃあ俺はいつ消えられるんだろう。
 そんな事を、ずっと考えながら生きてきたよ。
 ……え?
 ああ、何だ、アンタ喋れるんじゃん。いい声じゃねえか、羨ましい。
 うん、バカバカしいって笑うのは勝手だし、俺もバカなこと言ってるなあって自分で思うんだよ。だけど思うことはやめられなかったんだ。
 シニガミさん。
 俺は、どうしてここにいるんだと思う?
 俺は、どうして生まれてきちゃったんだと思う?
 人に笑われるため? 人に憐れまれるため?
 それとも。
 ……なーんて、ね。
 今なら思い切り笑い飛ばせるような、下らないうだうだした悩みさ。
 ん? 人なら、誰でも考えることだって?
 あはは、シニガミさんが人間のことを語るのかい? それは面白い冗談だ。確かに、一度は誰でも考えることだって皆言ってくれるよ。ただ、俺の場合、ちょっとそれが大げさだったんだよね。
 何度も、何度も何度も何度も何度も。
 ぐるぐるぐるぐる考えてたら、わけがわかんなくなっちまった。
 あれは誰、俺は誰。ここはどこであの世はいずこ。世界がぐらぐら揺れてるのか、俺がぐらぐら揺れてるのか。
 そういえば、俺の名前は何だっけ?
 さっきからずっと考えてるんだけど、どうしても思い出せないんだよな。
 シニガミさん、もしも俺の名前知ってたら、是非教えて欲しいんだけど?
 
 
 *  *  *
 
 
「 『ホワイトフェザー』?」
 それは、曇り空の日。
 深沢智哉は、聞き覚えのない言葉に首を傾げる。デスクに書類を広げながら探偵、秋谷静は派手なフレームを持つ眼鏡の下の目を弧にして笑う。
「そう。そんな名前の『異能』。トモヤくんは聞いたことある?」
 『異能』……さらりと秋谷の口から出た妙な言葉を聞いて、深沢は微かに眉を顰める。
「いえ。俺は、『異能』には詳しくないので」
「そっか。そりゃそうだね」
 秋谷は深沢の返答にあっさりと頷いた。深沢は小さく溜息をつくと、ソファに腰かける。百九十センチを越える長身の深沢を支えたソファは微かにきしんだ音を立てた。
 今日はこの女探偵秋谷が所長を務める探偵事務所は休みであり、普段働いている助手と事務も外に出かけてしまっていた。そのため、事務所に居候している身である深沢は、休みでありながらデスクで何かの調べ物をしている所長を手伝うために、ここにいるわけなのだが。
「何故唐突にそんな話を?」
 当然といえば当然の質問を秋谷に返す。秋谷は奇妙な……例えば『不思議の国のアリス』に登場する化け猫、チェシャー・キャットを思わせる……微笑を浮かべて手元の書類を指先でなぞる。
「いやね、どうも最近、変な事件が多いでしょ。知ってるよね?」
「流石に、そのくらいは」
 今日も新聞には、悲惨な事件が数え切れないほど載せられている。そして、新聞には書くことのできない悲惨な事件も、絶え間なく起こっている……その一部だけでも垣間見たことがある深沢は、胸が重たくなるのを感じた。
 そして、最近では深沢の住むこの町でも、奇妙な事件が多発している。失踪事件、暴行事件、果てには、殺人事件。世も末だと深沢は思う。
 いや、もしかすると常に起こり続けていたけれど、今になって初めて自分が認識できるようになっただけかもしれない。そうであれば、どれだけの人間が犠牲になっていて、どれだけの人間がこれから犠牲になるのか、とも思う。
「それに、『異能』が関わっていると?」
「っていう、噂なんだ。詳しいことは今から調べるんだけどね」
 秋谷はあっけらかんと笑った。深沢は今度こそ大げさな溜息をついた。
「秋谷さん、いい加減変なことに首を突っ込むのはやめてくださいよ。関わったって、一銭の得にもならないじゃないですか」
「お金にはならなくても、心が豊かになればそれでいいのさ」
 女らしくない言葉遣いで、秋谷はきっぱり言い切ってみせる。「そういうもんですか」と言いながらも、深沢は考える。
 この世の中には、『異能』と呼ばれる存在がいる。
 深沢がそれを認識したのは、二年ほど前の話である。二十八年この世を生きてきた深沢にしてみれば、かなり最近のことだと言わざるを得ない。
 『異能』というのは、その名の通り通常の人間とは異なる能力や性質を持った存在である。俗にいう、超能力者だ。とはいえ、テレビによく登場する「超能力者」はほとんどが『異能』ではなく、超能力を持っている、という触れ込みで自分を売っている手品師だ。
 手品には種や仕掛けがあるが、『異能』が扱う能力には種も仕掛けもない。
 その分、自分は手品の方が理に適っていて好きなのだが、と深沢は考えてみたりする。
 『異能』の定義は「通常の人間と違う能力を持つ」ことと、「持つ能力や性質が現実の摂理に反している」こと。それだけ聞けば、そんなものはどこにも存在しないように思えるが、実際にはこの世界に多数、『異能』は存在しているのだ。
 ただ、普通には知覚できないだけで。
 何しろ、ひとたび『異能』の存在を自覚してしまえば、この世界を支配している法則や摂理と呼ばれるものが、一部の「 『異能』ではない人間」によって作られた脆弱なものだと気づいてしまう。ある時『異能』の存在を知ってしまった深沢も、常に奇妙な不安を背に負っているような気分で毎日を生きている。
 中には、目の前の秋谷のように全てを知りながら笑っていられる、強い、もしくは無関心な人間もいるようだが。
「……しかし、その『異能』はどういう能力者なのです?」
「噂によると、念動力使いらしいよ。あれだね、サイコキネシスとかテレポートとか」
 『異能』と言ってもピンからキリまでいる。時間を渡り未来を知ることのできる、それこそ物語の中に出てくるようなとてつもない『異能』から、微風を起こすだけというそれだけならば人畜無害な『異能』まで。
 秋谷の言う『ホワイトフェザー』は、数ある『異能』の中でもそれなりに大きな力を持ってこの世に生まれてしまったものであるようだ。
「そんな能力を持っているなら、追われたり監視されたりしていないんですか?」
「そう、そこが問題なんだ」
 秋谷はにやりと笑う。それこそ、アリスを惑わす化け猫のように。
「元々、『ホワイトフェザー』は組織の監視下にあった。だけど、どうも組織の目をかいくぐって逃げ出したらしいって話が今入ってきてね」
「……え?」
「ま、詳しいことは調べてからだね。そうだトモヤくん、今日はクリームパンの日なんだよ、ちょっと買ってきてくれない?」
「わかりました」
 唐突な話の切り方も、この女探偵にはいつものことだ。深沢もとりあえず『ホワイトフェザー』について考える事を止めて、財布を取りに二階の自分の部屋に上がろうとする。その時、ふと窓の外に目が行った。
 今にも泣き出しそうな空……
 微かに灰色がかった白い雲が、重たく垂れ込めている。
「傘、持って行った方がいいんじゃない?」
 呼びかける秋谷の声が、やけに遠く聞こえた。