「あちゃあ、トモヤくん、どこ行っちゃったんだろ。雨降っちゃうよ?」
今にも泣き出しそうな重たい空を見上げて、ベージュのヘアバンドで前髪を上げた女は奇妙な声色で誰にともなく言う。一歩足を進めるたびにからんころんと鳴るのは、裸足に突っかけた木のサンダルか。
それにしても、変な女だった。
蛍光オレンジのウインドブレイカーを羽織り、その下に着ているのは明るい紫色をしたキャラクターもののTシャツ。ジーンズは所々が破れている上によれよれで、一体どんなセンスをしているのか疑いたくもなる。
何故か二本の傘を両手に持ち、近所のスーパーマーケットに買い物に行く奥様のような足取りで歩きながら、人の目も構わず独り言を呟いている。行過ぎる人は奇妙な格好の彼女に一瞬目を向けるが、関わり合いになりたくないとばかりに目を逸らす。
「あの真面目くんのことだから、自首なんてアホなこと考えてるんだろうねえ。どうせ、誰も信じてなんかくれないのに」
遥か遠くから雷の音が聞こえて、女は目を細め、口端を歪めて笑みを作る。
それは、さながら『不思議の国のアリス』に登場する化け猫、チェシャー・キャットのよう。
一つ、角を曲がったところでからんと音を立て、道の真ん中で足を止める。
変な時間だからだろうか、狭い裏道に人影は見えず、湿った空気は静寂に支配されている。それでも、化け猫の笑みを浮かべたまま、女は灰色の空に向かってはっきりと言った。
「どちらにしろ、覗き見ってのは感心しないね。出てきたらどう?」
遠雷と白昼夢