幸福偏執書庫

シアワセモノマニア(青波零也)の小説アーカイブ

荒れ野の花と白い箱
 息を呑んだことを、覚えている。
 がらんとした部屋の真ん中に立つ、少年とも少女ともつかないちいさな影。手には銀色の鋏、足元に散らばるのは黒い髪。
「ロータス」
 振り向きもせずに、変わり果てたシルエットの「彼」が言葉を放つ。
「いきましょう」
 静かな、しかし決然とした声と共に振り向いた「彼」は。
 何故か、どこにもいない「もう一人」に、見えた。
 
 
 旧い魔法使い《バロック・スターゲイザー》が引き起こした、地球全土に渡る天変地異――《大人災》から数百年が経過した、らしい。当時の記録はほとんど残っていないから、ロータス・ガーランドは正確な情報を知らない。
 かろうじて生き残った人類が築いた統治機関《鳥の塔》は、その名の通り灰色の空に向かって聳える巨大な塔の姿をしている。窓一つ無い白い塔は、人類の英知の象徴であり、滅びに向かう世界に輝く希望のかたちでもある。
 ――というのが建前であることは、ロータスも重々理解している。
 この塔の内側に詰まっているものが、酷く混沌として、つかみがたいものであることも、この歳になれば嫌というほどわかってくる。
 ロータスは塔の高層に位置する一室で、塔が敷いた公共通信網に接続されていた。意識は仮想空間を自在に泳ぎ、飛び交う無数の情報を並列処理しながら、異変が無いかどうかを確かめていく。
 そんな矢先、ふと、意識の中に現実の音声が滑り込んできた。
「ロー、いるー?」
 聞き慣れた声と、自動開閉扉を叩くやかましい音。ロータスはふと溜息を漏らし、目を覆っていたバイザーを少しだけ上げる。少々殺風景な自室の風景から、叩かれ続ける扉に視線を向けて……扉に備え付けられたインターフォン越しに聞こえるように、接続を維持したまま、思考から音声を生成する。
『扉、壊さないでよ』
「あ、いたいた。壊されたくなかったら、ちょっと開けて」
『わかった』
 扉を制御するコマンドを飛ばして、扉を開く。すると、そこには自分とよく似た顔があった。短く切った黒髪に、長い睫毛に縁取られた赤い瞳。違うのは、ぴったりとした服に包まれた体が女性のものであることと、自分なんかよりずっと引き締まった、健康的で筋肉質な体つきをしているということ。
 ほとんど同い年の「弟」は、いつもやかましいほどに明るい彼女には珍しく、神妙な面持ちで、機器に繋がれたままのロータスに言った。
「すぐに来るように、って父さんが」
「ああ……そういえば、今日だったね」
 ロータスは、接続状態を解除し、身を起こす。通信網ではあれだけ自在に動けるというのに、現実に意識を戻した途端に、全身にかかる重さと鈍い痛みを感じずにはいられない。ガーランドとして生まれながら、極めて虚弱なこの体が恨めしい。
 それでも、今一時は現実に戻らなくてはならない。
「今すぐ行くよ、メリッサ」
 それだけの理由が、今日という日にはあったから。
 
 
 メリッサ・ガーランドは、ロータスが第五番であるようにガーランドの第六番で、ロータスが水上に咲く花を示すように、檸檬の香を振りまく植物の名を持っていた。頭文字はロータスとひとつ違いの「M」、つまり開発番号がひとつ下の弟に当たる。ガーランド・ファミリーはそのかたちを問わず「兄」「弟」とお互いを呼称する。
 遺伝情報はかなりかけ離れているが、番号が近いのと、その性質が「正反対」だということもあるのだろう、ロータスはきょうだいの中でも特にメリッサと親しい。ある意味では、半身にも近い存在であるといえた。
 そのメリッサは、早足に無機質な廊下を行く。本人は早足というつもりもないのだろうが、身体強化型のメリッサと、思考強化型のロータスとの身体能力の差は歴然だ。ロータスは、肩で呼吸をしながら、何とかメリッサの背中を追いかけていた。
「もう、ほとんどのきょうだいは、父さんのところに集まってるよ」
 振り向きもせず、メリッサは言った。ロータスは、少しだけ考えてから、乱れる息の合間に問いを投げかける。
「ヒース兄さんも?」
 そこで、メリッサが初めて振り向いた。その真っ赤な瞳に浮かぶのは、落胆。メリッサは、優れた身体能力を持つ反面、己の感情を隠すことが極めて苦手だ。人の心の機微に疎いロータスでも、彼女が何を考えているかは手に取るようにわかる。
「今年も、兄さんは来なかったんだ」
「うん。最初に迎えに行ったんだけどね。部隊の仕事があるし、こんなことしたって意味ないから、って追い返されちゃった」
「ヒース兄さんらしいな」
「でも、誰よりもヒース兄さんに来てほしいのにな。僕……じゃなくてアタシも、父さんだって、そう思ってるはずだよ」
 それは、ロータスにもわかる。
 今日という日は、特別な日だ。ロータスにとって、メリッサにとって、彼らガーランド・ファミリーの「父親」であるハルト・ガーランドにとって、そして何よりも、《鳥の塔》から離れるように、町の外周で治安維持部隊を率いる「兄」にとって。
 だが、その兄はいつもこの日に限って、頑なにロータスたちに背を向ける。普段はつかみどころのない、ふわふわとした態度を見せる、彼らしからぬ態度で。
 ただ、ロータスは、その全てを理解できるわけではなくとも、彼の思いの一端ならばわかる気がした。
 全ての始まりは、五年前の今日。今のメリッサと同じように、ロータスを迎えに来た兄――ヒース・ガーランドの姿を脳裏に思い描く。
 
 
 ヒース・ガーランドは、ロータスが第五番であるようにガーランドの第四番で、ロータスが水上に咲く花を示すように、荒野に咲く花の名を持っていて、頭文字は「H」。つまりガーランド・ファミリー全体を通して八番目に開発されたガーランドであり、ロータスから見れば開発番号で四つ上の兄になる。
 今では首都・中央隔壁――《裾の町》でも知らぬ者のいない、最も有名なガーランドだが、当時はむしろ《鳥の塔》の外にその名が出ないよう、隠された存在であったはずだ。
 ロータスは、当時幼かったこともあり、その理由を正しく説明することはできない。当時の自分が得られた限りの情報と現在手に入れることのできる情報はあるが、そこから正しい答えが導き出せるとも思えない。ロータスにとって《鳥の塔》の上層部やガーランドを観測する研究員の方針など、理解の範疇外だ。
 ただ、「ヒース・ガーランド」という存在が、ガーランドの中でも極めて異質であり、当時既に上層から危険視されていたということだけは、彼にまつわる様々な出来事から確信している。
 あの日もロータスは通信網へ接続するための機器に繋がれていて、ヒースはそこからロータスを乱暴に引き剥がして言ったのだ。「父さんが、呼んでいます」と。
 少女と形容してもおかしくない可憐な容貌をしていた兄は、ゆるく三つ編みにした長い黒髪を揺らして、ロータスの手を取った。
「行きましょう、ロータス」
 理由の説明もなく、ロータスは手を引かれるがまま部屋を出た。今も長々とした廊下を歩かされるのは気が滅入ることだが、当時はもっと小さく身体も弱かったロータスにとって、部屋の外は意味もなく恐ろしかった。彼の手を引く兄が、いつもの穏やかな笑みでなく、凍りつくような無表情を端整な横顔に貼り付けていたことも、余計にロータスの恐怖をあおった。
 大股に、ほとんどロータスを引きずるようにして歩くヒースの背中は、流石にロータスほどではないが、それでもやけに小さなものだった。
 ロータスやメリッサのように偏った調整をされているわけではなく、平均的に高い水準に造られた……はずのヒースだったが、当時の彼はそれにしてはか弱かった。片割れと比べれば一目瞭然だったが、ヒースは上層部や研究員たちの睨むような視線を無視して、投薬や訓練をサボり続けていたのだ、ということを何とはなしに思い出す。
 とにかく、その時のヒースは、唯一の肉体的な弱点を保護する網膜保護装置を真っ直ぐ前に向けて。そこにロータスがいることも忘れたかのように、長い廊下を歩いていた。
「兄さん、痛いよ」
 正直に言えば、声をかけるのも怖かったが、あまりに強く手を引かれていたものだから、ロータスはついに音を上げた。すると、ヒースははっとしたようにロータスを振り返り、それから顔を伏せて「ごめんなさい」と呟いた。
「気が急いていました。らしくありませんね」
 ふわり、と微笑むヒースは、ロータスの知るいつもの兄で少しだけ安心する。ヒース・ガーランドは、今もそうであるように、内側で何を考えているにしろ、表面上はどこまでも柔らかな物腰を崩さない。
 だからこそ、その日のヒースは、ロータスの目から見ても明らかにおかしかった。
 再び、今度はロータスの歩調に合わせて歩み始めたヒースの背で揺れる三つ編みを、見るともなしに見ながら。ロータスは、恐る恐る問いを投げかける。
「……何が、あったの?」
 ヒースは、真っ直ぐ前を向いたまま、小さく唇を噛んで。
「ホリィが、死にました」
 それだけを、言った。
 
 
 ホリィ・ガーランドは、ロータスが第五番であるようにガーランドの第三番で、ロータスが水上に咲く花の名を示すように、刺を持つ植物の名を持っていて、頭文字は「H」。つまりガーランド・ファミリー全体を通して八番目に開発されたガーランドであり、ロータスから見れば開発番号で四つ上の兄で……ヒースにとっての「片割れ」だ。
 ホリィとヒースは現時点で二十人開発されているガーランド・ファミリーで唯一、同一の遺伝情報を保有している「双子」であった。ちなみにホリィが兄で、ヒースが弟。開発番号も、それに従って与えられた頭文字も同一ではあるが、製造時期が二ヶ月ほどずれていたため、どちらが兄かは一目瞭然だった。
 そして、同一の遺伝情報を持ちながら、ホリィとヒースは全く似ていなかった。
 当然、顔は似ている。だが、肉体の発達は圧倒的にホリィの方が早く、その事実を知っていれば決して二人を見間違えることはない。
 何よりも似ていないのが、性格だ。性格とは遺伝と環境によって形作られるというが、そんなもの嘘だ、と言いたくなるほどに、二人は正反対の性質をしていた。かたや機械仕掛けの冷徹さと塔に対する揺るぎない忠誠心を持ち、かたや柔らかな微笑みを浮かべながら、剣呑な感情を胸の中で飼いならし。
 それでいて、お互いを「片割れ」と呼び合っていた、そんな双子。
 その「片割れ」であるホリィが、死んだという。
「ホリィ兄さん……殺されたの?」
 ホリィ・ガーランドは当時弱冠十五歳であったが、その道の人間には『制圧者』『討伐者』と称される兵隊であり、ナイフ一つで人やものを殺すことにかけては右に出る者がいなかった。これは、ガーランドとしての人間離れした身体能力もさることながら、愚直なまでに殺しの腕を磨き続けた彼の生真面目さに由来していたとロータスは分析している。
 故に、「ホリィ・ガーランド」は塔の武力と恐怖の象徴であった。
 とはいえ、どれだけ力を持っていたとしても、ガーランドはあくまで生物学上ヒトであり、胸を刺されれば死ぬし、頭を破壊されても死ぬ。戦いの中に身をおくホリィが、いつそうやって殺されても、おかしくはなかった。
 だが、ロータスの問いに対し、ヒースは小さく首を横に振って、言った。
「わからないのです」
 わからない? というロータスの疑問は、言葉になることはなかった。
 長い廊下は終わり、そこには一枚の扉があった。前に立つヒースとロータスの姿を認めたのか、扉は音もなくするりと開いて二人を迎えた。
 そこにはロータスとよく似た顔をした子供たち、ガーランド・ファミリーと白衣の研究員たちが集まっていて、その中心に一つの箱が置かれていた。全ての面を真っ白に塗られた、人ひとりが入れそうな大きさの箱。
 それが、ホリィの棺だということは、ロータスにもわかった。
「……集まったな、ガキども」
 低い声が背後から聞こえて、ロータスははっとそちらを振り返る。
 そこに立っていたのは、白衣を纏った巨漢の研究員、ハルト・ガーランドだった。ガーランド・ファミリー全員の遺伝情報の基となった人物であり、現在は環境適応班の主任としてガーランド・ファミリー計画を一手に引き受けている、まさしくガーランドの「父」と言うべき存在だ。
 ハルトはロータスたちよりもやや茶色みの強い赤の瞳で「子供たち」を見渡し、重々しく頷いて言った。
「聞いていると思うが……お前たちのきょうだいであるホリィが、死んだ」
 重苦しい沈黙が、場に落ちた。赤い瞳がいくつもハルトに向けられる中、ヒースだけは父を振り返ることもせず、ロータスの手を離して棺を前に立ち尽くしていた。ロータスがちらりと見上げた横顔に、感情らしきものを見出すことはできなかった。
 そして、ロータスも、ホリィが死んだという事実の前に、呆然とするばかりだった。
 ホリィは、決して優しい兄ではなかった。自分に厳しく、他人……特に同じガーランドには、同等の厳しさで接する人物であったから。それでも、彼の迷いのない生き様はロータスの心を打った。彼のようなガーランドになりたい、という思いを胸に生きてきたといっても過言ではない。
 そのホリィは、もう、いないのだ。
 あの無機質な箱の中で、箱と同じ温度になっているのだ。
 それが、悲しいというよりもただただ恐ろしくて、ロータスは、泣いた。
 周りのガーランドも、何人かがホリィのために涙を流し、誰かは「くそっ」と毒づいた。そんなガーランドの子供たちを、白衣の研究員たちは無表情に見つめていた。いや、無表情ではなかったのかもしれないが、当時のロータスには、そう思えたのだ。
 その時、おもむろにヒースが棺に向かって歩みだした。
 誰かが、ヒースの名を呼んだようだったが、ヒースには聞こえていなかったのか、構わず、全員が遠巻きにしていた白い箱が手に触れられる位置まで歩み寄る。
 そして。
 何の前触れもなく、ヒースは、棺を蹴り飛ばした。
 誰が放ったかもわからない高い悲鳴と共に、台座に固定されていなかった白い箱がロータスの想像よりも軽い音を立てて床に転がり、はずみで開いた蓋の間からは、詰め込まれていた白い造花がこぼれ落ちる。
 その白い花を踏みしめ、ヒースは箱をもう一度蹴り飛ばす。今度は鈍い音を立てて、空っぽになった箱が凹んだ。
 ――そこに、ホリィの死体は、なかった。
「嘘つき」
 ヒースの唇から、歌うような言葉が漏れる。ロータスからは、ヒースがどんな顔をしているのかを見ることは出来なかったが……何故だろう。笑いながら泣いているような、そんな気がしたことを、覚えている。
「みんな、嘘ばっかり。とんだ茶番じゃないか、ホリィ!」
 甲高い、少年とも少女ともつかないヒースの声が、響き渡る。その声で我に返ったのか、研究員の一人が「取り押さえろ!」と叫んだ。何処かで見張っていたのか、黒い軍服の兵隊がなだれ込んできて、ヒースを取り押さえる。ガーランドの子供たちは、黒い兵隊に囲まれるきょうだいの姿を、ただただ見つめていることしかできなかった。
 そんな中、ヒースは狂ったように笑いながら、足跡のついた棺に向かって叫び続けた。
「こんな、空っぽの箱に何の意味があるってんだ! 君はどこにもいないじゃないか、なあ、ホリィ! 答えろよ、ホリィ――!」
 
 
 ――結局、ヒースはそのまま兵隊たちに連れ去られて。
 うやむやのままに、ホリィ・ガーランドの葬儀は終わったのだった。
 ホリィの死体は、未だに誰も目にしてはいない。だが、記録上ホリィ・ガーランドは死亡していて、以来誰も生きているホリィの姿を見かけることもなかったから、ホリィは死んだのだ、と思うことにしている。多分、他のガーランドたちも。
 唯一、今もなお違う認識を持っているのが、きっと、ホリィの片割れであるヒース・ガーランドなのだろう。
「……まだ、ホリィ兄さんが生きてるって思いたいのかな、ヒース兄さんは」
 前を歩くメリッサが、ぽつりと言葉を漏らす。
「どうだろうね」
 ロータスはそう答えながら、しかし、その考え方は必ずしも正しいとは思えなかった。
 あの葬儀の場で、彼らしくもないやり方で、主のいない棺をその場の全員に示してみせた兄。
 しかしヒースは、あの葬儀の場において、一度も「ホリィは生きている」とは言っていない。今も、片割れの話を求められると、ぼんやりとした――ある意味では「いつも通り」の――笑みを浮かべて、彼がそこにいたころの昔話を語るばかりで、ホリィの生死については言葉を濁す。
 ヒースがホリィの不在をどう捉えているのか、他のガーランドも、ガーランド・ファミリーを観測している研究員たちですら、わからずにいるに違いない。
 そんなことを考えていると、何故か自然と、言葉が口をついて出た。
「それよりもさ」
「うん?」
「兄さんは、あの棺が空だってこと、知ってたのかな」
 あの日のヒースには、何の躊躇いもなかった。まるで、そこにホリィがいないことを確信していたかのような、一連の流れ。それが、ロータスの中ではずっと小さな刺となって引っかかっていた。
 もちろんこの問いに、深い意味はない。メリッサは、答える言葉を持たないだろうから。そう思って顔を上げれば、案の定メリッサはその綺麗な顔に困惑を貼り付けて、口をぱくぱくさせていた。
 ロータスは、そんなメリッサに「ごめん」と小さく謝る。
 何も、ロータスとて正確な「答え」を求めているわけではないのだ。きっと、ヒースに直接聞けば、答えてくれるだろうから。ただ、その答えを聞くのが、怖くもあって……未だに、聞けないままでいる、だけで。
 誰も、本当のことを知ることができないままでいる、ホリィの不在。グレーであることは、ゼロとイチの世界に生きるロータスにとって、極めてもどかしいものではある。
 ただ、真実を知ってしまえば、グレーなままであれば失わなかった何かを失ってしまう、ような。そんな気もしている。
 知りたくもあり、知らないままでいたくもあり。そんな、複雑な思いを抱えたまま、ロータスは足を止めた。
 この扉の向こうには、同じ顔をしたきょうだいたちが待っている。年に一度、彼らの前から消えたホリィを思い出すために。ただ一人、ヒースを欠いたままで。
 扉を開けようとするメリッサの大きな背中に、とっさに声をかける。
「ねえ、メリッサ」
「何?」
「後で、ヒース兄さんに何か差し入れでもしてきてよ。僕からだ、って言ってさ。ついでに、ホリィ兄さんの話でも聞いてくればいいんじゃないかな」
「それなら、ぼ……アタシに頼むんじゃなくて、一緒に行こうよ。たまには外に出た方がいいよ」
「む……」
 正直に言えば、気の進まないことであった。外に出るということは、この弱い身体が危険に晒されるということであり、またヒースに会うということは、また色々といらないことを言われたり頼まれたりするということである。
 ただ……今日ばかりは、そんな億劫な気持ちは閉じ込めておこうと決めて。
 今日は特別な日だ。きっと、未だに全てを語らずにいる、ヒース・ガーランドにとっても。
「そうだね。これが終わったら、兄さんに会いに行くよ」
「うん! また、ホリィ兄さんの旅の話とか、聞かせてもらおう」
「ああ」
 あの日、ホリィ・ガーランドは死んで。
 残された片割れは、伸ばしていた髪を切り落とし、軍の仕事に飛び込んでいった。その結果『制圧者』として恐怖されたホリィとはまた別の形で、塔を……そしてガーランドを象徴する存在として、今、そこに君臨している。
 彼は今、どんな思いでそこにいるのだろう。片割れのいない、そこに。
 ロータスは、己にとっての「片割れ」であるメリッサを見上げて――それが欠けたときの空虚を思い描きながら、きょうだいの待つ扉をくぐった。

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