幸福偏執書庫

シアワセモノマニア(青波零也)の小説アーカイブ

アリシア・フェアフィールドの奇矯な友人
 新聞記者、アリシア・フェアフィールドは、仕事上、また個人的な友人関係として、裾の町の内周、外周問わずあらゆる業界の人間と顔を合わせてきた。
 その中にはかなり奇妙な連中も混ざっているものだが、ある青年は、アリシアの知っている中で最も「変わっている」一人であり……最も親しい友人ともいえた。
 果たして、外周の中でもなかなかに繁盛している食堂の片隅で、アリシアはかの友人と向かい合い、気まずい沈黙を共有していた。
「……で」
 青年が放ったテノールとアルトの間を彷徨う声に、アリシアは、反射的にびくりと身を竦めてしまう。恐る恐る顔を上げれば、青年と目が、合った……と、思われた。実際には、青年の目はいつも通り分厚いミラーシェードに覆われていて、その目が象る形や瞳の色を窺うことはできなかったのだが。
 目を隠しているせいで表情を判じるのも困難ではあるが、長いつきあいであるアリシアには、さっきの一言だけで、確信できることがある。
「言いたいことは、それだけか?」
 
 この、友人が。
 全力で、アリシアに呆れている、ということ。
 
「だって、だってさあ!」
「『だって』じゃない、いきなりのろけを聞かされる身にもなれ」
「のろけじゃないって言ってるでしょ! ただ、辰織があんまり鈍すぎるから」
「それがのろけっていうんだよ! 口を開けば辰織辰織って、とっととお互いぶっちゃけて、とっとと結婚してしまえこの幸せ者!」
 きっぱりはっきり言葉を放つ青年の声を聞いてか否か、ちらちら食事客がこちらを見ているのがわかる。客の視線に混ざる色は、二割の怯えと八割の好奇。
 それは、目を引くに決まっている。アリシアと相対する青年の出で立ちは、どうしたって悪目立ちしてしまうのだから。
 全身を隙なく黒衣で覆い、グラスを握る手もまた丈夫そうな黒の手袋に覆われている。唯一、肌を晒している首から上は、衣服の黒とは対照的に、白磁のような白だ。本来あってしかるべき髪や眉といった体毛を全く持たないだけに、なおさらその肌の白さが目につく。
 そして、目を覆う大げさなミラーシェードから伸びる数本のコードは、側頭部に穿たれた穴に突き刺さっており、その様子だけでも青年がまともな「人間」でないことは明らかだ。
 人体改造が身近かつ手軽になったこのご時世ではあるが、この友人のような存在は、裾の町広しといえど他に目にしたことはない。仮にこのような存在に「なる」ことが可能であったとしても、手を出したいと気軽に思えるような代物ではない……アリシアは、思いながら青年の滑らかな頭部に刻まれた羽の模様――識別記号の一種だという――を見るともなしに眺める。
 脳以外のほぼ全てを機械に置き換えた、限りなく機巧の人形に近い人間。それが、この青年の正体だ。
 本来の肉体をいつどこに置き忘れてきたのか、アリシアが初めて見た時からこの青年は機械の体一つで生きていた。
 全身を機械に換装する義体技術は、この国を掌握する《鳥の塔》でも未だ実験段階だ。特に、人と変わらぬ見た目の義体となると、実用化にはほど遠い。
 だが、アリシアもよく知る博士……塔が誇る奇才、ウィニフレッド・ビアスは、独自の製法を編み出し、秘密裏にこの青年の体を造ることに成功していた。
 そして、そのウィニフレッドが、色々あって『消えて』しまった今。唯一の義体を与えられた青年だけが、ブラックボックスだらけの存在として取り残されている。
 本来の肉体を失って、ウィニフレッドに義体を与えられた詳しいいきさつは知らないが、何かしらの事情が……おそらく悲劇的な背景があることは、容易に想像できる。しかし、当の本人はいたって暢気なもので、荒事を含む『何でも屋』を営む傍ら、事あるごとに友人であるアリシアの愚痴に付き合って、唇を尖らせていたりするわけだ。
 いや、唇を尖らせているだけならまだいい。ひとしきりアリシアの愚痴――この友人の言葉を借りれば「のろけ」らしいが――を聞いた後に、ひとたび唇を開いてしまえば、そこから始まるのは一方的な説教だ。
 厳つい見かけによらず親しみやすい人柄ではあるが、説教臭いのがいけない。それも、どこまでも真っ当な指摘であるだけに、聞き流すのも困難を極める。
 だから、青年が薄い色の唇を開きかけた時、すかさず青年の名前を呼ぶ。
「あのさあ、シスル」
 Thの音から始まる名前は、遠い時代に失われた花の名である。本名ではないらしいが、花の特徴通りに鋭さを伴う響きは、何となく、この青年らしい。
 シスルは「何だ」と氷だけになったグラスをからからやりながら首を傾げる。とりあえず、アリシアの話を聞く姿勢にはなったようだ。
「あたしの話はともかく、アンタはどうなの? アンタ自身ののろけ話は、聞いたことないんだけど」
「マネキン人形に毛が生えたような私に、その手の話題があると思うのか」
「そもそも毛は生えてないでしょ」
「そりゃ言えてる」
 アリシアのもっともな指摘に、シスルは口の端を微かに歪めてみせた。人並みの表情筋を持たないシスルにとって、感情を表現するのは、目を隠していることもあり、かなり困難であるらしいことは、アリシアもよく知っている。
 ただ、この青年に関しては、知らないことも多々あるのだ。例えば。
「別に、今どうこうってことじゃないけどさ。アンタも、誰かに恋い焦がれたりすることってあるのかな、って思っただけ。全く興味なさそうに見えるけど」
 すると、シスルは口の端を歪めたまま、軽い口調で言ったものだ。
「失礼な。私だって、人並みに恋に恋してた時期はあったさ」
「え、本当に?」
 正直に言えば、この青年が恋しているところなんて、全く想像できなかった。同性にも異性にも等しい態度で接するシスルに、異性への恋愛感情が存在するとも思いづらい。確かに、女性に対しては、からかい混じりの口説き文句を混ぜる悪癖もあるが、それは絶対に、この青年の本気ではないことも知っている。
 だが、必要に迫られない限り、嘘をついたり誤魔化したりするような奴ではない。それもまたわかっているだけに、ついつい身を乗り出してしまう。
「もちろん、ウィンに拾われる前の話だけどな。当時は随分浮かれてたもんだが、何もかもがいい思い出だ。忘れてはならない思い出だとも、思ってる」
「何それ、すごく気になるんだけど」
「聞いて面白いもんでもないぞ。当時、恋していた相手がいた、ってだけだ」
 だけ、と言われても、気になるものは気になるのだ。この青年らしからぬ恋愛話、に対する下世話な好奇心ではあるが、その手の「好奇心」がなければ三流紙の新聞記者なんてやっていられない。
 それに、恋愛などという要素を横に置いても、シスルが今のかたちになる前の話は、アリシアもほとんど聞いたことがなかった。シスル自身がその話を避けていたというよりは、アリシアやシスルの周囲が、あえて詮索しないよう努めていたからだ。それが深い傷である可能性がある以上、そこに指を突っ込むような真似は避けるべきだとも、思っていたから。
 しかし、シスルから話してくれるというなら、是非、聞いてみたい。
 じっと、話の続きを促すように見つめていると、最初は唇を閉じたまま腕を組んでいたシスルも、ようやく観念したように言葉を紡ぎ始めた。
「今でも、よく思い出す。人形のように綺麗な顔と、鮮やかに燃える瞳をしていて。全体を見るなら、研ぎ澄まされた黒曜の刃を思わせる人だった」
 やけに詩的な表現を使うのは、この友人の癖でもある。それでいて、変に臭くならないところが、なんとも不思議なところではあった。
「その印象通りに、不器用ではあったけれど、とても真っ直ぐで透明な人だった。色んなことがあって、私も相当酷いことをしたよ。けれど、決して目を逸らさずに、私のことを見ていてくれた、人だった。その毅然としたところに憧れたし、この人のためなら何をしてもいいって、本気で思ったもんだ」
「その人は……」
「死んだよ。だから『思い出』だ」
 あっさりと。全く悲壮さも感じさせない口振りで、シスルは言い切った。アリシアは呆然としてしまったが、頭の片隅では納得もしていた。自分、を形作るものを全て失ってきたであろうシスルにとって、それもまた失ったものの一つだったのだろうと、聞いたその時からほとんど確信していたから。
「以来、恋はしてないな。……いや、二度とできないかもしれないとも思うよ」
「どうして?」
「このかたちになってから、自分と他人の間に、どうしても越えられない壁ができたような、そんな気がするんだ。例えば」
 グラスをテーブルの上に置いたシスルは、そっとアリシアの手を取る。騎士が姫の手を取るかのような恭しさで。とはいえ、芝居がかった所作もまた、この友人にはよくあることで、アリシアは恥ずかしさを覚えることもなく、ただただシスルを見据えていた。
 手袋を嵌めた両手でアリシアの手を包み込んで。シスルは、囁いた。
「こうやってアンタの手を取っても、私はアンタの手の温もりを、柔らかさを、直接は感じることができない。それは『情報』として脳味噌に与えられるだけで、『実感』とは程遠い」
 その言葉の意味を理解するまでには、数秒の時間を要した。そして、それがアリシアには本当の意味で「理解」できない感覚であることを、知った。
 どれだけ人に似せても、人にはなりきれない人形の体。見た目だけならば人に混ざっても機巧とは思えない精巧さではあるが、果たして、その体から見つめる世界はどのような色をしているのだろう。
「私はな、アリシア。私一人が常に世界から隔絶されているような気がするんだ。こうやって、触れ合っている時ですら。きっと、誰かに抱きしめられている時ですら。口付けをしている時ですら。そんな状態で、燃えるような、足元がぐらぐら揺れるような、喉が渇いて、それでいて全てが満たされたような。そういう『恋』の感覚は、二度と味わえないんじゃないか、って思うのさ」
 こういうのを、絶対の孤独っていうのかな、と。
 シスルは冗談めかして言ったけれど。
 アリシアは、ただただ黙っていることしかできなかった。
 何が言えるというのか、想像を絶する場所に、ただ一人で立つこの友人に。
 しかし、露骨に落ち込むアリシアに反して、シスルはけろっとしたもので、アリシアの手を離して大げさに肩を竦めてみせる。
「ま、そんな深刻な顔しないでくれ。この体だってそう悪いもんじゃないし、もしかしたらいつかまた恋に恋する日が来るかもしれないさ。恋ってのは、『する』ものじゃなくて『落ちる』もんだしな」
 あまりにあっさりとした物言いに、今度はアリシアが呆れる番だった。
「アンタって、本当に、ポジティブよねー……」
「それだけが取り柄だからな。ま、せいぜいアンタののろけ話でも聞いて、恋の研究でもさせてもらうとしますよ」
「だから、あたしのは別にのろけってわけじゃ」
「あーはいはい、おあついことでなによりだー」
「このハゲ……!」
 拳を握って立ち上がるアリシアに対し、今度こそシスルはけらけらと声を上げて笑った。その透明感のある声は、小さな子供の笑い声を思わせるもの。
 本当に、変な友達ができてしまったものだ。アリシアは肩の力を抜いて、深々と溜息をつかずにはいられなかった。

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