幸福偏執書庫

シアワセモノマニア(青波零也)の小説アーカイブ

007:第一の対峙
 ――軽率だった。
 ラビットは、ホテルの窓から外を眺めつつ溜息をついた。
 ――思えば、トワが軍に追われている地点から、あらゆる手段を向こうが取ることは想像しておくべきだった。例えこれほど小さな町であっても、トワが訪れる可能性が一パーセントでもあれば……
 窓の外、ひびの入った人通りの少ないレンガの道を赤い軍服を着た男が一人、歩いていた。さっきは別の男が歩いているのも見た。
 ――軍の連中が張っていてもおかしくはない。
 町では、すでに赤い軍服の男が何人も配置されているようだった。ラビットは何とかその中をかいくぐってこの小さな、客もないホテルに辿り着いたのだ。ホテルの主人は何も知らなかったので助かった。どうも主人によると、軍の人間がここに来たのは二日前のことらしい。
「ラビット、どうするの?」
 ベッドの上に腰掛けていたトワが、不安そうに聞いてきた。ラビットは窓からトワに目を移し、肩を竦める。
「気づかれていなければいいのだが……しかし、この状態だと下手に出て行っても捕まるだけだな」
「ごめんなさい、わたしのせいで」
「何故謝る? このくらいは覚悟の上だ。貴女が軍に追われていたのを失念していた、私のミスだ」
 ラビットは最後の方は吐き捨てるように言って、再び軍人が歩いている道に目を戻す。前回……初めてトワに出会ったときのように、いきなり大勢の軍人が詰め掛けてくるという様子ではない。むしろ、人数としては少なすぎるくらいだ。
 ――人海戦術は無駄と気付いたのか? だが、それにしては……
 町の規模からして、大体二十人くらいの兵しかいないという計算になる。それではもし目的のトワが発見されたときにすぐに対応できるのかは怪しい。そのくらいの人数の目を欺くことなら、不可能ではないとラビットは考える。
 ――指揮官が優秀なのか? それとも逆に何も分かっていない馬鹿か?
 考えながら、窓から離れる。軍人がこちらを向きかけていたからだ。こんな客が来そうにもないホテルに客がいたら怪しむに決まっている。傍にあった椅子に腰掛け、トワを見た。トワは不安げな表情ながらもラビットの考え事の邪魔にならないように、ベッドに横になり、静かにラビットの方に目だけを向けている。
 ――そういえば。
 ラビットは、トワに目をやりながら、旅立つ時に聞いた話を思い出していた。
『レイ・セプターが彼女を追ってる』
 星団連邦政府軍大尉レイ・セプター。連邦軍ではかなりの有名人だ。ラビットが知る限り、過去には性格的に問題があり、未開惑星送りになっていた男だ。
 だが数年ほど前からだろうか、急に少数精鋭を誇る遊撃隊、アレス部隊に所属換えとなり、数々の功績を残してきている男。階級こそ大尉だが、その功績……特に戦闘能力に関するものが認められ、次期の『軍神』称号最有力候補にも挙げられているとも言われている。
 ――しかし、そんな有名人が何故政府の管轄からも外された小さな星の任務についている? 私情を考慮して考えても、妙な話だ。
 ラビットは考える。答えは出そうにもないが、考えていなければ更に不安になるような気がしていた。
 ――だが、本当にレイ・セプターが動いているなら、いくらトワを傷つけることはできないと言え、こちらの分が悪い。それに、あれが相手ならば、今の私では太刀打ちできない上に、不利な条件が重なっている。
 左手にはめた銀色の籠手を見つめる。旅立つ前、男から受け取ったもの。これがどのような物品かはラビットもよくわかっていたが、今すぐに使いこなせる自信はない。
 左手を下ろし、大きな旅行鞄を立てる。大きいがあまり重量はない。色々と特殊な加工がされているのだ。顔を上げるとふとトワと目が合う。
 ――結局、私にできることといえば……
「いつまでもここにいるわけにもいかない。すぐに連中が嗅ぎ付けるだろう。だから、私の言うことを少しだけ聞いて欲しい」
「うん、わかった」
「貴女はこの鞄を盾にして、そこに隠れていて欲しい。そして、私が合図をしたら、すぐに鞄を持って私と一緒に走れ。わかったな?」
「うん」
 トワは不安げな顔こそしていたが、しっかりと頷いた。ラビットも安心し、そしてすぐにまた厳しい顔つきになって耳を済ませた。……堅い靴音が聞こえてくる。階段を上る音のようだ。それは段々とラビットのいる部屋に近づいてきている。トワはすぐにさっきラビットが指し示したドアのすぐ横に鞄を立て、後ろにうずくまった。
 ドアが、ノックされた。
「すまない、連邦政府軍の者だが、少し話を伺いたい」
「ああ、わかった。すぐに開ける」
 鍵を外し、ドアを開けたラビットの眉間に銃が向けられる。条件反射的に両手を挙げるラビット。真紅の軍服に身を包んだ軍人は、銃を片手にラビットの全身を珍しげに見た。
 それは当然だろう。真っ白な髪に真っ白な肌、それに分厚いサングラスまでかけているときたら、不審を通り越して純粋に「珍しい」というものである。
「……最近のお偉方は随分と過激なことをなさいますね」
 ラビットは口端を歪めて皮肉混じりに言ったが、軍人は気に触ったようでもなく、機械的に言った。
「何、貴方が怪しいものでなければすぐに終わる」
 その言葉は、「貴方を疑っている」のと同じ意味である。軍人は、ラビットに銃口を向けたまま部屋の中に一歩足を踏み入れ、部屋を見渡す。何かを探すように……
 ラビットからは一瞬だけ目が離れた。
 ラビットはその瞬間を見計らって、軍人の銃を手で払いのけ、無防備な胴体に右手をつける。
「貴様……っ!」
 軍人はそれに気付き、ラビットに目を戻す……が、遅かった。
「『死呼ぶ神の槍(グングニル)』!」
 右の手の平に刺青された紋章。そこから放たれた青い光に軍人の胴体が貫かれる。軍人の身体は吹っ飛び、壁に当たって崩れ落ちる。
「行くぞ、トワ!」
 ラビットの声と共にトワが鞄を手にドアから出る。ラビットも軍人が起き上がりそうになっているのを確認し、慌てて廊下に出た。階下が騒がしい。きっと今の騒ぎを聞きつけてホテルの主人がこちらに向かってでもいるのだろう。見つかると厄介だと察したラビットは、迷わず上の階へと向かっている階段を、トワの手を取って駆け上った。
 階段の先は屋上だった。ラビットは躊躇せず、少し段差のある隣の家に飛び移る。トワもすぐにラビットの後を追って飛び移った。
「怖くないか?」
「大丈夫」
 トワのしっかりとした声が、ラビットを少しだけ安堵させた。
 
 
『報告します。第七エリア異常なし。監視を続けます』
「了解」
 町の中心にある広場。そこに真紅の軍服に身を包んだ、金髪の若い軍人がいた。
 彼こそが、星団連邦政府軍大尉、レイ・セプターだった。
 通信機から聞こえてくる声に言葉を返すセプター。通信機を持つ右手は生身の腕ではなかった。おそらく最新型の義手なのだろう、手袋の下からは表皮を貼っていない金属部分が覗く。
『……第六エリア、異常なし』
『第三……』
『異常ありません』
 馬鹿らしい、とセプターは思った。ここに『青』が来る確率はそう高くない。確かに『青』が初めに発見された町からこの町は一番近い。道を通っていれば必ず訪れる場所ではあるが、『青』が今もまだこの町に滞在しているという確固たる保証はない。
 それでも『青』の目撃情報が圧倒的に足りていない今、セプターに取れる方法といえばこのくらいしかなかった。
 その時。
 通信が入った。通信機から聞こえてきた声は妙に上ずっていて聞き取りにくかったが、おおよそこんなことを言った。
『第五エリアにて、『青』を発見、確保に失敗しましたっ! ターゲットは『青』ともう一人、白髪の男で……ホテルにいたところを捕獲しようとしたのですが……現在建物の屋根の上をエリア九に向かって移動しています……応援を……』
 こんな簡単に見つかるものか、と一瞬呆れるが、あまりにぜいぜいと苦しそうな呼吸をする通信を送ってくる兵の様子に緊張を取り戻す。
「了解した。そっちは休んでいろ」
 セプターはそう言って、一回通信機の電源を切る。
 『白髪の男』の話は聞いていた。確か、『青』の保護作戦に参加していた軍人を紋章魔法で倒し、そのまま『青』を連れてどこかへ消えたという話だった。やはり、現在も『青』とともに行動しているらしい。
「紋章魔法……か」
 セプターの中では紋章魔法にはあまり良い思い出がない。いや、どちらかというと思い出したくない思い出と言った方が正しいのかもしれない。
 それを振り払うように軽く頭を振り、再び通信機の電源を入れ、周波数を町にいる全員の仲間に合わせてから言った。
「エリア五にて『青』が発見された。現在エリア九に向かって移動中とのこと、至急エリア九に移動し、保護作戦を開始しろ。俺もすぐ向かう」
 
 
「やはり、追ってきたか」
 ラビットは、家々の屋根の上をトワの手を取りながら走っていた。ちらりと背後に目をやると、二人ほどの軍人が後を追ってきていて、そして屋根の下を並走する軍人も何人か見えた。攻撃を仕掛けてこようとは思っていない模様だ。捕縛対象のトワがすぐそばにいるからだろう。
 しかし、ラビットには圧倒的に持久力が足りない。それにトワの方が心配だ。まだ平気そうだが、息を切らせ始めている。このままでは埒が明かないと思ったが、紋章魔法はそう簡単に何度も使えるものではない。基本的な攻撃魔法はこう不安定な体勢では最大の効果は発揮できない。
 それに、ラビットは気付いていた。
 自分たちが追い詰められていることに。
「ラビット!」
 トワが叫んだ。
 とある建物の屋上に足を踏み入れる。だが、その先の道はなかった。大きな道に分断されてしまっていて、その先に行けなくなってしまったのだ。高さもかなりある。ここから道に飛び降りるということは自殺行為だ。
「……ここまでか」
 ラビットも苦い顔をして、呟いた。
「その通りだ」
 朗々とした声が響く。ラビットは後ろを追ってきていた軍人の方を振り返り、トワをかばうように前に出る。軍人たちはいつの間にかほとんどが屋根の上に上ってきていたらしく、十人ほどがラビットとトワを取り囲むようにしていた。そして、その中の一人が、一歩前に出た。金髪の軍人だ。
「その少女をすぐに渡せば、危害を加えるようなことはしない。大人しく応じてくれ」
「レイ・セプター……」
 こんなにすぐに出会う事になるとは。ラビットはそう思って眉を寄せた。トワは怯えた様子でラビットの服の端を掴む。金髪の軍人、レイ・セプターは意外そうな顔をして言う。
「へえ、俺の名前を知ってるんだな」
「貴方は随分な有名人だからな」
 ラビットは皮肉混じりにそう言った。セプターはその言葉にこもった皮肉をものともせず……もしかすると皮肉だと気付いていなかったのかもしれないが……言った。
「それなら俺の実力もわかってるだろう? 痛い目見ないうちに言うことを聞いてくれないか。俺だって実力行使には出たくない」
「そうだろうな」
 ラビットの言葉はあくまで否定的な響きがこもっていた。
「ラビット、わたし」
 トワは、ラビットの服の裾を掴んだまま、消え入りそうな声で言った。
「わたし、行くよ。ラビットに……これ以上迷惑かけられない」
「待て」
 ラビットは、トワの腕を強く掴んだ。トワは目を丸くし、ラビットを見上げる。ラビットはそれきり、黙り込んで動かなくなる。何かを、待っているかのようにも見えた。
 セプターは難しい顔でラビットを見据えていた。軍人たちもその場から動こうとはしない。
 奇妙な沈黙が、その場に流れた。
 ヴゥゥ……という、何かの羽音のような音が聞こえてきたような気がした。その瞬間、迷わずラビットはトワを抱き上げ、屋上の手すりを越えて、跳んだ。
「なっ……!」
 いきなりの行動に、セプターは焦った。この高さから落ちたら、例え死ななくとも骨の一本や二本折れてもおかしくはない。手すりに駆け寄り、下の道を見る。
 そして、信じられないものを見た。
 足元に浮かぶ青白い光の輪、それを踏み台にして、まるで階段を下りるかのように空中を駆け下りるラビットの姿を。
 紋章魔法の高位、『闇駆ける神馬(スレイプニル)』だ。
 ――やられた。
 セプターは頭を抱えた。相手は紋章魔法士だ。このくらいの芸当、できてもおかしくは無かったのだ。
 即座に自分の背後に控えている軍人たちに向かって鋭く、指示をする。
「すぐに降りろ! 武器使用も許可する! だが、『青』だけは傷つけるな、いいな!」
 
 
 ラビットは道に降り立ち、向こうから走ってくる自分の車を見据えた。
 車を支配している龍飛がコントロールする、無人の車を。
 車はラビットたちの前で止まり、扉が開く。すぐに乗り込むと、急発進させる。後ろから、軍人たちが銃を発砲してくるのが見えた。
 少しの衝撃が走る。
「龍飛、被害状況は?」
『後部灯破損。機関に異常はありません』
「それならそのまま走ろう。あの男のことだ、すぐに他の計画を考える。それまでは逃げ続けられるだろう」
 そう言って、助手席のトワを見る。トワはまだ不安そうな顔をしていたが、ラビットがほんの少し口端を上げると、トワも薄い笑顔を浮かべる。
「トワ?」
「何?」
「私は、貴女といて迷惑だと思ったことは無い。だから安心しろ」
 その言葉を聞いて、トワが意外そうな表情を浮かべる。それから、また笑顔を浮かべて、頷いた。
「……うん」
 
 
「逃げられたか」
 セプターは去り行く車を見つめ、吐き捨てるように呟いた。
「ラビット、か。厄介な相手だな」
 右手に握られた、銃が組み込まれている機械剣を強く握りなおす。
「だが……」
 
 
 これは、あくまで第一の対峙に過ぎない。
 セプターはそう思い、にぃと笑った。

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