空色少年物語

17:俺が生まれた日(4)

 そこは装飾品売り場だった。女性向けの煌びやかなものから、男性にも似合いそうな首飾りや指輪まで。
 その中で、セイルの目を惹いたのは、水滴を思わせる石が取り付けられた首飾りだった。元々そういう石なのか、それとも魔法がかけられているのか、濁り一つなく透き通った青い石の中には、虹色の煌きが見て取れる。
「何だ、嬢ちゃんにプレゼントか」
 人の感情がわからない、というわりには察しのよいブラン。ディスに言わせてみると、ブランは人の感情の動きを見ているのではなく、相手の行動や態度から経験則で「推測」しているだけだろう、とのことだけれど。
 それでも、ブランの推測は間違っていない――思いながら、首飾りを一つ、手に取る。手の中で煌きを放ち続ける石を見つめながら、小さく頷く。
「折角の、お祝いの日だから。いいかな?」
「別に俺様に許可を求める必要はないわよ。お前さんの心が求めるままに、って奴だ。今日はお前さんの誕生日でもあるんだからな」
 心が求めるままに。ブランの言葉を口の中で呟く。
 そういえば、いつから自分の心、素直に表に出せなくなっていたのだろう。そんなのは自分のわがままだと蓋をしてしまうようになったのは……多分、兄がいなくなってからだった。
 けれど、今この場では、わがままになってもいいのだ。自分の心が、求めるままに。
 セイルは意を決して、もう一つ同じ首飾りを手に取った。
 ――シュンランは、空色の花飾りを、「セイルとおそろい」だと言って喜んでくれたから。もう一つくらい、「おそろい」があってもよいのではないかと、思って。
 喜んでくれるだろうか。喜んでくれればいい。シュンランの笑顔を想像して、ぎゅっと二つの首飾りを握り締め……何か言われるような気がしてブランを見たが、ブランはセイルが二つの首飾りを手に取ったところを見ても全く口を出そうともせず、ただ不思議そうな顔をして立っているだけだった。
『……やっぱわかってねえな、こいつ』
 ディスがぼそっと溜息混じりに呟いたのは、聞かなかったことにする。
 ブランにとっては、多分セイルやシュンランが「おそろい」であることを喜ぶ気持ちがわからないに違いない。そして、そのもの自体が何処にでもあるようなものであっても、大切な宝物になりうるのだということも。
 宝物になりますように。そして、これからもずっと一緒にいられますように……そんな願いを、青い石に閉じ込める。虹色の煌きと同じように。
 二つの首飾りを買って袋に詰めてもらい、ブランが待つ場所に戻ってみると……ブランは背中を丸めて棚に飾られている何かを凝視していた。一体何を見ているのだろう、と思ってブランの視線を追うと。
「……猫?」
 そこにあったのは、黒猫の耳飾りだった。
 黒い硝子で出来た、小さな、しかし精巧な曲線を描く猫が銀の鎖の先で揺れている。セイルの目から見ても綺麗で、それでいて可愛らしい意匠の飾りだと思う。
 しかし、それ以外にもいくつも明るい色をしていたり、華やかだったり、そんな耳飾りはいくらでもある。その中で、綺麗ではあるが地味とも言える黒猫の飾りに目を留めているのは何故だろう、そんな風にも考える。
『ブラン……お前、その顔でそういう趣味が』
「可愛いものに目がない手前が言えた筋合いじゃねえだろうがよ、ディス」
『う、うるせえ!』
 ディスには悪いけれど、これはブランの方が正論だ。ディスが可愛いもの、特に動物に目がないことくらいは、セイルもブランも了解している。実際、ブランには聞こえていなかったかもしれないけれど、ディスは耳飾りを見るなり『可愛い……』と呟いていたから。
 しかし、セイルもブランがこういうものに興味を持つとは思えなくて、首を傾げて……それから、ふと一つの可能性に思い至った。
「ブランも、誰かにプレゼントしたいの?」
「は?」
「え、違う?」
 ブランが疑問符に疑問符で返したものだから、セイルは逆に驚いてしまう。けれど、ブランが自分でつけるのでないとすれば、それ以外に何が考えられるというのだろう。
 シュンランに似合うだろうか、と少しだけ考えてみて……違う、と断じる。決して似合わないわけではないだろうけれど、元々色の薄い彼女にはもっと華やかな色をした飾りの方が似合うと思う。
 ブランは躊躇いがちに黒猫の飾りを手に取って、それからぽつりと言った。
「や……ただ、チェインの姐御に似合うかなって何となく思っただけ」
 ブランの言葉に、露骨に驚愕したのはセイルでなくディスだった。ひゅっ、と息を飲むような気配と共に、緊張が意識の奥底にみなぎる。何故、ディスがいきなりそこまで動揺するのかわからず戸惑うセイルに対し、ブランはディスの反応を予測していたのか、あくまで淡々と続ける。
「本当に、意図はねえよ。ただ、何となく思っただけだ。気にしないでくれ」
 耳飾りをそっと棚に戻そうとするブランの腕を、セイルは思わず掴んでいた。
「あ、あのさ。それも一緒に買っていこうよ。俺もそれ、チェインに似合うと思うし……きっと、チェインだって喜んでくれるよ」
「そりゃねえな」
 あっさりとブランに否定され、セイルは「へっ」と間抜けな声を上げてしまう。揺れる黒猫を見つめたまま、ブランは淡々とした口調で続ける。
「十中八九、姐御は喜ばねえよ。嫌いな野郎にものを貰って喜べる? 流石にそのくらいは俺様でもわかるぞ」
「嫌い……って、そんなことないと思うけど」
「好かれてない、ってことくらいはわからあな。お互い、嫌い合ってた方が都合がいいだろうしねえ」
 ブランはかつて常に見せていた作り笑いをその顔に浮かべて、言う。その言葉の意味は、何となくわかる。そもそも、ブランとチェインは立場の上でいけば敵同士だ。本来はこうやって共に旅をすることすら許されない。
 それに……確かに、チェインはブランを嫌ってはいないまでも、決してよい感情を抱いていない、気がする。それは、ブランが異端研究者だということもあるだろうし、ブラン・リーワードという男そのものに対する反発もあるのではないかと思う。
 それでも。
「それでもさ、ブランは、チェインのこと嫌いじゃないんだろ?」
「……嫌い……嫌い、なあ。どうなんだろ、これ」
 ブランはあからさまに困った様子で顎をかく。
 ――ああ、それすら、わからないのか。
 これにはセイルも一緒になって困ってしまう。例えば、ブランが「嫌い」であると公言しているのはノーグ・カーティスと『エメス』だが、それは感情から出た嫌悪ではなく、与えられた状況から相容れない存在だとブラン自身が判断したに過ぎない……ということは、最近になってわかったことだ。
 だから、感情的に「嫌い」であるということが、ブランには理解できない。胸の中に浮かぶ言葉にならない気持ちが、果たしてプラスの感情なのかマイナスの感情なのか、その判断基準すらブランの中に存在しないのだ。
 セイルはブランを、その瞳の奥にある心の形を探すように見据える。ブランはセイルではなくあくまで手に取ったままになっている耳飾りを見つめていた。
 それで……セイルは、心に決めた。
「それ、俺がチェインに渡すよ。それなら、ブランも文句ないだろ」
「え、ああ、それなら別にいいんじゃねえの? 姐御も喜ぶんじゃないかしら」
 ほれ、とブランはあっさりと耳飾りをセイルに渡した。そんなブランに対して色々思うことが無いわけではなかったけれど。それはきっとここで言うよりも、もっとわかりやすくブランに示した方がいいと思ったのだ。
『セイル、お前……考えたな』
 頭の奥から聞こえてくる感心の声に、セイルは「へへ」と笑って応えたけれど……底の方に流れるディスの感情に気づいて、微かに首を傾げる。それがディスらしくもない、怯えにも似た感情だと気づいたから。
「どうしたの、ディス?」
『や。ただ、どう転がるかなって思っただけだ』
 セイルは首を傾げたまま、耳飾りを摘み上げる。つやつやと輝く黒い猫が、セイルの瞳の前で揺れていた。
 
 
 その後――入り口辺りで待てども待てども、シュンランたちは戻ってこなかった。
 流石に不安になり始めたセイルに対し、ブランもディスものん気なものだった。
「女の子は色々と入用なものよねえ」
『女と買い物をするもんじゃねえ、ってよく言うよな』
「そ……そういうものなの?」
 無責任なことを言い合いながらも、やはり二人もシュンランたちの行方が気にはなっていたのだろう、気づけば女物の売り場に足を向けていた。
 女性の服を売っている売り場に足を踏み入れたことなどなかったセイルは、物珍しさと気恥ずかしさに挟まれて何とも居心地悪い思いをしながらシュンランの姿を探す。
 すると。
「何だ、もう買い物は終わったのかい?」
 売り場の奥から、チェインが軽く手を振っていた。その片手には、大きな紙袋が提げられている。買い物は済んでいたのか……と思いきや。
 何処を見ても、シュンランの姿が見えない。シュンランはさほど背が低いわけではないから、売り物の影に隠れて見えなくなるということも無さそうだが……
「シュンランは?」
 セイルの問いに、チェインは軽く肩を竦めて奥に眼鏡越しの視線を向けた。
「なかなかお気に召さないらしくてねえ。まだまだかかりそうだよ」
 見れば、奥には試着室があって、その扉の前にちょこんとシュンランの靴が並べられている。一体、どんな服を選んでいるのだろう。色々な想像を膨らませながら、シュンランが出てくるのを待っていると。
 突然、乱暴とも言える勢いで扉が開き、シュンランが顔を出した。
 が。
 その上半身には何も身に着けておらず、今まさに試着しようとしていたのだろう、淡い赤を基調とした服を胸の前に握っていた。
「チェイン、これ、どうやって着る……あ、セイル」
 シュンランのすみれ色の瞳が、セイルを射抜く。人前に肌をさらしているというのに全く恥ずかしがる様子もなく、ただ、ただ、真っ直ぐに。
「しゅ、シュンラン! そ、そそそその格好は……っ」
 セイルの方が慌てて両手で目を隠すが、つい指の隙間からシュンランの白い肌を見つめてしまう。細い首筋、むき出しの肩、かろうじて手に持った服で隠されているけれど、今にも外気にさらされてしまいそうな小さな胸の膨らみから目が離せなくて……
『……お前も男だったんだな、セイル』
 頭の中で、ディスが深く感じ入ったような声音で呟く。
「男だよ! っていや違うそうじゃなくて……あれ?」
 しどろもどろに言い返しながら、ふと、違和感に気づく。
 シュンランの綺麗な曲線を描く肩に、何か煌くものがあるように見えたのだ。そっと目を覆っていた手を外して、己の目にしたものが見間違いでないことを確かめる。
 それは――石、に見えた。
 青い、それこそセイルの髪によく似た空色を湛えた丸い石。親指の爪ほどの大きさをしたその石は、シュンランの肩に埋め込まれているかのように、見えた。
「シュンラン、その石……何? 飾りか何か?」
 シュンランは一瞬きょとんとしてから、セイルの視線を追って自分の肩を見た。それで、セイルが何を言わんとしているか察したのだろう、「これですか」と首を傾げる。
「これは飾りではないです。わたしの体の一部です」
「体の、一部?」
 セイルのように特別な色を持って生まれた子供の話、というのはセイルも一応今までも耳にしなかったわけではない……そのほとんどは、魔力抜きで鮮やかな空色を持つセイルと違って、魔力が濃く出たために発現するものだったが……けれど、体に石を持って生まれる、という話は初めて聞く。
 ブランもそういう話は初耳だったのか、興味深そうにシュンランの肩に輝く空色の石を見つめている。
「どうして、この石が体に埋まっているのかは覚えていません。しかし……これが『歌姫』の印であることは、覚えています」
 『歌姫』の、印。
 そんなものがあったのか、と思わずにはいられない。ということは、今までにシュンラン以外にも『歌姫』と呼ばれる少女がいたのだろうか。そうでなければわざわざ『歌姫』の印だなんて言うはずもない――
 と思っていたところで、チェインがシュンランの体を試着室の中に無理やり押し込んだ。
「全く、アンタも少しくらい周りの目を気にするんだよ! あと男共、じろじろ見つめて鼻の下伸ばしてんじゃないよ!」
「の、伸ばしてないよ!」
 セイルは反射的に叫び返すが、ブランは全く表情を動かすことなく、薄い唇を開く。
「……別に嬢ちゃんの裸を見たところで、何の得も」
「ブラン」
「ごめんなさい」
 チェインと試着室の扉の隙間からこちらを見ていたシュンランに睨まれ、ブランは即座に己の非を認めた。さながら蛇に睨まれた蛙の如く、完璧に硬直したままに。
 ……多分、それは「恐怖」って感情だよ、ブラン。
 小さく呟くと、ブランが「そういうものか」と唇の端を引きつらせた。その声が震えていたのは、気のせいじゃなかったと思う。
 そうしている間にも試着室の中からはどたばた言う音が聞こえ……ただ着替えるだけだというのに何をしているのだろう、と思わなくもない……しばらくして、それがぱたりと止んだ。
 突如訪れたあまりの静寂に、待っているこちらが居心地悪くなる。
『チェイン……ついに、力尽きたか』
「これ、そういう話じゃないよね?」
 ディスのやたら深刻そうな声にツッコミを入れたその時、今度こそそっと試着室の扉が開いた。
 そこに立つシュンランの格好は、今までのものとはまた全く趣を異にするものだった。
 袖のない、淡い赤の布で作られた上着から、柔らかそうな、深い赤みの紫の布で作られた袖が覗く。そして、その裾の部分は花弁のように切り落とされていて、まるでそれ自体が淡い色の花のよう。
 そして、下は動きやすさを重視したのだろう、膝より上に裾がくる短いズボンだ。これからの季節にはぴったりの、爽やかな白色をしている。
 可憐さと爽やかさを兼ね備えた、何ともシュンランらしい格好だった。特に、短くなった髪にはよく似合っている……そう、思う。
「どうですか、セイル?」
 シュンランは、羽が生えたような足取りでくるりと回ってみせる。微かな緑の煌きを秘めた銀の髪が揺れて、淡紅の衣に映える。
「すごい、可愛いよ。似合ってると思う」
「そうですか? 何か、変ではないですか」
「変じゃない。お花みたいで素敵だと思うよ」
 ぱたぱた、手であちこちを叩いて確かめるようにして。それから、シュンランは顔を上げてにっと笑った。
「ありがとうございます。セイルの新しい服も、後で見せてくださいね」
「う、うん」
 シュンランの笑顔を見ると、胸がどきどきしてくる。それに……さっき見てしまった白く細い体のラインと、肩に見えた空色の輝きが思い出されて、自然と頬が赤くなる。
 別にやましいことなんか何も考えていない、考えていないのだから、と自分に言い聞かせていると、シュンランが不思議そうに顔を覗き込んできた。そのすみれ色の瞳に映る、間抜けな自分の顔を見て、セイルも何とか我に返った。
「あ……そうだ。シュンランにね、渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの……ですか?」
 ポケットの中にしまった、首飾りの入った袋にそっと触れる。これが、気に入ってくれるかどうかはわからない。もしかすると、いらないと言われてしまうのではないか。俄かに悪い想像が頭の中を駆け巡って、その動きが止まってしまう。
 大丈夫。大丈夫だから。
 深呼吸をして、改めて顔を上げて、シュンランの大きな目を見つめて――
 刹那。
「なーにこんなところで見つめ合っちゃってるの? お客様の邪魔邪魔っ」
 聞き覚えのある声と、鈴の音が――天井から、降ってきた。
 はっとして顔を上げたそこには。
 極彩色の服に身を包んだ場違いな道化師……『エメス』のティンクルが浮かんでいた。