Planet-BLUE

151 天文台の少女

 天文台に住み着いた一人の女の子の話は街でも有名だった。
その天文台は街から少し離れた丘にあり、かなり古いものだった。宇宙に人々が出て行く前にはあったであろうとも言われているくらいに、本当におんぼろな天体望遠鏡が目印になっていた。
 そこは一年ちょっと前まで一人の男が管理していたのだが、その男が旅に出てしまってからは、誰も住むものはなくただ管理コンピュータだけがかろうじて動いていたのだという。しかし、そこに二ヶ月程前からいきなり、一人の女の子が住み着き始めたのだ。
 その女の子の名はトワ。
 珍しい青みがかった銀色の髪に、何故か見ていると懐かしい気分になる綺麗な青の瞳を持った、小さく可愛らしい女の子。
 そう。一年ちょっと前、軍に追われてこの街に逃げ込み、かつて天文台に住んでいた男、ラビットと一緒に旅に出たあの子だった。
 俺は忘れることはなかったけれど、トワの方はよく覚えていなかったみたいで俺の店に来たときには首を傾げたものだった。ここでラビットに出会ったことだけはきっちり覚えていたのだから薄情なものである。
 ラビットがどうなったのか、俺は知らない。トワは語らないし、俺も問わなかったから。
 その日もトワは俺の店にいた。めったに俺の店どころか街に顔を出さなかったラビットとは対照的に、トワは毎日のように店に顔を出す。多分、天文台にいても退屈なのだろう。実際俺はあの男がどうしてあんなちっぽけな建物に一ヶ月以上篭っていられるのか不思議でたまらなかったから、きっとトワの方がよっぽど正常だ。
 そして、トワは俺の店に置いてあるものが不思議らしく、いつも何かを見つけては俺を捉まえて問うのだ、「これは何」と。
 もちろんこの日も変わらず、トワは新しく店に入ったそれを目ざとく見つけたのだった。
「ねえ、この箱みたいなものは何?」
「ああ、これは二十世紀型の画像放送受像機だ。まあ、二十世紀型をモデルにした複製品だがな。最近は懐古趣味の奴が多くて、こんなものも結構よく売れるんだ」
「へえ……」
 トワは物珍しそうに箱型の受像機を見つめ、また実際にスイッチを回してみたり、軽く画面に触れたりしていた。
 かつての天文台の主であったラビットも、こういう骨董品や古い型のものを俺の店で好んで買っていたと思い出した。あのおんぼろ天文台を受け継いだことといい、ラビットも相当の懐古趣味だったのだろう。
 ふと、トワの手が電源のスイッチに触ったのだろう、受像機に電源が入り、映し出されたニュースキャスターが甲高い声で何かを言っていた。
 確か、内容はこんな感じだったと思う。
『 「ゼロ」の消滅の原因について、科学者が各々の見解を述べているが、一つとして確かなものはない』
 跡形もなく消えた、『ゼロ』。その原因は未だに不明だという。
 俺にとっては、どうでもいいことだ。結局、俺はこうして店を続けていれる。店のカウンターで暇な時間を過ごす、何も変わらぬ日々が続いているのだ。
 ただ、変わったことがあるといえば、『ゼロ』が消えた日。あの日に見た青いイメージが今もなお目蓋の奥に焼きついているということくらい。俺だけじゃない、街の誰もが見たというあのイメージは、一体何処から来たのだろうか。
 懐かしく温かく、それでいて、少しだけ寂しい。そんな、イメージ。
 そんなことを考えているうちに、トワは目蓋の奥の青とよく似た色をした目を受像機から俺の背後にある時計に移していた。
 俺もつられてそちらを見ると、時計は現地時間で午後三時を指そうとしていた。
「もうすぐかな」
 トワは言った。一体何が「もうすぐ」だというのか。この子はたまに唐突によくわからない事を言い出す癖があるように思えた。それは、ある意味では最後まで実体がよくわからなかったラビットによく似ているのかもしれないが。
「何がだ?」
 俺が問うと、トワはにっこりと笑った。喜びを満面に表した、屈託のない笑顔だった。
「すぐにわかるよ」
 そういうものなのか。
 俺は、ひとまずそこで納得することにした。実際には何もわかっていなかったけれど、もうすぐわかるのだったら、それでいい。
 トワは笑顔を浮かべて、その綺麗な青い瞳で店の入り口をじっと見つめている。
 扉からやってくる何かを、待っているようにも見えた。
 何を、待っている?
 ……ああ、もしかして。
 俺の中に一つの結論が生まれて、その瞬間に扉が開いた。ゆっくりと。扉に取り付けたカウベルが、からんと小さく鳴った。
 そこに立っていたのは影だった。光を背に受けて、ひょろりと長く立ち尽くす影。だが、そのシルエットを見るだけで、トワには……そして、何故か俺にも、そこに立っているのが誰なのかすぐにわかった。
 一歩。
 店の中に足を踏み入れたその影は白い髪をしていて、黒い服に覆われていない部分は全て白い。多分その分厚いサングラスの下の目は相変わらず赤いのだろう。
 いくつか変わったところはあるものの、ぱっと見では最後に見た一年ちょっと前のあの日とそう変わらない、天文台の兎の姿がそこにあった。
 天文台の兎……ラビットは、そこにいたトワの姿を認めて、笑った。
 そういえば、この男が笑ったのを見たのは初めてだと思う。
 人形のように整った顔を微かに歪めたその笑顔は、綺麗な顔に似合わぬ左右の釣り合いの取れていない不恰好な笑い方で、だからこそ妙に、人間らしくて好感が持てた。
「トワ」
 静かな店の中に、ラビットの声が響く。
 トワが、笑顔で駆け寄って、背の高いラビットに飛びつくようにして、その身体を力強く抱きしめる。
 ラビットも、俺の目を気にしているのか、多少はにかむように微笑みながらもゆっくりとトワを抱きとめた。
 トワは、何処までも澄み渡った青い瞳でラビットを見上げて――――

「おかえりなさい、ラビット!」



「……ただいま」