Planet-BLUE

011 鉱石植物園

「いらっしゃいませ。お客様など何年振りでしょうか」
 荒野の真ん中に、ぽつんと建つ奇妙な形のドームがあった。
 受付で、灰色の髪をした年齢のよくわからない女が言う。ラビットはサングラスを少しだけ下げて、赤い目で女の髪の色と同じ、灰色のドームを見る。
「ここは、一体何だ? 町も、何もないところだが」
「ここも昔は町でしたよ。今はもう、この植物園しか残っていませんが」
 ラビットはそれを聞いて訝しげな表情をする。
「植物園? いくら育成環境を調整できたとしても、ここで正常に植物が育つのか?」
 それを聞いて、女は意味ありげに微笑んだ。
「それは見ればわかりますよ。案内いたします」
 女はカウンターから立ち上がると、少しぎこちない動きでラビットの前に立って歩き始める。後ろでラビットのコートの裾を握っていたトワが、その手を離して女の後を小走りに追いかけ始める。ラビットは一瞬遅れてその後を歩き始めた。
 ドームの扉は錆びて壊れかけていたが、鍵だけは妙に新しかった。女はやはりどこかおぼつかない手つきで銀色の鍵を開ける。
 ぎぎぎ、という耳障りな音を立てて扉が開く。そして、ドームの中から強い光が漏れ、ラビットは思わずサングラスの上から目を覆った。
「うわあ」
 トワの歓声が聞こえた。ラビットはよく見えない目で白い光に満ちたドームの中を覗く。そして、その目を大きく見開いた。
 ドームの中は無数の、見たこともないような植物で満ち溢れていた。美しい紅い花をつけた植物、奇妙な葉をした植物、美味しそうな実をつけた植物……
 だが、よくよく見ると、それらは全て作り物だった。しかも、ただの作り物ではない。
 全てが、金属や宝石といった鉱物で作られていたのである。
「ようこそ、『鉱石植物園』へ」
 女は改めて、ラビットとトワに深々と一礼した。
 
 
 女の説明はこうだった。
 今から百年ほど前、物好きな男がこの近くの町にいた。彼は緑や花をこよなく愛し、この地球にもそれを再現しようとしたが、この劣悪な環境で植物が上手く育つはずもなく、彼は落胆した。
 だが、彼は諦めなかった。自分の財力の全てをつぎ込んで、せめてレプリカを残したいと考えた彼は、長い時をかけてこの鉱石でできた植物園を完成させたのだった。それが五十年前のことである。だが、それからすぐに男は亡くなってしまった。
「やはり、作り物は作り物に過ぎないのだな」
 そう、言い残して。
 そして、女はこの植物園の管理を全て一人でやってきたのだという。
「確かに作り物に過ぎません。けれども、本物にはない質感や輝きもあります。それに……この『植物』は本物の植物と比べれば永久にも近い時間、その姿をとどめています」
 女は言った。ラビットは少しばかり迷いの表情を浮かべていたが、やがてゆっくりと言った。
「貴女も、永久にそのままか」
 女の表情は変わらなかった。笑みを浮かべたまま言う。
「ええ。私も五十年間このままです。そして、多分これからもそうでしょう。私も、作り物ですから」
 女は自分の着ている服の袖をまくり、腕に刻まれた数字とアルファベットが組み合わさった文字列を見せた。それは、人に作られた存在、機械人形に刻まれる特有の記号。
「お姉さんは、ここが好きなの?」
 トワは作り物の女を見上げて言った。女はずっと浮かべていた微笑をいっそう深くした。
「ええ、大好きです」
 
 
 それから、しばらく作り物の女は二人を案内した。
 熱帯の植物を模った派手な色の宝石たち、静かな森を思わせる翡翠の木々、葉についている虫までも、よくできた小さな機械だった。
 トワの目の前を、綺麗な薄片の羽根を持つ蝶が飛び回る。トワは嬉しそうにくすくすと声を立てて笑う。ラビットは、そんなトワを見るのは初めてだと気付く。ずっと気を張り詰めたまま旅を続けていたのだ。たまには、こういうのも悪くない。そう思うと、ラビットもほんの少しだが、口端を歪めて笑みに似た表情を作る。
 ふと、ラビットが作り物の女に目を向けると、女もとても嬉しそうな表情をしていた。そこで、ラビットはずっと考えていたことを口にした。
「そういえば、貴女は客がここに来るのは何年ぶりと言っていたな」
「ええ。こんな辺鄙なところにあるものですから、お客様はほとんど来ませんね」
「最後に客が来たのは一体いつのことなんだ?」
 女は少し考え込んで、それから言う。
「ええ、大体五年と十ヶ月前といったところでしょうか。やはりそのお客様も二人でした。一人は輝いた目をした男の人。そして、もう一人はとても綺麗な声を持った女性でした。今でもよく覚えていますよ」
「……そうか」
 ラビットはその言葉を聞いて、納得したように頷いた。どうかしたのですか、という女の問いには、「なんでもない」と短く答える。しばらく、二人は何も喋らなかった。ただトワの感嘆の声と、常に流れる風の音が聞こえる。微かに鳥の鳴き声も聞こえる気がする。
 しばらくの沈黙の後、作り物の女が口を開いた。
「おそらく、貴方方が最後のお客様になると思いますね」
「そうだな」
 ラビットも頷いた。女は微笑み、そして言った。
「お客様にこのようなことを言うのは何ですが……一つ、頼みを聞いていただきたいのです」
 それを聞いて、ラビットは少しだけ首をかしげた。
「別に構わんが……何だ?」
 作り物の女は微笑を崩さず、言った。
「私を、壊していただきたいのです」
 ラビットは目をルビーで作られた真紅の花に向けながらも、明らかに口端を歪めた。流石にその歪みは笑みを意味してはいなかった。
「何で?」
 白銀の幹に見とれていたトワはその言葉を聞いて目を丸くした。だが、女はその問いには答えず、針水晶で作られた透明な葉にそっと触れた。ラビットは一瞬躊躇したが、トワに向かって言う。
「トワ、一人で見て回っていてくれないか?」
「でも、お姉さんが」
「……二人で、話をさせて欲しい。わかるな?」
 その声は優しかったが、有無を言わせぬ口調だった。トワは納得いかないといった表情を浮かべたが、しかしラビットの言葉には素直に従い、奥に向かって歩いていく。
 この空間に、二人だけになった。
 しばしの沈黙の後、作り物の女はぽつり、ぽつりと喋り始めた。
「私が、この植物園を守護するために造られた機械人形だということは話しましたね?」
「ああ」
「永久に、この植物たちはあり続けるということも言いましたね? それに、私もこの植物たちと同じということも」
「ああ」
 女は、ゆっくりとラビットに背を向け、足元に落ちている黄金色の葉を拾った。それは本物の黄金だった。
「しかし、私は『永久』というものが何なのか、わからなくなってしまいました。たかが五十年の間ですが、何も変わらないということほど、悲しいことはありません。辛いことはありません」
 永久に変わらない、作り物の植物。それが機械的に生み出された風に揺れ、きぃんと音を立てる。金属の触れ合う、音だ。
「あと一年もしないうちにこの星は滅びますが、もう耐えられなくなってしまったのです。確かにこの場所は美しく、今でも愛しています。しかし、この造られた永久の世界にいるのに、疲れてしまったのです」
 言い終えると、女はラビットを振り返った。
「だから、お願いします」
 作り物の女は微笑を浮かべながら言った。その表情はさっきと全く同じ、おそらく普段から浮かべているだろう表情と同じものだった。ラビットはしばらく顔を伏せ、無言でその場に立ち尽くした。沈黙。聞こえるのは歩き回っているらしいトワの足音、あらかじめ録音されているのだろう鳥の声、そして空調で作り出された風の音。それだけに思えた。
「それで、いいのか」
「ええ、前から思っていたことですから」
 笑顔のまま、作り物の女は言う。しばらくそこに立ち尽くしていたラビットは顔を上げ、ゆっくりと、白い、細い指を女に向かって伸ばした。その手を女の首の後ろに回して、そこだけ妙に堅いカバーを取り外す。ラビットはサングラスの下の目を閉じ、自分の手元は見ていなかった。だが正確にラビットの手は動き、女の体から急に力が抜ける。
「……あり、が……と」
 女の声が、聞こえたような気がした。
 そのまま、作り物の女の重心はラビットの腕の中に落ちた。それきり、身体はぴくりとも動かなくなった。
 ラビットは手にしていたカバーを色とりどりのコードが露出していた首の後ろに再び嵌め直し、身体をゆっくりと自分の足元に横たえる。
 その時、トワが戻ってきた。トワは動かなくなった作り物の女を見るなり小さく悲鳴を上げ、こちらに駆け寄った。そして屈みこんで動かない女に触れる。ひどく寂しげな表情で。
「ラビット、」
 トワは非難の目をラビットに向けたが、ラビットはどこまでも無表情に、自分の足元に倒れこんだ作り物の女を見た。
「大丈夫だ。壊してはいない……ただ、眠っただけだ」
 ラビットはトワに目をやる。それを聞いて、トワは首をかしげた。
「眠った?」
「あと十ヶ月の間、ここで眠っていてもらう。この星が壊れる瞬間を見ないように。この人が愛し続けた場所が壊れる瞬間を見ないように。だが……」
 ラビットは再び女に目を戻す。女は安らかな表情だった。それを見てラビットは一瞬言葉につまり、そして女に語りかけるように言った。
「もしも……もしもこの星が救われるのであれば、私はもう一度ここに来よう。貴女と話をしたい。だから、その時が来るまで眠っていて欲しい」
 その可能性は皆無なのにな、とラビットは思った。馬鹿なことを言っていることもわかっていた。だが、おそらく初めて、ラビットはこの星が滅ぶという運命を少しだけ呪った。運命として、受け入れていたはずの事を呪った。
 それが、変化の始まりだった。
 
 
 客人たちが去った植物園は、いつもどおりの録音された鳥のさえずりと作り物の虫の気配に満ちていた。
 そして、鉱石の植物に囲まれた作り物の女は、胸の上で手を組んだ状態で眠りについている。
 どこまでも安らかな、女神のような表情で。