見慣れない町並み、通りを行き交う車と知らない人々。
特異点と呼ばれる待盾の風景は、今まで仕事で訪れた他の都市と比べても、特に変わったところは見受けられない。否、実際には大きく違うのかもしれないが、最低でも彼の目にはそうは映らなかった。
だが、その時。
知らないはずの人の流れの中に、知っている顔を見た気がして、ほとんど反射的に足を止めていた。横を歩いていた相棒が怪訝そうな視線を向けてくるのを頭の片隅で理解しながらも、意識のほとんどは自然とそちらに向けられてしまう。
車道を挟んだ向こう側。その人物は、信号待ちのためだろう、横断歩道の前でぴたりと足を止める。
見間違いようもない。自分はあの顔を知っている。知らない、などと言えるわけがない。
「どうして」
思わず唇を動かしたその時、不意に、立ち止まっていたその人物がこちらを見た。黒目がちの大きな目を瞬かせ、そして――
「……っ!」
布団を跳ね除けて起き上がる。起き上がる、という動作を認識したことで、それが寝ている間に見た夢であったことに気づく。正確には、過去に見た光景が、夢として目の前に現れたというべきか。
徐々に覚醒していく意識が、今現在の己の状況を把握する。
ここは、待盾の駅の近くにあるビジネスホテルの一室。上を適当に言いくるめてもぎ取った休暇の間、この町に滞在するために取った部屋だ。
時計が手元にないからわからないが、カーテン越しに光が差し込んできていないところを見るに、まだまだ夜明けには遠そうだ。
枕元に置いておいたペットボトルの蓋を開けて、中に入っている水を飲み干す。寝ている間に嫌な汗をかき、体が水分を欲するのは経験からわかりきったことであった。そのくらい、眠っている間に悪夢を見ることが多いということでもある。
いつから、こうなってしまったのだろう……そう己に問いかけようとして、それが愚問であることに気づいて苦笑する。
わかりきったことだ。望まぬままにこの世界に足を踏み入れてしまったあの日から、ずっと、ずっと、自分の意識は悪夢の中にある。
この悪夢が終わる日などあるのだろうか。生きている限り、この泥沼のような世界に存在する限り、悪夢を見続けるのだろうか。そんな絶望的な思いを頭の奥底に閉じ込めて、鍵をかける。
余計なことは考えるべきではない、今はただ、あの人物のことを「知りたい」と望む。
――長谷川梢。
その名前を、唇だけで呟いて。
鈍く響く胸の痛みを抱えたまま、再び布団を被った。
せめて、次の目覚めまでは、夢を見ないことを願いながら。
迷走探偵秋谷静