果たして、上手く行くのかどうかはわからない。
だが、やけに自信満々な博士の言葉を信じることが、ケーリにできる唯一のことだった。
借りてきた軽トラックに機材を詰む作業は、小さなケーリにはなかなか骨が折れる作業だった。もちろん博士もケーリの限界は理解しているようで、大きなものはミドリノが来てから運び出すと言っていた。
軽めの液晶ディスプレイを運び出すために外に出ると、春の香りを乗せた風が鼻を掠めた。春の風はとてもいい香りだと思う。博士の家は普段から締め切っているためもあり、埃っぽい匂いしかしないから尚更だ。
博士の指示の元、トラックに無造作にディスプレイを放り込んだケーリは、背後から声をかけられてそちらを向いた。
「よーう、ケーリ」
「ミドリノさん、遅い」
ケーリが唇を尖らせると、ミドリノは「悪い悪い」と茶色く染めた頭を掻きながら、にやりと笑って見せる。
「今日の祭に、ゲストを呼んでたんだ」
「どういうことですか?」
「何、すぐにわかるさ。博士、それ運びますよ」
ミドリノはいつになく軽い足取りで、博士の方に歩いていく。博士は白衣の代わりに動きやすそうな作業着になって、家の屋根についているものと似た形をした、重そうなアンテナを一人で運んでいたが、ミドリノの姿を見た瞬間に「よろしく」と言ってあっさりと押し付けた。
「重っ、これめっちゃ重っ!」
今、ミドリノが悲鳴を上げているそれを、博士は片手で持っていたけれども。
ケーリは次に運ぶものを取りに行くため、研究室に戻る。立ち上げっぱなしのディスプレイが、文字を並べている。
『ケーリ。そこにいますか』
『いるよ。どうしたの』
『本当に、よろしいのですか。これは、私のわがままです』
『気にしないで。僕も、わがままだから』
ケーリは、言葉を打ち込みながら、ほんの少しだけ笑った。
どうしても笑うのが苦手で、大人たちからも「愛想がない」とよく言われるけれど、今だけは心の底から笑うことができる。
その笑顔を、月が見ていてくれる。博士と一緒に見上げてきた空から、三十八万四千四百キロメートルの距離を超えて届いたメッセージ。博士とミドリノと自分以外には誰も知らないメッセージを受け取って、秘密の作戦が始まるのだ。わくわくしない方が、嘘だ。
本当は、月とケーリの「わがまま」を聞いて博士はちょっとばかり渋い顔をしていた。ミドリノだって「面倒な」と呆れていた。それでも、ケーリは決して譲らなかった。一度決めてしまえば絶対に折れないケーリに、難色を示していた博士とミドリノも最後には白旗をあげて、今に至る。
だが、自分は間違ってはいないとケーリは確信していた。
これを逃したら、月は地球に言葉を届けられなくなってしまう。いくら新たな『ディアナ』が開発されても、新しくやってくる飛行士が、前任者のヒサと同じように月の声に気づけるかはわからない。
気づいてもらえるまで、月はきっと一人きりのまま。
小さなわがまま……ささやかな願いが、いつ叶うかはわからないのだ。
「ほら、ミドリノくんも、ケーリくんも、急いで!」
博士のいつになく鋭い声が飛ぶ。最後の最後まで難色を示した割には、一度やると決めたことに対して迷いがない。博士のそういうところが、ケーリの憧れでもあった。
「時間までに、指定座標にセットしなきゃいけないんだから!」
「はーいはいっと」
気の抜けたミドリノの声が、遠くから聞こえる。「はいは一回!」なんて、まるで小さな子を叱る母親のような言い方でミドリノを叱る博士の声が聞こえて、ケーリはくすっと笑った。
「今行きます!」
外にいる博士に届くように声を返し、最後に一言だけ入力し、ディスプレイの電源を落とした。
最後に月に向かって飛ばしたメッセージは、こう。
『次は、桜の木の下で』
ロンリームーン・ロンリーガール