ケーリが見る限り、『博士』の行動は狂気の沙汰だった。
科学と非科学の線引きが曖昧なのはケーリも幼いながらに理解しているつもりだが、例えば巨大なパラボラアンテナを女の手一つで屋根に無理やり取り付け、「これで、宇宙人からのメッセージを受け取るの」なんて言い出す辺り、小学二年生の頭でも「おかしい」と思うのは当然だった。
ご近所からもあからさまに変人扱いされている博士は、周囲の噂に構わずマイペースに自らの『研究』を続けている。
そして、ケーリは今日もそんな博士の家の前に立っていた。
見上げれば、巨大なパラボラアンテナは屋根に咲く季節はずれの朝顔のごとく、自らの存在をこれでもかとばかりに主張していた。
ケーリは溜息一つ、自転車を車庫の奥に停めて、チャイムも鳴らさずに家に上がりこむ。もちろん、玄関に靴を揃えるのは忘れない。博士は筋金入りの変わり者だが、礼儀には意外とうるさい。
隅に埃が積もった廊下を抜け、旧時代のブラウン管ディスプレイを並べた薄暗い『研究室』に足を踏み入れた途端、博士は目に被せる形の新型バイザーディスプレイの下から、鋭い視線をケーリに投げかけた。
「静かに」
挨拶をしようと口を開きかけていたケーリは唇を結び、足音も殺して博士の横に立った。
博士は、「博士だから」という理由で白衣を羽織り、「邪魔だから」という理由で髪の毛を短く刈っていた。その鋭い眼光や筋肉質な体も相まって、出会ってから一ヶ月くらい、ケーリは「博士が男の人なのか否か」という切実な問題に悩まされた。
博士の頭越しにブラウン管の画面を覗き込むと、アルファベットと数字、そして記号で構成されたケーリには理解できない文字列が並んでいた。博士はケーリの方には見向きもせず、口元だけで笑んで言う。
「アンテナが、何かを拾ったのよ」
「この前みたいなラジオの電波ではないのですか」
「うるさい」
事実を言っただけなのだが、ばっさりと切り捨てられたケーリは表情こそ変えないものの、唇を尖らせる。
「あれとは周波数が違いすぎる。ノイズが多いからすぐには読みとれないけど、何かメッセージを発信しているはずよ」
ケーリの父と同い年の博士は、子供のように目をキラキラ輝かせて画面とバイザーに映っている文字列の解析を始める。これではケーリにできることはない。側にあった椅子を、床に敷き詰められたコードに引っ掛けないよう引き寄せて座る。
天井に張られているのは、博士が集めてくる無数の天体写真に月面写真、建設途中の月基地『ディアナ』のポスター。
――『ディアナ』の事故から、もう一年だ。
ケーリは何気なく、そんなことを考える。
月基地『ディアナ』が原因不明の事故で崩壊したというニュースは、偶然ここのテレビで見たのだった。博士が、まるで自分のことのように悲しげな顔をしていたことも、はっきりと思い出せる。
この事故で、『ディアナ』に滞在していた飛行士は全員、帰らぬ人となった。
事故の原因の解明が進められると同時に、現在は『ディアナ』の建設も一時停止状態だ。安全性と危険性の双方が明らかになっていないというのが原因だ、と博士が説明してくれた。
博士は、父の友人だ。父と一緒に大学で宇宙の勉強をしていて、そのまま博士になった人だという。ただ、今は独りきりで、どこかの研究機関に所属することなく宇宙人を探して暮らしている。
宇宙人の存在を否定してはいないものの、こんなもので見つかるとも思えないケーリだが、それでもどこかでは宇宙人からのメッセージを期待している。学校のある日は学校が終わったらすぐ、休みの日は朝から、博士の家に駆け込むのだ。
ケーリは博士が見ていないもう一つのディスプレイに目をやる。そこには、アンテナが受け止めている波が緑色のラインで描かれては消えていく。
パラボラアンテナは、今日も正体不明の波を拾い続けている。
それは、いつもマイナーなラジオの電波だったり、単なる磁場の狂いだったりするのだけれども、博士は今日も諦めずに解析を続ける。ケーリも、短い足をぶらつかせながら、飽きずに博士の手元を覗き込むのだ。
そうやって、今日も明日も、変わらない日々が続くと思っていたのだが――
ロンリームーン・ロンリーガール