鈴蘭が、きちんと布団を被っているのを確認して、ランプの明かりを落とす。すぐに鈴蘭が眠れるように。
鈴蘭から、僕の顔が見えないように。
「話を始める前に、いくつか」
「うん」
「話の途中でも、眠くなれば眠ってくれ。僕の話より、君の体調の方がよっぽど大事だ。それと、僕は君と違って、話すのが得意じゃない。もし、わからないことがあれば、話の途中でも聞いてくれて構わない」
「わかった」
「それと」
きっと、これだけは、言っておかなければならない。
「もし、僕の話で君が気分を害したならば、すぐに言ってくれ」
「……え?」
僕にとって当たり前のことも、鈴蘭にとっては当たり前じゃない。逆もしかり。それは、この旅で何よりも僕が感じていることだ。
そして、僕のあり方が、一般的な感覚では受け入れがたいものであるということも、今までの経験で、何とはなしにわかる。
だから、最初に言っておく。
「僕は塔の兵隊で、人殺しだ。その僕の話だから、どれも、決して愉快じゃない」
聞かないという選択肢もある、という意味で言ったつもりだったのだけど。鈴蘭は、暗闇の中で目を瞬いて、真っ直ぐに僕を見ていた。見えていない、はずなのに。
「ホリィが、すごく優秀な兵隊さんなのは、ジェイからも聞いたよ。優秀だってことは、たくさん、誰よりもたくさん人を殺したってことなんだ、っていうのも」
「そうか」
そこまで、聞いていたのか。それで、僕に対して最初から変わらない態度で接していた事実には、少し驚かされる。
「だから、一度聞いてみたかったんだ。ホリィは、人を殺したくて、兵隊のお仕事をしているの?」
その質問は、想像していなかった。これも、誰からも聞かれたことのないことだったから。
けれど、質問に答えることは容易だった。
「殺したい、わけじゃない」
正直に言えば、殺すという行為に何も感じないだけ、だけれど。何も感じていない以上、殺人嗜好はないのだと思っている。
「でも僕には、殺したり、壊したりするのに適した素質があって、向いている仕事をするべきだから、今の仕事をしている」
「辛い、って思ったことはないの?」
「辛くはない。この仕事を選んだのは、僕だから」
これは、何度も繰り返した言葉だ。ジェイにも、同僚にも、片割れにも、父さんにも。それが僕の選択したあり方であって、僕に望まれたあり方でもある。他の誰が、理解しなかったとしても。
鈴蘭は、「そっか」と頷いて、それ以上の詮索をしてこなかった。代わりに、もう一つの問いを投げかけてくる。
「今から聞かせてくれるのは、ホリィのお仕事のお話なんだ」
「それ以外に、僕に話せる話題はないから。やっぱり、そういう話は嫌かな」
「ううん、聞かせて」
一拍もおかずに、鈴蘭は答えた。
「ホリィのこと、もっと、知りたいの」
知りたい、なんて。
知って、どうするのだろう。どうせ、僕との関係なんて、この旅の間だけのものだ。知ったところで、鈴蘭に利があるとも思えない。
でも、僕が何と言おうと、鈴蘭は己の発言を翻しはしないだろう。それも、この旅の中で僕が思い知ったことの一つだ。
今の僕はただ、鈴蘭の望むままに話せばいい。それだけで、いいのだ。
「君も知っている通り、僕は統治機関《鳥の塔》の兵隊だ。所属は第六遊撃部隊、部隊内の役割は歩兵。主な仕事は《鳥の塔》と首都、中央隔壁の平和を乱す者の、制圧ないし討伐」
「それって、どういう人のこと?」
「相手は人だけじゃない。隔壁に接近する変異生物なんかも、討伐の対象。でも、一番多いのは、塔に対する反乱分子」
はんらんぶんし、と。鈴蘭の薄い色の唇が、動いたのがわかった。
「 《鳥の塔》のやり方が気に入らない、って人たちのことだよね」
「そう。とはいえ、彼らが何を考えているのかは、僕の知ったことじゃない。聞いたところで理解できないから。僕はただ、上層部の指示に従って、対象を制圧するという責務を果たすだけ」
「話し合いは……できないんだ」
「もし、話し合いが可能であれば、僕じゃなくて他の部隊が出て行く。僕らが出て行くのは、話し合いが通用しないと上が判断した相手だけ」
――多分。胸の中で、そう呟く。
正直に言えば、上層部が示す「基準」については思うところがないわけでもない。ただ、それを意識するあまりに、任務中の判断能力が鈍ることだけは避けなければならないから、意図的に頭から追い出してきた。
鈴蘭は、そんな僕の言葉を肯定も否定もせず、ただ、黙って話の続きを待っていた。
「とにかく、僕の仕事は、ほとんどがただ殺すだけだから、ほとんど記憶にも残らない。でも、いくつか記憶に残った任務もある」
僕は、記憶力に難がある。検査の結果だけ見れば、知能は片割れに劣っているわけでもない、らしい。でも、その片割れに言わせてみると、僕は割り切りすぎなのだという。自分に必要なものと、それ以外の境界線が、明確すぎるのだと。
つまり、任務に必要な情報以外のことが、全く頭に入ってこないのだ。入ったとしても一時的なもので、必要ないと判断した時点できれいに失われてしまう、そういう記憶。
そんな僕にも、僕自身にとっては無意味なのに、どうしても忘れられないことが、ないわけじゃない。
本当に――無意味なのに。
でも、その「無意味なこと」が、何よりも鈴蘭の興味を引くのだと思う。見開いた目を輝かせて、問うてきた。
「例えば?」
「例えば、偽物の《歌姫》とか」
「偽物の……《歌姫》? 《歌姫》って、わたしみたいな、《種子》を持ったひとのこと、でいいんだよね」
《歌姫》という言葉には、鈴蘭が首を傾げるとおり、二通りの意味がある。一つ目の意味は、《鳥の塔》が大々的に募集する、塔のキャンペーン・ガール。毎日、中央隔壁の公衆通信網に発信される番組に現れ、希望の歌を歌う偶像。
そして、もう一つの意味は、鈴蘭のような奇跡の力を持つ子供――《種子》のうち、塔の上層部が求めるような、特に強大な力を持つ者のこと。だからこそ、鈴蘭のような《種子》は《歌姫》候補とも呼ばれるのだ。
鈴蘭は、僕に後者なのかと問うた。だから、僕は、肯定の意味を込めて、鈴蘭にもわかるように頷いた。
「その《歌姫》が、本当に《種子》を持たない偽物の《歌姫》だったのかは知らない。ただ、その偽物の《歌姫》がもたらす奇跡を信じた狂信者たちは、奇跡の力を一手に管理している《鳥の塔》にとって危険な存在だった。だから、僕らが派遣された」
そこまでは、いつも通りの任務だった。どんなに強い武器を持っていても、統制の取れていない兵隊は、僕らの敵じゃない。その日も、ジェイや仲間の援護を受けて、その組織の中核が根城にしていた建物を十五分で制圧して。
そして、僕は、彼女と出会った。
崩れかけの窓に寄りかかるようにして座る、ジェイと同い年くらいの、女の人。
「その人が、《歌姫》?」
「そう。綺麗なひとだった。つくりものみたいな綺麗さじゃなくて……なんだろうな。彼女を見た瞬間に、雛菊のような人だなって思った。花の名前しか知らなくて、どんな形で咲くかも知らなかったのに」
「知らないのに?」
「知らないのに。それが何より不思議だった。だから、今もはっきりと覚えてる」
形も知らない花の名前に結びついて、いつまでも、忘れられないのだ。柔らかく波打つ髪も、薄汚れたドレスの袖から伸びた細い腕も、涙に濡れて煌く瞳も、それから。
「その人が歌っていた、歌も」
血まみれの僕を見ても、彼女は、表情一つ変えることなく歌を口ずさんでいた。いや、実際には僕を見ていなかったのかもしれない。僕に顔を向けてはいても、遥かに遠くを見ているようにも、見えたから。
「色んなことがありすぎて、混乱してたのかな」
「さあ。もしかしたら、僕が来る前から、とっくに壊れていたのかもしれない」
「……心が?」
「想像に過ぎないけど」
結局、僕は、僕の仕事をしただけだから、何が本当かを確かめることはできない。
でも、そういう例は、知らないわけじゃない。
「魔法使いや超能力者を、薬で洗脳して『使いやすく』することは、珍しくないみたいだから」
僕が言ったところで、鈴蘭が強く布団を握りしめて、目元まで押し上げていることに気づいた。
「……ああ」
当然だ。鈴蘭も、奇跡の力を持つ《種子》である以上、いつその立場になっておかしくない。いくら想像力に乏しくとも、そこまでは考えを巡らせるべきだった。
「ごめん、僕が無神経だった」
ううん、と。くぐもった鈴蘭の声が、響く。
「ホリィは悪くないよ。少し、怖くなっちゃっただけだから、続き、聞かせてほしいな」
でも、壊れちゃうのは嫌だな、と。鈴蘭はちいさな声で呟いた。
僕に聞こえないように呟いたのかもしれないけど、僕は、人より耳がよい。だから、その掠れた声も、はっきりと聞き取ることができた。
それでも、聞こえなかったふりをして、話を続ける。
「……歌。そう、歌の話だったな。彼女が歌っていたのは、とても、明るい歌だった。でも、僕はその歌を知らなかったから、ただ、場違いだなって思って」
それで、彼女の白いうなじに、ナイフを振り下ろしたのだった。
「おしまい?」
「そう、終わり」
唐突、だっただろうか。鈴蘭は、再び目だけを布団から出して、僕のいる場所を見つめている。でも、今度こそ、鈴蘭には僕が見えていなかったのだと思う。少しだけ、視線がずれていたから。
「その歌、覚えてる?」
「旋律だけなら。歌詞は、聞き取れなかったから」
「歌ってもらっても、いいかな」
一瞬、戸惑った。歌を歌ったことなんて、一度もなかったから。
それこそ、歌を歌うのは片割れの仕事だと思う。……片割れの歌は、それはもう、酷いものなんだけど。その片割れと遺伝情報は同じ僕だ、そう上手いとも思えない。
なのに、鈴蘭は絶対的な期待を込めて僕を見上げている。この顔を見るに、僕が歌わない限り、大人しく寝てくれそうにない。
この旅の間、僕に与えられた役目は、《種子》の望みは可能な限り叶えること。そう、自分に言い聞かせて、記憶を頼りに口を開く。
記憶の音に乗せるように、一音一音、確かめながら声を出す。歌い方なんて知らない僕のそれが、どれだけ「歌」になっていたかなんて、わからない。
けれど、一通り歌い終えたところで、鈴蘭が布団から手を出して、小さく叩いた。
「ホリィ、歌も上手なんだ」
「そう、かな」
うん、と嬉しそうに頷いた鈴蘭は、闇に向かって囁いた。
「あと、それ……旧い、賛美歌だね」
「賛美歌?」
「神様をたたえる歌。クリスマスの時なんかに、よく歌う歌だよ。ホリィは知らない?」
知らない、と首を横に振る。旋律だけなら他の場所でも聞いたかもしれないけど、とにかく記憶にはない。
そもそも、クリスマス、って何だっただろう。確か、片割れ曰く、旧時代の特別な日だった気がするけど、いつ、その話を聞いたのかも思い出せない。
相変わらずいい加減な記憶だと自分で自分に呆れるけど、鈴蘭は、そんな僕を笑いもせずに、「こんな歌だよ」と、今度は歌詞を交えて、小さな声で歌い始めた。
透き通った声で紡がれるのは、主……きっと「神」と呼ぶべき存在の到来を喜ぶ歌。
そんな鈴蘭の歌に、記憶の声が重なる。窓辺で、神をたたえる歌を歌っていた一人の女。奇跡を呼ぶ《歌姫》と呼ばれて、人に祭り上げられて、その結果僕に殺された、一人の女。
彼女の、僕を映さなかった瞳には、彼女の神が見えていたのだろうか。
その答えはわからない。わかる必要もない。
だから、この昔話は、鈴蘭の歌が終わったその時に、終わる。
アイレクスの絵空事