遠雷と白昼夢

シニガミと白い花/07:花に笑む

 ああ……
 結局、傘、借りちまったな。
 返さないと。
 シニガミさんの住所ってどこだろう? やっぱり黄泉の国かなあ。
 まあいいや、今は、寝よう。ちょっと、張り切りすぎたしな。
 おやすみ、シニガミさん。
 おやすみ、サツキ。
 おやすみ……
 
 
 *  *  *
 
 
「トモヤくん、お客さんだよ」
「俺に?」
 深沢智哉は思わず秋谷静に聞き返していた。
 それは、『ホワイトフェザー』の死から一ヶ月が過ぎた頃。初めは落ち込んでいた深沢だったが、一ヶ月くらいあれば、何とか割り切ることもできた。
 秋谷は何も深沢に聞かなかった。もちろん、『ホワイトフェザー』がどうなったのかは知っているけれど、それ以上は、何も。
 だから、深沢も極力考えないようにしていた。考えすぎれば、やはり哀しくなってしまうから。自分のことでもないのに思い入れすぎだとは思うが。
 ともあれ、深沢は秋谷の言葉を疑った。
「俺の知り合いですか?」
 元より、深沢に友人は少ない。何しろ、普段はほとんど探偵事務所の外には出ない生活を送っているのだから。出たとしても買い物程度、ろくに人と会話はしない。そんな生活で友人が増えるはずはない。
「さあ? まあ、事務所に待たせてあるから早く行ってあげて」
「わかりました」
 深沢は重い腰を上げた。そして自分の格好があまりに寝起き丸出しであることに気づき、慌てて軽く髪に手櫛を通す。ただ、それも大して功を奏さないと気づくと、諦めて上着を羽織って階下の事務所に下りた。
 事務所のソファには、一人の女が座っていた。
 灰色のスーツを身に纏った、女。
「あ、フカザワさん、ですね」
「はい。えーっと」
 深沢が何とか記憶を探ろうとしていると、女の方が立ち上がった。立ち上がっても深沢と頭二つ分くらい違う、小柄な女だ。
「ヤマザキです。先日、ここの前でお会いしましたよね」
「ああ……」
 あの日『ホワイトフェザー』を追っていた『異能』を監視する組織の二人組、その片割れだ。組織を嫌う深沢は微かに表情を翳らせながらも言った。
「何故組織が俺に?」
「いえ、この傘、あなたのだと思いまして、お返しに来たのです」
 ヤマザキと名乗った女は黒い傘を差し出した。丁寧に畳まれたそれは、確かに深沢があの日持っていた傘であった。
「ああ、わざわざすみません、ありがとうございます」
 深沢は慌てて礼をしてそれを受け取る。それを見て、ヤマザキはくすくすと笑った。
「意外と、普通の方なのですね」
「え?」
「 『ブラックソーン』の噂は聞いていたので、恐ろしい人なのかと思っていました」
 その言葉には、何ら邪気はない。だからこそ、余計に深沢は重たいものを飲み込んだような感覚になる。深沢の暗い表情に気づいたのだろう、ヤマザキは慌てて「ごめんなさい、無神経でしたね」と謝罪する。
 深沢は微かに笑った。とても、鈍い笑い方ではあったけれど。
「いえ……よく言われますよ。所詮、俺は人殺しの『異能』ですから」
 そう、深沢もまた『異能』。
 暗号名は『ブラックソーン』……黒き棘、茨の意。能力は体内での発電、及び暴漢を倒したときのような、任意の放電能力。圧倒的な攻撃能力、という点では『ホワイトフェザー』と同等以上の危険度で認定されていると秋谷から聞いている。
 ただし、その能力を望んで手に入れたものではない以上、深沢はただ一度を除き、自衛や他者を守る以上の目的でその力を使ったことはなかった。故に、現在も組織に目をつけられてはいるものの、こうしてある程度自由に生活することが可能なのだが。
 ヤマザキはしばし気まずそうに目を伏せていたが、やがて意を決したように目を上げた。
「その……フカザワさんは、『彼』の最期を看取ってくださったのですね」
 唐突に放たれた言葉に深沢は眼鏡の下の目を丸くした。ヤマザキは、深沢に向けて微笑む。
 哀しげに。
「ありがとうございました。お陰で『彼』の容疑も晴れましたし、これで『彼』も安らかに眠れると思います」
 深沢は、ヤマザキの表情が組織の人間にしてはあまりに感傷的に見えて、少なからず戸惑った。深沢が今まで接した組織の人間は、『異能』を現実からかけ離れた排除すべき存在と認識し、人間として扱うことなどなかったから。
「あの、ヤマザキ、さん」
「はい」
「あなたは、『彼』の監視を担当していたのですか?」
「はい。と言っても『彼』は私のことを、自分を庇って亡くなった大切な人と重ねていたようですが。『彼』のことは、ご存知でしたか?」
 問われて、深沢は一瞬迷った後に、「はい」と答えた。ヤマザキは何故深沢が『ホワイトフェザー』について知っているのかについて追求はせず、言葉を続ける。
「 『彼』は、三年前の事故以来『異能』となりましたが、彼自身の意識は常に混濁していました。私や看護婦を大切な人の名で呼び、医者を死んだ父親だという。長い、長い夢の中に生きていたのかもしれません……最後に、大切な人を守れたと思って逝けたのは、幸せなことかもしれません」
 血の海の中で、笑顔で「ハッピーだ」と言い続けていた『ホワイトフェザー』。
 その姿を思い返しながら、深沢はぽつりと言った。
「本当に、そうなのかな」
「え?」
「 『彼』……実は気づいていたんじゃないかって思うんです。『サツキ』が、もうどこにもいないってこと」
 ヤマザキは、呆然と深沢を見上げている。深沢は、思い出すだけで苦しくなりながらも、何とか言葉を紡ぎ上げる。
「言っていたんですよ。自分に力がある理由は、『力が欲しい』と願ったからだって。それが『サツキ』を守るための力だとも。それって、つまりその時には力を持っていなかったから、守れなかったと思っているのでは?」
 ずっと、引っかかっていたのだ。
 『ホワイトフェザー』の言葉をつじつまの合わない狂人の戯言と言うのならそれまでだ。だが、深沢に向けた言葉のいくつかには、絶対的な真実が含まれていたと信じている。
 『ホワイトフェザー』は深沢を信じた。
 だから、深沢は『ホワイトフェザー』を信じるのだ。
「……それに、最後に言っていたんですよ」
「何て?」
「 『俺も、これで笑ってサツキの所に』、って」
 彼は、きっと笑いたかったのだ。サツキがもうどこにもいない事を知っていて、それでも笑うためにはどうすればいいかと考えたのだ。笑っていなければ、きっと先に逝ったサツキが悲しむと信じて。
 それならば、全てを気持ちよく終わらせればいい。
 サツキを守るために手に入れた力で、今度こそ何かを守って。
 それで、「ハッピーな気分」で終わりにしたかったのだ。
 『ブラックソーン』という全く別種の『異能』である深沢には、『ホワイトフェザー』の全てがわかるわけではない。ただ、そう考えてみると、最後に彼が必死に深沢に向かって「笑え」と言ったのもわかる。
 彼は怖かったのだ。涙を流す深沢の姿に、真実を垣間見てしまうような気がして。
「彼の言葉の全てが正しくはないけれど……彼は、決して現実から完全に逃げてるわけじゃなかったと思います。むしろ、現実に戻りたくて、それでああいうことをしたんだと、思うのです」
 ――さてと、別れも済んだし、俺も帰らなきゃ。
 彼の言葉が、頭の中に木霊する。
 『サツキ』はきっと誰でもよかったのだ。それは、自分の過去の象徴。それを今度こそ守りきり、別れを告げるため、そして現実に帰るため。『ホワイトフェザー』は力を振るい、手を伸ばしたのだ。
 だが、伸ばした手は、現実には届かずに。
 ヤマザキは呆然としたまま、言った。
「……そう、だったのですか」
「あくまで、想像に過ぎません。答えも、もうどこにもありませんが」
 深沢はヤマザキから目を逸らす。そうしなければ、また涙が出そうだったから。涙もろいのはいつものことだが、それにしても今回は酷すぎる。
 きっと。
 きっと、だが。
「フカザワさんは、優しいのですね」
 ヤマザキが、深沢の表情の意味を読み取って言う。深沢はゆっくり首を横に振って、言った。
「いいえ……ただ、彼のようになれたらいいなとは、思いました」
「え?」
「彼みたいに力を使えれば、俺もハッピーになれるのかな、って、思っちゃったんですよ。単なる、戯言です」
 深沢は『異能』だ。『ホワイトフェザー』と同じく、強大な力を持ちながら孤独で仲間など存在せず、現実から切り離された存在だ。それでも、願うことは誰とも同じ……
「なれますよ、きっと」
 ヤマザキは、言った。深沢ははっとしてヤマザキを見る。ヤマザキの表情は、穏やかな笑みだった。それは最後に『ホワイトフェザー』が浮かべた笑みと、よく似ていた。
「だって、フカザワさんと一緒にいた『彼』は、幸せそうに笑っていましたから。誰かを幸せにできる人は、きっと自分も幸せになれるって、私は思います」
 その言葉に、根拠などどこにもない。
 けれど。
 
 ――ありがとう、シニガミさん。
 
 声が。
 聞こえた、気がした。
 幸せを願って、最後に幸せだと言った、男の声が。
 深沢は何も言えなかった。多分言ったら、泣いてしまうから。だから、今にも泣き出しそうな……『ホワイトフェザー』が言う「ブサイクな笑顔」で笑う。
 『ホワイトフェザー』はもういないけれど、これからは。
「あ、桜が」
 ヤマザキが、ふと窓の外に目を向けて言った。そちらを見ると、窓の外の桜の木がぽつりと一つ、花を咲かせていた。
 雪のような、花を。
 白い羽のような、花を。
 まだ、それは「笑む」には足りない小さな花ではあるけれど。
 
 ――ありがとう、   さん。
 
 深沢は心の中で『ホワイトフェザー』の名を呼ぶ。
 桜の花を見て喜びに笑んだ彼と同じように、これからの春を迎えるべく。
 いつか彼のように笑えたらいいと願いながら、小さな花に微かに笑いかけた。
 
 
 *  *  *
 
 
 やあ、辛気臭い顔のシニガミさん。
 
 
 ――ハッピーには、なれたかい?